世界を変えるには

もう2年ぐらい前の話なんだけど、友達の家に泊まってて、そいつがベッドに寝転んで天井を見上げながら「あー、ビッグになりて〜」って言ったのが妙に頭から離れない。そいつはアメリカに行った。

男以外もひっくり返せる時代である

当時の俺は「おう、がんばれ〜」とかほざいてた気がするんだが、最近の俺は「世界を変える」にはどうすればいいか分かってきた。というか正直、これしかないと思ってる。

じゃあなんであなたはまだそんな燻ってるんですかって話なんだが、それはまあ、一旦置いておこう。で、これは恐らく早めにお披露目した方が、世界を変える人が増えてイイ感じになるはずなので、とりあえず語らせてほしい。

ちなみに今の俺がどれぐらい燻ってるかというと、昨日家の電気とガスが止まった。なぜか水道だけ生きていたので、コールドシャワーを浴びてみた。ジョージ、あれ絶対身体に悪いだろ。厳しいって。




結論から言うと、世界を変えるにはまともな選択をするな。つまり、誰も選ばないものを選べ

まともな選択というのは、よく考えた末の選択、論理的で合理的な選択だ。しかし世の中バカじゃないので、みんな大体そういう選択をする。つまり似たり寄ったりになる。

私たちは物事に直面するたびに、いつも賢明な判断をしようと努めている。問題なのは、他のみんなもそうしていることだ

Paul Arden「PLAY JOB」

しかし、「世界を変える」というのは、「一番になる」ことではなく「違うを生む」ことだ。似たり寄ったりだと違いは生まれない。だから世界は変えられない。

とてもシンプルなことだが、例を挙げてみよう。コペルニクス。彼は、天動説を一番美しく証明したわけではない。彼は地動説を証明した。

コペルニクスだけじゃない。ルターもガリレオもニュートンもマルクスも、[大多数が信じているA]じゃなくて、[あまり信じられていないB]じゃないの?と考えた。彼らが世界を変えたのは、他人とは違ったからだ。

常識的な人間は、世界に自分を合わせようとする。
非常識な人間は、世界を自分に合わせようとする。
だから人類の進化はすべて、非常識な人間の力にかかっている。

Barnard Shaw

ここで、「いや、私はめちゃくちゃ頭が良いから、私がまともに考えたら他の人とは違うよ」っていう人もいるかもしれない。残念ながら、それは間違っている。考えて分かることなら、あなたぐらい頭の良い人がもう既にやっているから。

僕は、これから世の中を進歩させるすごい事のほとんどが、やってみなければわからない事だと思っている。僕にとっての「すごい事」と「すごくない事」を対比するために、僕の頭の中にある「成功の要因」を分解してみたい。これには3つある。

知っていたから成功した事。多くの企業が高学歴を好むのは、知っていれば成功できることがたくさんあるからである。
論理的に考えたから成功した事。「知っていること」を統合し、論理的に結論を導き出す能力(論理的思考)があれば、未来の成功がある程度予測できる。
やってみないとわからないけど、やってみたら成功した事。知識があっても、論理的に考えても結論がでないことは、やってみるしかないのだ。

1と2はすごいと思わない。3はすごいと思う。3の「やってみないとわからない事」がほかの二つと圧倒的に違うのは、データがないということだ。どんなに天才が現れても、勉強できる文書も、論理を組み立てる十分な根拠も存在しない。真剣に思うんだけど、天才が考えたらわかることってすごいかなあ?やってみなくてもすごいとわかるのであれば、もうすでにほかの天才がやってるんじゃない?

