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ハプニングだらけの恐山と不老不死温泉の旅(3/8) 1日目(仙台~青森市)その2

僕たちは駅からすぐのところにあるレンタカー屋に向かい、車を借りました。
ナビに恐山をセットして出発です。地図ではそう遠く無いように見えますが、普通に30分はかかります。

結構な山道を慎重に走ると赤い橋が見えてきました。三途の川です。
昔は渡れたのですが、老朽化の為今は通行できないようでした。

三途の川と太鼓橋 悪人が渡ろうとすると細くなって渡れないのだとか

車を停めて近くまで行きましたが、三途の川を知らない息子は興味無さそうでした。。
奪衣婆だつえば懸衣翁けんえおうの石像があり、その横には衣領樹えりょうじゅもあります。

悪そうな顔をしてるけど仕事だしね

とりあえず息子に「死ぬとこの婆さんに服をはぎとられて、爺さんがこの木に服を掛けると、悪い事してきたやつは枝が余計に下がってわかるんだってよ」と説明をしましたが、やっぱり興味無さそうです。

三途の川を越えるあたりから、急に風が強くなってきました。
三途の川を越えるともう駐車場が見えます。結構な数の車が停まっています。
駐車場に車を停めると、まずは予定通り恐山唯一の食堂「蓮華庵」に入りました。

現地で唯一食事のできる場所

日は照っているのですが、何しろ風が強くて体感温度は結構低く感じられ、
食堂の中はストーブがついていたので、ありがたいと思いました。

麺類とカレーぐらいしか無いのは解っていたので、身体が暖まるようにラーメンを頼みました。

とりあえず身体を温める為にラーメンを食べる

懐かしい味のラーメンを食べていると、急に店の中が混み始めて待っている人もでてきました。
どうやら12時に着いたバスから降りた人のようです。
何気なく外を見ると、さっきの外人さんが写真を撮ったりしながら、山門の中に消えていくところでした。無事着いたようで良かったです。

腹ごしらえを終ると、拝観料を払って山門をくぐりました。

右側が山門方向 六地蔵がお出迎え

まずは右手に温泉の小屋が見えてきました。

外で待っている人もいた温泉 死者も入りに来るので有名

左手には大きな建物があり、休憩所として開放しているようです。
イタコの口寄せの看板がありましたが、秋の大祭の時しかいないはずなので、看板だけ常に置いてあるのでしょうか。

イタコの口寄せの看板が出ていました

観光客が勘違いするよなぁと思いながら、右手にある寺務所で御朱印をお願いして、まずは本堂へ向かいます。

湯小屋の奥が寺務所
本堂にお参り

ここからはいわゆる恐山らしい風景の中を歩いて行きます。

左が本堂 柵から出ると、後は荒涼とした風景が広がります

まずはちょっと登ったところにある奥の院に行きます。

右上の道を登ると奥の院 順路は左方向

ここには不動明王が祀られています。大した距離では無いのに息が切れます。

ここが奥の院

下に降りると案内の標識に従って順路を進みます。
ところどころに蒸気が吹きだして硫黄の臭いが漂っており、何とも言えない雰囲気です。

至る所から硫黄や蒸気が噴き出しています

そして何より猛烈な風で、砂というより小さな軽石の混ざった砂が顔に当たって痛いのなんの。眼にも入るし大変です。マスクをしてたので、まだマシだったのでしょう。

眼も開けていられないほどの風と砂 時々石を積みながら歩きます

親よりも早く死んだ幼い子供は、親を悲しませた罰として三途の川にある賽の河原で、永遠に石を積まなければいけません。
しかしある程度石を積み上げると鬼がやって来て、全て崩して行ってしまいます。
こうして幼い子供たちは毎日父母の事を思って泣きながら石を積むのですが、時折地蔵菩薩が現れて、私を父母だと思いなさいと抱いて撫でてくれたりするのだといいます。
それを手伝う意味で、供養の代わりに石を積んでいくのです。

これはこの世のことならず 死出の山路の裾野なる さいの河原の物語 聞くにつけても哀れなり 二つや三つや四つ五つ 十にも足らぬおさなごが 父恋し母恋し 恋し恋しと泣く声は この世の声とは事変わり 悲しさ骨身を通すなり

地蔵和讃

血の池地獄に行くと、池には透き通った澄んだ水が溜まっていました。
僕が子供の頃に来た時は、本当に赤い水が溜まった池でした。何があったのでしょう。

血の池地獄 ネットで調べると、今でも真っ赤な水になる時があるそうです不思議です

こうして20分ほど地獄のような風景の中を歩いていくと、突然視界が開けます。「極楽浜」です。

逆光で陰気臭いですが、コバルト色の湖と白い砂浜できれいです

強酸性の青緑色をした宇曽利湖うそりこの砂浜を極楽に見立てているのです。
そこかしこに朽ちた風車が刺さっていたりして、極楽といえども寂寥感が漂います。

蓮華庵の隣にある売店で売ってます 買ってくれば良かった

そして砂浜だけあって、風が吹くたびに砂が飛んできて顔中痛くて仕方ありません。ジャンバーのフードを被って顔を背けて折り返します。

あちこちに石が積んでありますが、そこに表札が結構置かれています。
亡くなった方の表札を、墓石代わりに置いていくのでしょうか。
こうして小一時間程散策をして、円を描くように山門近くに戻ってきました。

