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うつわペルシュの、つくり手を訪ねて【淡海陶芸研究所】

焼き締めのようなざらっとした質感の漆黒のプレート。
どんな料理も受け止めてくれる、盛り付けが楽しくなりそうなシンプルでカッコいいうつわ。
それが「草津焼」という焼き物だと知りました。
はじめて出会った「草津焼」
どんな焼き物なのでしょうか。

滋賀県草津市で「草津焼」をブランド化した第一人者ともいえる、淡海陶芸研究所を訪ねました。

取材 ペルシュ

太古の昔から続く物語のある焼き物

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草津焼のフラット皿。草津の土に粘土をかけて焼いたもの。粘土中の鉄分が結晶化した部分も味があります。日常の料理はもちろん、小洒落たアペリティフからデザートまで使えそう!


淡海陶芸研究所は、滋賀県草津市の文化ゾーン、立命館大学びわこキャンパスや静かな住宅地近くの里山の中にあります。
この丘陵地帯で七世紀後半から八世紀前半まで、須恵器が焼かれていたという壮大な歴史のロマンがある場所。
ここで代表の山元義宣さんと、息子さんの一真さん親子が営んでいる工房を訪ねました。


ペルシュ:
「草津焼というのは、どういう焼き物のことをいうのですか?」

義宣さん:
「このあたりは「瀬田シルト」っていう粘土が太古の昔からとれるんですよ。現在、立命館大学びわこキャンパスが建っている木瓜原遺跡周辺からは、須恵器(古代から焼かれていた土器)の窯の跡がたくさん出てましてね。須恵器文化って今でも続いてますし、「焼き締め」ってことになるんでしょうけど、そのあたりがうちの焼き物にも共通するようなところがありましてね。」


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「物を作るのは楽しいですよ」と語る義宣さん


義宣さん:
「歴史的な根拠っていうのは「エビデンス」ってやっぱり必要になってきますし、その土地の土を使って、その土地の職人さんが作っていく、そのあたりはブレずにやってきてますけどね。だから作家の固有名詞で売っていくのではなくて、「草津焼」と頭につけるのが絶対条件で、そうでないと物語が作れないんです。そこがうまくいくと地域ブランドと物語とがあって、地域性の連動性があって、幅がすごく広がるんですよ。」


人間工学に基づいた身体に合う形状を追求したうつわ

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日常の中で使ううつわは、常に手に口に触れるもの。人間工学に基づいた身体に合う形状を追求した淡海陶芸研究所のうつわは、使う人の日常に寄り添い暮らしを豊かにしてくれる。


ペルシュ:
「では、義宣さんはもともとこの土地で生まれ育ったんですね?」

義宣さん:
「そうそう。ですから子供のころからそこに須恵器のかけらが出てたのも知ってますし、そういうこともおかげさまで活かせるようになりましたよ。東海道にあって草津は京都に向かっていく、豊橋は江戸に向かっていく。なんだか似通った背景があるかもしれませんね!土地の名産は必ず東海道を旅する人のところで栄えるから。」

ペルシュ:
「そうですね!うちの店は愛知県豊橋市にあるのですが、ちょうど東海道の宿場町、吉田城の城下町として大いに栄えた場所にあるんですよ。」

義宣さん:
「本陣や脇本陣があったところなんですね。いいですね~!なにか共通項がありますね。名産品ということでいうと、食べ物だと残らない。焼き物ならずっと残りますしね、その背景も物語が作れるから。」

ペルシュ:
「本当に!焼き物は何千年って残る可能性がありますよね、いま作られてるものが。」

義宣さん:
「100年続けると伝統産業になれるんですよ。だから彼(息子さんの一真さん)の次の代まで100年はやりたいと思うんです。」


草津市の第一期認証ブランドになった「草津焼」

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ペルシュ:
「【草津焼】っていうのは近年新しく命名されたってことになるんですか?」

義宣さん:
「1997年に認定された草津市の第一期指定ブランドなんです。昔はお殿様がいて焼き物があって、、、だったんですけど、今はお殿様がいないから行政とタイアップしてやっていかなきゃならない。そのあたりは必ず必要なことですね、続けていくのには。だから行政の支援はかなり必要ですし、バックアップも要りますのでね。孤立したら絶対にダメですね、この仕事は。だがらペルシュさんとも東海道の感覚があれば、ちょっとなんか物語がはぐくめるかなと。」


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工房を案内してくれた、息子さんの一真さん。作陶の傍ら、SNS発信やイベント出店など、若い感覚で新たな繋がりを広げている。

ペルシュ:
「そうですね。こうやって繋がれたのも何かのご縁と感じます。私も料理教室を長年やってきて、うつわまで提案できて完結かなと思ったんです。」

息子さんの一真さん:
「料理教室をされておられて、うつわのほうに転身されたというのが僕はすごく興味深くて。やはり、うつわを作ることって、使われることで使い手とつながれることだと思っていまして、使い手さんの手にわたってはじめて完成するんです。はじめて価値を持つんです。個人的には、日常で使われる陶器として、手の届く価格であるというのは重要だと思っているんです。そこから逸脱することは避けたい。手が届く範囲でありたいと思うんです。」


使いやすくシンプルな日常のうつわだけでなく、クスッと笑みがこぼれるユーモラスな作品も。

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栗から芽が出ている様子を表現したもの(左)と、卵形と赤いトサカでニワトリを模したもの(右)


物語をはぐくむ焼き物づくり

縄文土器から始まった日本の焼き物づくりが、やがて大陸からの技術が入り、手びねりで野焼きという縄文スタイルから、ろくろ成型して窯で焼く須恵器文化となり、今の焼き物づくりのかたちに。古代から営まれてきた『産業』としての焼き物づくりが、現代に生きる我々まで続いていることのロマンを感じさせるお話を伺えました。我々の住む足元には、例えば古墳時代に生きた人々のものづくりのかけらがたくさん眠っているかもしれませんね。淡海陶芸研究所 代表の山元義宣さんはそのあたりを意識しておられ、過去から続く今のように、未来に続いていく今であることを念頭に置かれ、長い時間軸で「草津焼」を産業として受け継いでいく努力をされておられます。息子さんの山元一真さんは、お父様のビジョンをしっかりと受け止め、電子レンジ調理ができるうつわや、特許庁意匠登録・商標登録された花立て「花珠」など、その技術を活かして時代のニーズにあった新しいうつわを開発されたり、私どものようなギャラリーの意見にも耳を傾け、使い手のニーズを知る努力をされておられます。

2022年6月には、ペルシュで淡海陶芸研究所さんの個展を開催いたします。日常に寄り添う、シンプルで使いやすいうつわたち。その背景にある歴史のロマンを感じながら、「草津焼」をぜひ手に取ってご覧ください!

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工房の片隅に無造作に置かれていた義宣さんの写真は、滋賀の写真家が撮ったものだそう。映画のワンシーンのような物語を感じます。


※内容は2022年3月時点の情報です。

【つくり手Profile】
淡海陶芸研究所
代表 山本義宣さん

1950年10月草津市生まれ。滋賀県立信楽窯業試験場大物ロクロ科、京都府立陶工職業訓練校成形科終了。1985年草津に戻り、草津焼の開発に努める。1997年「草津焼」は草津市より推奨品指定に認定。滋賀県登録唯一の陶磁器科の職業訓練指導士。主要都市での企画個展、全国公募展でのグランプリ、入選多数。
山元一真さん
1992年7月草津市生まれ。京都府立陶工高等専門学校総合コース終了。淡海陶芸研究所入所。

Instagram @ohmitogei

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