古賀洋吉「愛の日記」

そういうわけで、世界を変えるには、みんながやっているまともな選択ではなく、誰も選ばない(=論理的じゃない)選択をしないといけない

ただ、「誰も選ばないものを選ぶ」だけだと少し足りないから、もう少し説明させてちょうだい。

例えばここに、[何かの間違いで3ヶ月放置されてたジュース]があります。飲みますか?やめといた方がいいよね、まともに考えたら。でも、もしそれがぶどうジュースだったら、発酵してワインになってるはずだ。ワインを発見できるのは、まともな選択をしなかった人だけ。

ここには2つの示唆がある。一つは、この種の成功は割と偶然である、ということ。人類で最初にワインを発見した人って、きっと計算じゃなくてたまたまだよね。もう一つは、めちゃくちゃ失敗する、ということ。誰かがぶどうジュースで成功するまで、水とかおしっことかで試して散っていった狂人が沢山いたはず。

「この種の成功は割と偶然である」かつ「めちゃくちゃ失敗する」ということは、最適なアプローチはシンプルだ。全部試す。もっと言えば、報われるか分からないことを全部試す。これに尽きる。試行錯誤していれば、良い「ブラック・スワン」が起こる可能性が高まる。

逆にやっちゃいけないのは、リターンが確実なものにコミットすること。だって不確実性にこそ価値があるわけだから。今俺がぶどうジュースを発酵させても誰もすごいと思わないでしょ。みんな知ってるんだもん。

何かに挑戦したら確実に報われるのであれば、誰でも必ず挑戦するだろう。報われないかもしれないところで、同じ情熱、気力、モチベーションを持って継続しているのは非常に大変なことであり、私は、それこそが才能だと思っている。

羽生善治

そういうわけで、世界を変えるには、誰も選ばないものを選んだあげく、めちゃくちゃ失敗しながら、報われるか分からないことを全部試す。

…え、それ、大丈夫なの?




大丈夫どころか、より優れている(かもしれない)。

全然話変わるけど、みんなは春日がボツにしたギャグ覚えてる?マジで覚えてないよね。でもトゥースは覚えてるじゃん。イチローのセカンドゴロも覚えてないけどwbcのセンター前ヒットは覚えてるし、ミスチルのクソ曲も覚えてないけどInnocent worldは覚えてる。つまり、他人はその人の大成功だけを覚えていて、失敗は忘れてしまうものなんだよね。で、一度大成功してしまえば、その実績でさらに新しいチャンスが舞い込んでくる。成功のリターンと失敗のコストには非対称性があるってわけ。

一方で、失敗というのは自分でコントロールできない。例えば不況って自分のせいじゃないじゃん。でも会社潰れたりクビになったりする。何も悪いことしてないのに、勝手に負けさせられるイベントが定期的に発生するわけよ。つまり、成功する時はリスクを背負った奴だけが成功するのに、失敗する時はリスクをとってもとらなくても失敗する。そういう時にみんなと同じことをしてきた奴は弱い。いくらでも代わりはいるし、誰からも覚えられてないから。

まとめると、誰も選ばないものを選んで失敗しても、みんな忘れるから大した影響はないし、一度成功したらそのリターンには限度がない。でも、みんなが選ぶものを選ぶと、いくらでも代わりがいるから、何かが起こった時に即退場になる。つまり、まともじゃない選択というのは、短期的に見ると狂ってるけど、長期的に見ると「ブラック・スワン」に強く、むしろ安定する可能性があるということだ。

そういうわけで、世界を変えるには、誰も選ばないものを選んだあげく、めちゃくちゃ失敗しながら、報われるか分からないことを全部試す。それは、長い目で見たらむしろ安定する。




ここで、全く別の角度から一つの問いを投げかけたい。それは、そもそも、人生は結果を追うゲームなんだろうか?ってこと。

いやいやお前、世界を変えるって結果の話してきたのに、何言ってんの?って思うかもしれないけど、とりあえずこの会話を読んでほしい。

さんま:昔ね、うちの師匠(笑福亭松之助)から言われて、これは助かったなということがありまして、我々の弟子稼業というのは、掃除をさせられるじゃないですか。で、掃除をしていると師匠が、「それ、楽しいか」って言うんです。「いいえ」って答えると「そやろ」って。「そういうのが楽しいわけがない」と、おっしゃるんですね。

糸井:うん、うん。

さんま:そのときに、師匠に、「掃除はどうしたら楽しいか考えろ」って言われたんですけど、そこでしたねぇ。あの、掃除なんて、楽しくなるわけがないんですよ。ところが、「楽しくなることを考えてることは楽しい」っていうところにね、18歳のときに気づかせていただいたのが非常に助かりましたね。(中略)ふつうの人は、「掃除は楽しくない」というところでやめてしまう人が多いんじゃないかと思うんですけど、楽しくないものをどうすれば楽しいか、ということを考えていくと楽しいんです

