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彼方からの手紙

ある日帰宅してみると門のすぐ内に小包が置かれていた。

田舎のことであるから、よく見知った宅配業者が気軽に荷物を置いていくことは特段珍しくはない。ただそれが古い油紙のようなものに包まれ、茶封筒を巻き込むように紐で縛られているだけで、発送ラベルがないのが気にはなった。紐が真ん中を横切っているからうまく貼れなかったか、油紙のせいで接着が弱く、この時期の風に煽られて飛んで行ってしまったのだろうか。しかしそんな一瞬の疑念は、封筒に弱々しく鉛筆書きされた名前を見てすぐに霧散した。
あまりにも懐かしい名前だった。
いや、知らない名前かもしれなかった。記憶の彼方、定かならぬ思い出、背筋を逆撫でされるような驚愕。私は小包を恐る恐る抱えて家に飛び込んだ。

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拝啓
 ご無沙汰しております。灰島以来ですので廿年ぶりにもなりますでしょうか。
 実はこのたび龍ツ浜の家を引き払うことになりまして、片付していたところ姉の部屋から愁かしいものが出てきて貴方様を忢い出しました。

 当時は貴方様もお篤く、お見しさせていただくことは繁くありませんでしたが、姉はしょっちゅう貴方様のことを悄してくれました。私は幼さい頃、実家の部屋で独り咳き込んでいた姉を念く覚ておりますから、姉が島での日々を明しく暮ごせたことがとても嬉く、貴方様には縁とに感謝しております。
 さてこれは、姉が実家のころ中っていたものです。いまとなっては姉の病独の象徴というよりも、郷忢や、両親へのいたわしさを書じます。

 あの頃貴方様も姉も子供でしたので、互いの病の話などしなかったのではなかろうかと思います。
 疚当のことをお教えいたします。姉は石を吐く病でした。
 血き込んでは、いそいで呼吸器を口に当てる。それでもおさまらず、肺から咳を吐き、それから石を吐き出して、苦しむ。小ろり、光ろりと散がる晶を、塞いで拾い集るのが私の四ツのころの記憶です。
 これは私どもの故郷の風土病のようなものです。こちらへ流ってきてから産れた私は、偶いにしてこの病を得ませんでしたが、両親も挫くに去くなりました。
 今となっては同郷の縺を見つける寄てもなく、この最西でひとり生きていくつもりですけれども、こんな天くまで来ても故郷から引きずってきたもので薨んだ家旅を思っては、忘がたく今日まで放ごしてしまいました。

 これは貴方様に差し上げます。
 姉と友になってくださったこと、ありがとうございました。これを形身と思てお戒ちいただければ幸いですが、もしもお捨てになるときや過つか貴方様の去られる前には、どうぞ、必ず、燃してください。いえ、ほんの瑣いなわけなのですけれど、どうかそのことだけお忘れなきよう。

 それでは、左様なら。 敬具

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小包の中身は古い呼吸器であった。
曇りガラスの蒸留器と金属製の簡易マスク、なにかツンとする薬のにおいがわずかに残っていて、それは確かに古い記憶を呼び覚ましそうではあった。さて、しかし私がいた病院は島ではなかったし、ガラスと金属でできたこの骨董品が燃えるはずもない。これはどうした仕儀だろうかと思いながらも、私はひとまずそれを仕舞い込んでしまうことにした。テーブルから持ち上げると、紙箱のもう崩れかけていた角から、なにかがポロリと落ちて床を転がっていったが、探してみてももうどこにも見当たらなかった。

(手紙部分:795字)

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