1191005 低学年の頃、求肥を知ってるのは自分だけだと思ってた

※励ましのコメントするなよ。求めてないし、なんの肥やしにもならないから。フリじゃねーぞ


ズボラって言うことで完成度に保険をかけるようなことはしたくないんすよ

イチロー氏が準備は言い訳をなくす作業って言ってたと記憶してるんだけど、私はそれよりももっと根源的に、そもそも普通に送っている日常がその人のその時点での最大値だから、どんな生き方をしようとそれが全力なのではないかと思っている

ズボラとかやっつけとか言ったところで、その時に全力を出せないのがその人の全力なわけで、出せないなりの全力がそれなんすよね

てか、イチロー氏はそういうことを言わないために準備しろって話をしてるんだってハナシなんでしょうな



たとえばどこかで隣り合わせた人と喋るってなったときに、中身のある話ができないんすよね~

これは困ったこと

まあ、他人と話すときに、相手の話したいこと詳しいことを話させるってのは基本的にプラスでしかないし、自分の話を聞かされるのは他人からしたら苦痛かもしれんけど、するかどうかはさておきとして、話を振られたら中身のある話がいつでもできるってのは結構重要なんよな、思うに

じゃなきゃ私と話す意味がないんで

理想的には、憧れてる人と対等に喋れるようになるってことなんすけど、なかなか厳しい



今のコミュニティの人たちさ、これまでのバックグラウンドがすごいし、すげー堂々と自信満々に話すし、あたかも万物に精通してるかのような挙動をするし、映画通っぽさもあるし、どうしたらいいのこれ

映画通に対して強烈な劣等感があるんだよな
映画を見て含蓄のある感想や、他作品との系譜で語れる人って、マジで俺勝てないもん、人間的に

俺はこれまで語れるようなことを何もしてきてないんだが笑

笑えない


私の悩みって結局、自分のやっていることに自信がないし、むしろ負い目があるってことに帰着するんすよね~
自分以外の人たちが日々汗水たらして頑張っている中、俺はクソな日々を送ってクソな結果しか出せてないってのが本当にどうしようもない

俺は俺を誇れないですもん

マジでプラスの側面がない
まあ、いいんですけど

親を筆頭として、これまでお世話になってきた方々に顔向けできない、本当に
こんなクソ人間になるつもりじゃなかった



ある人の動画で悩み相談しててさ、「他人を羨んで、そうした他人と自分を比べちゃうし、(この窮地を脱するには)自分は何から始めればいいのか」ってな質問に、その他人の何が羨ましいのか、自分の何が不満なのかを分析して、足りないところを補えばよいのだって回答してたんすよ

まあ、正論よ

ただ、なんというか、そういうのってさ、別にそこまで具体的な悩みじゃなくて、漠然としたものじゃないすか
だからこそ、具体性を持たせるアドバイスをその人はしてるんだけどさ

羨ましい他人ってのがたとえば、外見完璧、生活が充実してる、大企業勤務、みたいなのだとして、それの何が羨ましいのかといったら、それらの他人から羨望される要素があることが羨ましいのであって、別に純粋にその要素が本当に欲しいのかといったらわからなくないですか?
仮にコペルニクス的転回的展開が起こって、従来の価値観がそっくりそのまま反転したとしたら、それらの要素は欲しくないでしょ?


まあ、だとしても先述のアドバイスはいたって正しいんだけど、根本的解決になってない気がするんだよな
思うに、自分の本当に欲しいものは何なのかをちゃんと具体的に持っておいて、それを取りに行くってのが根本的解決じゃないかね
とはいえ、願望って相対的になりがちだから難しいっすけどね~



最近、デュルケームのことが気になってて、著作を読むのは避けられなさそう

学部時代の講義の記憶だと、彼は自殺を社会的なものとしても捉える見方をしたんすよね

先日、トランプ氏を狙撃した犯人とかもおそらくそうだけど、社会的に逸脱した人間が異常行動に出る例が散見される中で、デュルケームの自殺論を読んでそうしたものにも社会構造的な見方を類推適用できるんじゃないかって気がする

すげー的外れなことを言ってるかも




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