糸井:それを考えているときは、もう、楽しいんですよね。(中略)それは、ハズレくじを引くどころか、ハズレくじを引いて、それをどう笑うかを考えてるわけですよね。

さんま:そうそうそう。そこにたどり着くことが、さっきの夢と現実の話じゃないけど、「入れ換える」ことなんですよ。

ほぼ日「さんまシステム」

これはどういうことを言ってるかというと、本来プロセスはゴールを達成するためのものなんだけど、実はプロセスをゴールに錬成できるんだよ、ってこと。

例えば、みんなマリオブラザーズやったことあると思うんだけど、あれってピーチ姫を助けたくてやってるの?違うよね。どっちかというと、ピーチ姫を助けるのはおまけだよね。難しいコースをクリアできたり、1-1で無限1upしたり、隠された土管を見つけたりするのが楽しいんだよね。

ポケモンもそうじゃん。本気でポケモン図鑑埋めたくてやってるわけじゃなくて、捕まえたり育てたり倒したりするのが楽しくてやってるわけじゃん。つまり、強くなること、成長していくプロセス自体が真のゴールに入れ替わってるんだよね。

俺が思うに、人生というゲームも同じなんだわ。

だって、人生のゴール(=終わり)って厳密に考えると何よ?「死」でしょ。そう、死でしかないのよ。人生の行き着く先には何もない。だから、そこに真のゴールはない。ということは、人生の真のゴールは、見せかけのゴールじゃなくてプロセスにあるってことになる。

じゃあ、人生のプロセスって何よ?「生きること」だよね。だから、俺たちの真のゴールは「生きること」をやること、すなわち、今を思い切り生きること、ということになる。つまり俺たちは、今を思い切り生きてさえいれば、その時点で人生のゴールを達成している

今を思い切り生きると、結果がどうでもよくなってくる。衝動に駆られて、「誰も選ばないものを選ぶ」。案の定「めちゃくちゃ失敗する」。でも「報われるか分からないことを全部試す」。その時、安定するかどうかなんて、どうでもいい。なぜなら、瞬間ごとに生を実感し歓びに満たされていくから。それをさんまさんはこう表現した。

生きてるだけで丸儲け

明石家さんま


これで「世界を変えるには」という問いに対する、俺の答えが出揃った。

世界を変えるには、誰も選ばないものを選べ。必然的に、めちゃくちゃ失敗するし、報われるか分からないことを全部試す必要がある。このアプローチは一見リスキーに見えるかもしれないけれど、成功のリターンと失敗のコストには非対称性があるから、長い目で見るとむしろ安定する。

しかしそもそも、人生の真のゴールは結果を出すことではなく、生きるというプロセスにある。誰も選ばないものを選んでいる時点で、今を思い切り生きているので、既に人生の真のゴールを達成しており、結果がどうなろうと生きてるだけで丸儲けである。




いや、長えわ!!!!!!

ってなってますよね。あの、まあ、別に、今すぐ変われ!って言ってるわけじゃないから。でも、もしその時が来たら、この記事を思い出してほしい。そして、一度だけ勇気を出して、無茶な選択をしてみてほしい。そうすると、今まではなかったような考えが浮かんでくる。そしてその考えが、さらに新しい考えを呼び起こしてくれる。そうやって、気づいたらありえないところまで到達できるはずだ。

実際に「誰も選ばないものを選ぶ」と、批判と嘲笑と説教が待ってる。でも、そんなもん全部踏み倒せばいい。まともな選択をしてきたはずの大人たちが作った世界もうまく行ってないんだから。会社は潰れるし、戦争は始まるし、コロナは流行るし。ましてや、これからの世界はそんなことの連続だ。今の段階で予測なんかしたって、当たるわけがない。だったら、勇気を出して自分の感性を信じてみようよ。

