日記4/29

今日は父親と地元市内と静岡市の観光スポットを周った、運転は僕であった。
最初は昼ごはんを食べに行こうという話だった、父親とふたりスマホと財布だけ持って出かけた。父親と二人きりというのも昨年冬に渋谷を案内した(父親は大学時代に渋谷に通ってたのであちらの方が渋谷の先輩ではあるが…)とき以来かもしれない、家の近くにある「ピスタチオ餃子」なるものを食べに行くつもりだったがあいにくの休業日で本当にピスタチオが入っているかどうかを確かめることも出来なかった。また今度試そう。

その後はちょっとした冒険だった、蕎麦屋を2軒とラーメン屋をまわり満員か休業日の様子を伺ってからは車に乗り換えて海沿いの漁港の漁協食堂で完売の案内に弾かれてついに地元のラーメン屋「カナキン亭」に辿り着いた。意外と長い旅だったが昨晩一人で訪れた「ブッチャー」のふじそばを食べてからそれ程空腹感を感じていなかったので腹具合としては丁度良かった。

カナキン亭 カナキン麺

カナキン亭は志太地区の各地に店舗のある中華そばであるが豚や魚介などの脂味で雑味を覆い隠すような味ではなく純粋に様々な材料の旨味をもとにスープを組み立てている中華そばで、毎度そのあまりに純粋な存在に感動を覚えている、ジャンキーでパンチな感じはなく関東でハジけるかというかというと未知数だがこの地域で愛される素朴過ぎない味をしている。人間の感覚は環境による干渉を多分に受けていることは間違いない、そしてこの味は地元を離れて暮らす僕にはあまりに輝いて感じられた。

その後は「海沿いを走りたい」とリクエストして僕が静岡市の日本平沿いの海岸線を走った、関東とは植生が大きく違って見える話や橋の先に新たな幹線道ができたこと、ここを通勤に使う人はどのくらいいるのだろうか、向こうの小さな港町に行かないか、いちご狩りをした幼少時の話や侵食が進む海岸線の話をした。
こんな時間はあと何回あるのだろうかと思った。

あいにくの曇だったが日本平に登った、父親が昔この近辺の寮に住んでいた話を聞いたが初耳だった、記憶とは地を訪れることで掘り起こされるらしいまた父親とあちこちを走って話を聞きたい。母親ともそうだ。

駿府夢テラスのカフェ

日本平頂上の駿府夢テラスを訪れてカフェでほうじ茶ラテを喫茶し景色を眺めてから用宗港に向かった、途中でタミヤ本社横を通りホビーショーであちらこちらに行ってしまう僕の一方で家にも置いておけずホビーショー会場に連れてこられて子供模型教室に参加していたらしい妹の話を聞いた、初耳(か単に僕が忘れていただけだったか)だったが微笑ましくも親には苦労をかけたなというエピソードであった。

用宗港の用廃の巨大冷凍庫


その後用宗港を訪れた、用宗港はしらすの水揚げ港であったが近年観光地化が進み温泉やブルワリーが建立されてにわかにプチ観光地化していた、この海岸でサーフィンは出来ないと思ったが海岸線沿いに海を眺めるカフェや雑貨屋も出来ておりこんなポテンシャルがあったのかと驚いた、途中親が市内に住む大学時代の同級生と一瞬会うとのことで挨拶を交わしたが案外と僕の事を知っていて父親が僕の話をしていたということに驚きを感じた。前職を退職した際も感じたが意外と僕は評価されているらしい、ひとりで気兼ねなく生きてきたつもりだったが自分の肩に乗る荷の重さに気づいていないだけだったのかもしれない。
そう考えるともっと多くの人に相談し意見を求めていくべきなのだろう。

そういえば傷まみれになったバックビューモニター用カメラの最外層レンズカバーに透明マニュキュアを塗るはずだったが時間を取れなかった、次回のチャンスは5/11-12開催のホビーショー時であろうかと思いながら父親の運転するプリウスαに揺られ最寄り駅に向かっていた。
宿題を残しておくことは重要だ、どんな思いでも持って帰れるものは持って帰るほうが良い。

この文章は3時間半の電車の旅の後に還りついた東京の住まいの近くの日高屋で綴っている。
雨上がりの街からはツツジの香りがする、故郷の街と同じ香りだ。

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