墓場


墓場


未必のマクベス


帰結に向かう旅
旅の終わりはわかってて漕ぎ出す方向もわかってる、みたいな

"昨今は無感動で冷静に戦術・戦略を立て実行していく主人公がトレンド"って風に、いまどき小説の傾向も、若者の傾向もこんな感じ.
損をしたら喚くんじゃなくて時期をじわじわ待ってやり返すとか、上昇志向的で楽観的な風に口をきかないとか、そういうのが売れる時代でそういうのが多く書かれる時代になってきた、と思う.
未必のマクベスはシェイクスピアの四大悲劇のうちのマクベスを主題にそれを現代風に描いたものなんだけど、結末は悲劇の通りにわかりきっててその帰結に向かって終わっていく話だった.
文章は綺麗で読みやすかったし、分厚いわりにさっくり読めた。

ラノベとかはボスを倒すとか明確な終わりがあるんだけど、こういう旅の終わりって波が退くように終わってしまうから慣れないんだなっておもう。


壁の染み

ヴァージニア ウルフ

壁のシミからここまで思考を広げれるのがすごいなあ。オチもなかなか悪くなかった。女性作家っぽい文章だった.
なんで壁のシミについて語るんだろうと不思議だった.
作者の答えは人間は新しいものに惹かれる一方で,想像を掻き立てられるものは古いもの,つまり機能を失ったものってわけだった.


平成くん、さようなら

古市憲寿

「平成とともに安楽死しようと思うんだけどどうかな?」
「いいんじゃない」

平成ってどうやって終わってどうやって令和になったかもう思い出せないや.

平成という一つの時代が終わることに怯えていた.でも安楽死はやめにしてかわりに不老不死を目指す.自分を機械学習させてデータとして生き残る.結局安楽死はしなかったし、なんだかんだで平成の終わりはきたもんだよって話.

なにがよかったかって言われると、安楽死ってわりに悲しい話でもなくて、飼い猫は死ぬし、薬の調合間違えて苦しみながら死んでいく婆さんも出てくるわけなんだけど、まあ、全体的にふたりの温度差はそんなにかわらなくて、

盲目になるのが怖いから死にたいっていうのは、あるかないかで言えばあってよかったんじゃないかな。

右の四番と左の四番とって、お母さんが不穏に、真剣そうになって呟くのあれなにかな、魔法かなってすっごい期待したんだけど、ただの歯医者だった。でも、ああいう話の展開の切り方いいよな。不穏が差し込むの大好きだってなる。


百年泥

経験こそが物語において人物を形作るんだ

青が破れる

みんな死んじゃうからいいよね

慎ましく世界を破壊すること

探し物をしてると時は止まってて、見つかったら時が急に進んでしまって腐ってしまうような気がする。

ハケンアニメ

辻村深月

「リア充どもが、現実に彼氏彼女とのデートでセックスに励んでる横で、俺は一生自分が童貞だったらどうしようって不安で夜も眠れない中、数々のアニメキャラでオナニーして青春過ごしてきたんだよ。だけど、ベルダンディーや草薙素子を知ってる俺の人生を不幸だなんて誰にも呼ばせない。」

こういうオタクに刺さる文章を書いてくれたのですきだった.あの頃のわたしは間違いなく救われた.


大地のゲーム

綿矢りさ

「予想外の不幸を、免罪符のように振り回し。」て生きていくのは逃げであり愚かだ

美しい顔

大学四年間で一番印象深かった本はどれって聞かれたら迷いなくこれを差し出します.

被災地文学を読むにあたって、わたしは非被災者側の人間です.これからも多分そう.いつだってその目線から離れられないし、言ってみれば幸運な観測者でしかない.メディアから供給されるあの惨劇を可哀想って大変だったね、ってそんな目線に立つことがそもそも烏滸がましくて許されない.あれは彼ら達の物語でしかない.いくら被災者の当時の状況や生活の記事を読んだって、わたしは線を引いた平和だった側にいる.
これが、非被災者の前提。作者も非被災者だった.
だから、震災の文学はそれほど難しい。題材があまりに大きい。書こうとしたって非被災者では描けない世界がそこにはあって、生半可に手を出せない。それを書き上げたんだから、すごいと思う。とんでもない罪だと思う。
作者は震災とは関係ないところにいた.連日の報道を布団の中で震えて見ていた、こんな人間が震災をテーマに書いてしまった.それをひたすら罪だと告白していた。せっかくの新人賞なのに、受賞の喜びはなく、小説を書くことは罪深いことだと思います。なんて書き出しから始まる。