母親を陰謀論で失った


「覚えていることで、一番古いときの記憶はなんですか?」

これは精神科医が、患者の心理状態や考え方を学ぶためにする質問だそうだ。最初の記憶というのはその人の世界観の中核をなしている事が多いため、その人を知るためには役立つらしい。

私の最も古い記憶は2-3歳の頃だ。音楽が大好きな母とラジカセを持って、川沿いのベンチでカセットを聴いていた。
よく晴れていて母と一緒に音楽を聴いている時間が心地よかったのを覚えている。母が楽しそうに「これはサザンオールスターズっていうのよ」と教えてくれた。
その記憶のせいか、私はいまだにどこか楽観的で、のんびりとしている。母との最初の記憶がそのような世界観を作ってくれたんだと思う。

そんな母と、私はもう半年話していない。

「誰が陰謀論者だ!ふざけんじゃねぇ!バカヤローーーーーーーーー!!」とLINE電話で叫ばれ、ガチャ切りされて以来ずっと。
たしかに私は母を「陰謀論者」と呼んだ。それに関しては後悔している。過去に戻れるなら、その言葉は使わなかっただろう。

ただ当時の私は我慢の限界だった。

母親から毎日のようにLINEで来る「コロナは茶番」、「トランプ再選」、「幼児誘拐」、などの、Qアノン系といわれるデマ情報のオンパレード。
自分の肉親が淡々とそんな話をしてくる感覚は、経験した人しか分からない不気味さがあると思う。

電話で大喧嘩をする約1か月前、私は先ず 都内に住む妹に相談した。
「最近お母さん大丈夫かな?なんかやばい宗教とかにハマってない?よく分からんリンクばっかLINEしてくんだけど」
「え?そっちにも行ってる?私にもこんなのが来たよ。なんか今の日本が 中国の支配下にある、みたいなYoutube動画・・」

ほぼ同時期に、わたしの義母からも連絡が来た
「XXくんのお母さんからこんなLINEが来たのよ。ほら、アメリカで幼児誘拐がどうとかいう動画・・・」

「ひょっとしたら母ちゃんはマジでやばい所まで行っているのかも知れない」と思い、すごく怖くなった

母が拡散していたすべての動画やその周辺のニュース記事を読み漁った。
それらの情報は、常識を持っている人間が見ればすぐに「トンデモ」と分かるような内容がほとんどだった。
そのうちの動画の一つは「アメリカ政府はわざとPCR検査数を増やして、 コロナが実態以上に大きな問題であるように見せている」などという主張のものだった。
その動画にエビデンスがあれば聞く価値はあるとも思うが、しょぼくれた男性が一人でスマホ三脚に向かって口角泡を飛ばして喋るだけのYoutube動画だった。
その人には悪いが、こんな人が世界のトップシークレットを知っている訳がないだろうと思った。

「こんな情報を信じる人がいるのか・・・?そうか俺の母親か・・・」と ショックだった。妻が居ないところで母親の写真を見ながら泣いたこともあった。

ある日いつものようにLINE電話で、いかにトランプがこれからの日本とアメリカにとって必要かを母から力説されていた。
その理由も具体的な政策ではなく、「中国の支配下から私たちを救えるのはトランプだけ」だったり「2024年までには円やドルは価値がなくなる」だったり「コロナを世界中に広げた中国のバカヤローに復讐をする」などといった内容だった。
そのような話をする母親からは、私の昔の記憶にあるラジカセで楽しそうに音楽を聴く姿を想像できなかった。恐怖心と猜疑心と嫌悪感に満ちた人間だった。

私は我慢できなくなり、とうとう言ってしまった。「そんな陰謀論ばっかり言ってないでしっかりしてよ!カルト宗教みたいな情報ばっか集めてないで!」
母は一瞬ショックだったようだ。バツが悪そうにしていて、その場ではすぐ電話は切った。しかしすぐにLINEでメッセージが来た。「これだけ証拠が世に出ている中で、これを陰謀論と言うやつはバカだ。真実を知るべきだ」 もう私は限界だった。

その翌日に事件が起きた。いつものように母からLINE電話が来た。第一声が「なんのつもりだよ!」だった。

私が母親の裏で、妹や父親に相談していたことがバレたのだ。「誰が陰謀論者だ!ふざけんじゃねぇ!バカヤローーーーーーーーー!!」
とても良識のある大人から発せられる言葉とは思えなかった。電車で酔っ払い同士が喧嘩している姿を見るようなグロテスクさだった。あまつさえ、自分のお腹を痛めて生んだ子供に対してだ。

確かに私は周辺の家族に「お母さんがやばい陰謀論とか宗教にはまっているんじゃない?ひどくなる前になんとかしなきゃ。普通に恥ずかしいし」のようなトーンで話していた。
それが母親には「息子に陰謀論者と周りの家族に吹聴された」と思ったのだろう。
母はテレビCMを見て涙を流すくらい純粋な人間だったことを、私は誰よりもよく知っている。そして誰よりも頑張り屋さんであることも。
だからこそ、これは本心だが心底心配していたのだ。

「バカヤローーーーー!!・・・・・・”トゥン”」とLINE電話が切れる音がして、私はしばらくフリーズした。スマホを持つ指は震えて何が起こっているのかよく分からなかった。
しばらくボーっとしてから妻のもとに歩いて行って、「やばい電話来た・・・」と起こった事を説明した。
妻もショックを受けていたようだ。「あんなに優しいお義母さんが??」という感じだった。

私は自分の母親を知っていると思っていたが全然知らなかったんだと思う。より正確に言うと、母親の一部分しか知らなかったんだろう。

その一件から数日間は「すぐに連絡が来て、『あのときはカッとなってごめんね』とLINE来るだろう」と思っていた。そう願っていた。
しかし、いくら待てど母からの連絡はなかった。それは今も続いている。 自分からしようかとも何度も思った。しかしその都度踏み出せなかった。

私は母が恋しくなり、母のFacebookページを訪れた。
そこで初めて「ワクチンは殺人兵器」だったり「中国の侵略から日本を守れ」だったり「バイデン大統領は不正選挙で勝った」などのページをフォローしていることを知った。
そしてそれらに「イイね」やコメントをしている常連だった事も。最初それらを見たときには吐き気を催してしまい、しばらく横になっていた。   母親が遠くに行ってしまったように感じた。


そこからは取りつかれたように、コロナのパンデミックに端を発した陰謀論、デマ、信仰宗教系の情報を調べていった。
今にして思うと、母が信じていることや見ていたことを知ることで、   一緒に居るような錯覚に陥っていたのだと思う。
そこで驚いたことは、家族や大切な人を陰謀論やデマ情報で失ってしまった人や、現在進行形で失いかけている人は、私以外にも大勢いることだった。
それはコロナ過のもう一つの災害、インフォデミックという状況だったんだと思う。

――気が向いたら続きを書く――

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