見出し画像

どんと祭

今年もどんと祭に行ってきました。

昨年書いた記事はこちら

お正月飾りを神社やお寺で燃やして一年の無病息災を祈る行事です。
それを仙台では「どんと祭」と呼びます。

毎年1月14日に行われますが、たまに休日と重なる時があります。
平日の場合は家内に頼んだり、早く帰宅して夜に行きますが、今年は土曜日だったので問題無く行く事ができます。

例年だと歩いて行ける近所の小さい神社に行きますが、折角の休日と重なったのなら、少し離れた大きめの所に行く事にしました。
コロナで何か制限があるといけないと思いネットで調べたところ、受付は16時30分までで、それ以降に持ち込んだ正月飾りは千円で預かりますと書いてありました。

危ない危ない、いつもなら夜に行くので無駄にお金がかかるところでした。
しかも時間も17時までしかやっていないとの事。寂しいなぁ。
他に何か書いていないか読んでいると、13時に火を点けると書いてありました。
護摩から移した火で点火するとの事で、今まで一度も見たことが無いのでそれに合わせて行く事にしました。

地下鉄に乗って、なんとか12時50分に着きました。
ここは陸奥国分寺薬師堂むつこくぶんじやくしどうです。
仙台の人に陸奥国分寺と言っても、ほとんどの人が知らないと答えるかと思います。ですが薬師堂と言えば、大体の人はわかるかと思います。

そんなに人は多くなく、割と間近で点火の様子を見る事ができました。

式典的なものは始まっていて、住職が何か読み上げています
向こうに見える積まれているのがお正月飾り
別な角度から
竹の先に護摩から移した火が燻っています
お坊さんたちは般若心経を唱えています
火種が消えかかっているのか、時々竹をぶんぶん振っていました
点くのか少しドキドキしました
煙が出てきました
右奥に見えているのが鐘楼
あっという間に燃え上がっていきます
これぐらい離れていても顔が熱いです

無事点火式?を見る事ができました。
この後我が家の持ってきたお正月飾りを受付に預けて、火の回りをぐるっと回って本堂へ向かいました。

本堂にお参り
その名の通りご本尊は薬師瑠璃光如来です

8世紀の半ばに、聖武天皇の命で各地に国分寺が建立されました。陸奥国分寺もその一つで740年代に建立されたと言われてています。
当時は国家鎮護の為の一大プロジェクトでしたから、今でいう国立病院と警察署を作ったようなものです。

当時はかなり規模も大きかったようですが、室町時代には荒廃してしまい、いつの間にか真言宗になっていたそうです。
伊達政宗がこの地を治めるようになって庇護を受け、昔日の勢いを取り戻しますが、明治期には今の薬師堂といくつかの建物を残すのみとなってしまいました。

さてお参りが済んだら屋台です!
お祭りなので屋台が出ています。コロナ禍でお祭りも規模が縮小されたり取りやめになったりで、もう何年もお祭りの屋台で何かを食べたりしていません。
今日はこの屋台がお昼ご飯です。

何食べようかな
やきそばか棒巻きお好み焼きか・・・
まずは棒巻きお好み焼きに決定!
お好み焼きを秒で食べたら次はたこ焼き
青のりがかかって無いけどお祭りだしいいか
焼きそばうめー

お腹もふくれたので薬師堂を後にしました。
実は薬師堂の境内を出たところに小さな資料館があるのですが、わざわざ行くようなところでも無いので、今まで行った事がありませんでした。
いい機会なので立ち寄ってみる事にしました。

そうそう、薬師堂の仁王門をくぐってすぐのところに目立たないこんな石があります。

谷風牛石

実はこんないわれがありまして

江戸時代の寛延3年(1750)夏、毎夜丑の刻になると薬師堂にお参りして何ごとか一心に祈願をこめる一人の女性がいました。立派な男の子が授かりますようにと、お薬師様に百日々参の願をかけていたのです。満願の夜に仁王門をくぐろうとすると、足元に大きな牛が長々と横たわっている。でも、ここで戻っては満願もかなうまいと、牛の背を乗り越えて薬師堂へお参りし、満願を果しました。実はこの牛、仁王門の前にあった大石だったのです。お薬師様が姿を変えて現れたのでしょうか。やがて8月8日の朝、元気な男の子が誕生。これが後に「わしが国さで見せたいものは昔谷風(たにかぜ)、今伊達模様」とうたわれた寛政の名力士、二代谷風梶之助だったのです。現在は仁王門の北東、ツツジの植栽の陰にひっそりと安置されていますが、今でも子宝授与・安産成就を願う若い夫婦がお参りに来ています。

陸奥国分寺のホームページより

我が家でも家内のお腹が大きくなった時に、ここにきて石を撫でました。

ここが薬師堂の仁王門
往時の雰囲気を出すために、平安調の門を再現しています
奥にあるのが資料館
中は小さいけど綺麗

元はもっと大きな敷地だったとか、七重の塔があったとか書いてあり、発掘された土器や瓦なども展示されています。
ボランティアの説明員が何人かいて、展示物を見ていると説明してくれます。
ちなみにトイレが綺麗なので、お参りに来てトイレに行きたい時に寄るのも有りです。

展示資料には無かったのですが、息子が説明員から、山形県の新庄にも国分寺があったらしいけど見つかっていないという話を聞いたと言っていました。何か寺を建立した的な記録でもあるのでしょうか。興味をそそられます。

こうして今年もどんと祭に行く事ができました。
大量の焼きそばやたこ焼きなどの食べガラをコンビニ袋に入れて、持ち帰ってきました。
昔は屋台側でごみ袋を設置してたのに、今は無いのねぇ。

皆さんの土地でも同じようなお祭りはあるのでしょうか。
来年は日曜日のはずなので、また行けそうです。

おしまい

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?