言語の気づき

最近poolo3期のメンバーと多言語自己紹介のテーマを盛り込んで1on1をしている中で自分の言語観を改めて振り返って深掘りしていて、今日の朝ふいに思ったことが我ながら真理をついてるような気がしたので忘れないうちに書き出します。

幼少期から多言語を話そうっていう団体ヒッポファミリークラブ(以下ヒッポ)に家族で入っていてそこでは多言語の自然習得をテーマに色んな国の言葉を日常的に聞いたり海外にホームステイに行ったり海外の人をホームステイで受け入れたりしていて、日本のような単言語の国に居ながら多言語を聴き分けて文化ごと受け入れるベースを作ってくれた今でこそあまり参加してないけど自分にとって感謝が尽きない環境です。今日思ったことはその環境がベースになって出来ているものなので最初に書きました。

自分自身でも高校1年の時アメリカに交換留学に行かせて頂いててヒッポにはホームステイとか留学とかの体験を皆んなにシェアする文化があるので自分でも沢山話したし沢山の体験談を聞きました。
その中から今日はカナダのフランス語圏のケベックに高校生で行った子の話からピックアップしします。
その子の話ではホストファミリーに小学校低学年の子がいて、カナダに行って数ヶ月はその小学生の子より全然話せなくてその子の言葉を真似て吸収していたんだけど、1年経って留学から帰ってくる頃には小学生から吸収していたはずが高校生の年相応のフランス語が出来るようになって帰ってきて、言葉をくれた小学生は小学生のフランス語のままで、つまりは言葉の成長って内面の成長度合いによるって事でした。
自分の内なるものを表現するのが言語でもともと持っていないものを表現することは出来ないということです。

そして逆説的に考えると既に大人になっている私たちは内なるものや表現したい事が子供に比べて膨大に増えていて、それをいきなり別の言語で表現しようと思っても到底無理だということ、一度表現したい事のレベルをぐっと引き下げて幼稚園から小学生くらいの子供たちの最も基本的な欲求や身近な物事の表現から始めるのが順当だということ、考えてみたら至極当たり前のようだけど誰も気が付かないことを改めて思ったのでした。
そしてそれを幼少期から深く考えることもなくヒッポの環境のおかげでやらせて貰えてたのだと思うと凄く感慨深いです。

言語は子供の時からやってないとダメとかよく言いますがそれは物理的に無理なのではなく大人になると必然的に表現したい事の量が増えてその100%を埋めようとしてるからいつまで経っても喋れるようになった実感が湧かないのであって、意識的に100%のハードルを下げることによって言葉の壁はぐーんと下がってくれるのです。
子供の100%は大人の100%と全然違うのでまずは子供になって100%を下げるところから始めてみましょう!

私が皆に出来ることは皆の言葉の壁を下げて理解し合うことで、それは多言語に限らずゆくゆくは人の理解力の差によるハードルや価値観や文化の違いの様なハードルも下げて行けたらなと思いました。
わかり合うって本当に大事な事でそれが平和に繋がるとしみじみ思います☺️
いいなと思った方は是非私と言葉を歌いましょう🎶

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