最初に見た休憩所として開放している建物があったので、そこでトイレを借りる事にしました。
細長い建物で、左右に入口があります。
手前の入り口から入ると玄関があり中は座敷です。
靴を脱いで座敷を横切ってトイレへ行きました。休憩所とはいっても誰もいません。
トイレから出て、家内と息子のトイレが終わるのを座敷で待っていましたが、何気なく奥の方を見ると、一角がビニールのカーテンで覆われていて、人がいるように見えます。
誰かいるのかな?と目を凝らしていましたが、あっ!と気づきました。

イタコかも・・・

これは帰る時に撮りました

あの看板は出しっぱなしにしてたわけでは無いと気付いたのです。
一冬を越したら看板はボロボロになっているはずです。
そこへ家内がトイレから出てきたので、ヒソヒソ声で「イタコがいるよ。口寄せしないの」と聴きました。
「えー、別にしたくもないし、一体いくらかかるの?」
「わからないけど一万円とかしないでしょ。数千円でしょ。こんな機会無いよ」
「だって誰を呼んでもらうの?」
「お婆さんの話よくするじゃん」
「別に婆ちゃんと話をしたいとも思わないし。自分こそお父さん呼んでもらったら」
「親父と話をしたいとも思わないよ。幸い予定より1時間ぐらい早いから時間はあるよ。もう一生ここに来る事は無いよ」
「じゃぁなんて言えばいいの?」と少しずつ近づいて行きました。

ビニールのカーテンの中に、イタコが白い帷子かたびらを着て、オマモリと呼ぶ筒を背負って座っていました。

これはネットで拾った画像 この筒がオマモリ 師匠から渡されるそうです

「あのーいいですか」
「はいどうぞ。お座りください」
家内が正面に、僕がその隣、さらに隣に息子が座りました。
目の前にボックスティッシュと紙を折って作ったくず入れが置いてあります。

「どなたを呼びますか」
「父を」
これは意外でした。家内は生前義父とはあまり話をしないし、いつも話がくどいとうざがっていました。
ちなみに家内は、心霊の類は一切信じていません。
「命日はいつですか」
命日を答えると、小さな紙にメモしました。
「数珠の音が止まったら話しかけて下さいね。左の肩にお父さんが乗ってますもん。お母さんは元気だね」
そういうと長い数珠をジャッジャッジャッジャとリズミカルにこすり合わせて、思いのほかメロディアスな歌のような経文のようなものを唱え始めました。
御詠歌というやつでしょうか。

すると10秒もしないうちに驚く事が起きました。
なんと家内がボロボロと涙をこぼして嗚咽しているのです。
ああ、だからティッシュが置いてあるのか、と妙に納得してしまいました。
やがて歌と数珠が止まると、静寂が訪れました。
イタコはトランス状態というのでしょうか、ゆっくりと身体が前後左右に揺れています。

数珠が止まったら話しかけて下さいねと言われていましたが、家内は話ができる状態ではありません。
僕は部外者なので口を挟むわけにもいかず黙っていると
「よく来てくれたな。こうして親子3人で並んでいる姿を見れてうれしいよ。元気そうだな」とイタコが口を開きました。
それを聞いて家内は、ますます激しく嗚咽しています。
「悔やむなよ。俺は大丈夫だから。色々迷惑も掛けたけど、悔やむ事はないぞ」

しばらく沈黙が続きました。
そこでようやく家内が話しかけました。
「お父さん。私とお母さんはあまりうまく行ってないけど、どうすればいいのかな」
そう、昔から家内は実母と折り合いが悪いのです。

「あれは気が強いからな。俺も気が強いからよくぶつかったけど、お前も俺に似てるからぶつかるんだ。どうしてお母さんとうまくいかないかわかるか?お母さんの実家の墓参りに行けばわかる。墓はわかるな。一度お参りに行け。本当に今日はこうして三人並んだ姿が見れて嬉しかったよ。悔やまずに生きていくんだぞ。お父さんは大丈夫だから」

そう言うとジャッジャッジャッジャと数珠がなり始め、イタコが目を開けました。
「どちらから来られたの」等と少しだけ世間話をして、最後に料金を尋ねると四千円との事でした。
代金を払ってお礼を言ってカーテンを出ると、数組のお客さんが座って待っていました。
ちょうどいいタイミングでした。きっと待っている人がいたら、口寄せはしていなかったでしょう。
本当に貴重な体験でした。
最期に御朱印を受け取って、恐山を後にしました。

御朱印

車の中で、なんで呪文を唱えている段階で泣き始めたのか聞いてみると、
イタコが呪文を唱え始めた途端、あっお父さんが来ていると思ったそうです。
あの喋っていたのがお父さんの霊だとは思わないけど、やっぱりイタコの口寄せは残された遺族の心を癒すためのカウンセリング的なものなんだと思うとしみじみ言っていました。

しかし今回の旅はハプニングが多いなぁ。

1日目(仙台~青森市)その3 へつづく

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