見出し画像

アイデンティティのはなし

こんにちは。

最近、平仮名の「そ」を2画で書くタイプのものに完全移行しました。
『1画そ』よ、さよなら。


また、最近トイレでのお尻の拭き方にも革新的なモデルチェンジを導入しました。
みなさんは排泄後の肛門清掃スタイルの多様性についてどうお考えでしょうか?特異なものであっても披露することもないため指摘もされず、独りよがりな清掃になっている人がほとんどなはずです。

便座に座したまま拭く者もいれば、起立して拭く者もいる。
ちなみにぼくは後者だったのですが、数年前に座って拭くスタイルに変更しました…

ぼくは幼少の頃より起立して肛門清掃に着手しておりました。
もちろんそのことに何の疑問も感じず、スタンダードとさえ思っていましたが、突如としてその安寧は崩れ去ります。

大学のゼミで談笑しているとき、お尻を何回拭くか?という話題になり、その流れでぼくは立ち上がってお尻を拭くと発言をしたのです。
すると知人から「拭く前に立ったら汚れが広がるんじゃないか?」とぼくの頭に一切ない発想の提案がありました。ぼくはその通り過ぎてぐうの音も出ませんでした。

且つ座した状態であれば肛門周りの皺も伸び、より細部まで拭き取ることが出来るというのも合点がいきました。

そしてぼくは長年のアイデンティティをかなぐり捨て、着座肛門清掃法にシフトしたのです。

ただ、
起立して拭くことがハイリスクノーリターンであるとは決して思えず、そのような考え方は独善的かつ差別的であると明言したい所存にござります。

何故なら、
起立肛門清掃では「必然的に便の確認作業」が出来るというメリットが存在するからです。
(対して着座肛門清掃法は、清掃後に便器の中を覗き見ても、そこには白色の薄紙が積もるばかりで、便から判断でき得る健康状態の把握に一抹の不安有)

つまり、
起立状態では何一つ便姿を隔てる物がなく、ありのままの鎮座を目撃できると云った具合なのです。
それに、少し前まで己が体内でたらい回しにされていたその便の勇姿を刮目し、労いと慈しみの心で水葬してあげたいというのは自然な考え方かと思われます。

ですから、
生誕からずっと着座肛門清掃法で清掃活動に従事してきたあなたも、たまにでいいので起立して“拭いて見て”くださいね。
長い人生、チャレンジすることに損はないはずですから。


というわけで、
みなさんも友人、恋人、家族と肛門清掃時のスタイルを共有して、あの個室から出ることのなかった独自のアイデンティティを世界に発信してみてはいかがでしょうか。

あと、
もっと良いスタイルを採用している方がいらっしゃいましたら、お気軽にご一報いただけますと幸いです。

画像は曇り空です。

おわり

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?