ハチマキ巻かされて塾行って勉強してる小学生っているじゃん。ほんと哀れで仕方ないよ。一生懸命ガキの頃から幼稚園、小学校と勉強して、良い高校、良い大学に行って。それは最終的に良いところに就職させるための一大プロジェクトだったわけだ。でもさ、そんな会社も速攻潰れる世の中になったんだよ。そういうヤツは、会社が潰れた時に弱いよ。ポキっと折れる。他に何の訓練もしてないんだもん。

今の二十歳の人に言いたいことは、今の考えのままで間違いじゃないんだからいいんじゃねぇか、ってこと。こうやって世の中が弱ってきて、大人はアレコレ言うけれど、君らのことを思いやって言ってるわけじゃないんだから。思い通りにしようと思ってるだけなんだから。けれどそれに従った人は会社に入ってもフリーになっても伸びないよ。「こいつにはなんかある」って思わせるのは結局そういう部分じゃん。人の能力というのはそういうことで、考え方とかイメージの大きさなんだと思う。

リリー・フランキー「二十歳の君へ」

そしてもし、これを読んでいるあなたがもう誰も選ばないものを選んでいるんだとしたら、多分今あなたはめちゃくちゃ失敗しているでしょう。めちゃくちゃ燻ってるでしょう。コールドシャワーを試して、二度とやらないって思ってるでしょう。同志として一言、絶対に自信をなくさないでほしい。

あの一年を通じて学んだこと。それは、本当の意味で自分を信じるということは、自分は必ず成功すると思い込むことではなく、失敗しても立ち上がれる自分の強さを信頼することだということです。

物事には常に運・不運がついて回ります。どれほど努力しても、残念な結果に終わってしまう可能性はある。でも、昨日まで分からなかったことを知ろうとする行為、めげてもまた立ちあがろうとする姿勢は、どんな結果になろうとも輝かしくて、意味のあることなんです。

ペンギン伯爵「oasisのwhateverをおすすめしたい」

そして凹んだ時は思い出してほしい。俺たちがこうして生まれてきたこと自体、天文学的な確率で、めちゃくちゃラッキーなんだってこと。そして、結果がどうなろうが、思い切り生きている時点で、既に真のゴールを達成してるってこと。何より、生きてるだけで丸儲けなんだってこと。

ーーー

…そういえば、アメリカに行ったあいつ生きてんのかな。連絡ないけど、ビッグになったのかな?まあ、どっちでもいいか。

生きてさえいれば。

黒いアスファルトの上
赤、青、黄色のチョークで絵を描く
子供らはオレンジ色の夕焼け小焼けを
なごり惜しそうに家路を急ぐ また明日

この頃あのバカ 連絡ないけど
アメリカ行ったかな
そういえば今朝
ぜんぜん関係ないヤツに
留守電入れたの 今気づいたよ

あのコにあいたい
あのコにあいたい
夢でもいいから

何もかも間違いじゃない
何もかもムダじゃない
たったひとつの輝きになれ
人はみな一度だけ 生きる

トータス松本「明星」

(完)




ーーー

番外編(参考資料)

ここに書いたことは、俺が今まで触れてきたものの受け売りです。特にこれらのブログや本には高校生の頃からお世話になりました。本当に感謝しています。みんなもぜひ原典に触れてみてね。


あと、これを読んで、あー、自分は世界を変える側にはなれないわって感じた人もいると思う。中には、何らかの事情で、選びたいものを選べない人もいると思う。俺は、その選択を100%尊重する。

ただ一つだけお願いがある。それは、誰も選ばないものを選んだ人への見方をほんの少しだけ変えてほしいということ。

皆がブレーキを踏む場面でアクセルを踏む人たちは、タイミングが良ければ英雄扱いだけど、悪ければ狂人として貶される。でも、太古の昔に氷を渡って日本列島にきたのは、こういう人たちなんだよね。こういう人たちがいなかったら、俺たち今この島にいない。だから、嫌うのは全然良いんだけど、少しだけ見方を変えてみてほしい。

もし、あなたがそういう人たちに対して少しでもリスペクトを持つことができたら、人が人を裁こうとするその指を少しでも止めることができたら、その時点であなたも少し世界を変えることになってるんです。

多分。


(ほんとに完)

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