この先の世界について

祖父の家に遊びに行った。祖父を見ながら、もし自分に孫ができたら、きっと祖父を思い出すんだろうと思った。50年後の自分は、孫にどんな背中を見せることになるんだろうか。

今回は世界がこの先どうなっていくと考えていて、その上でどういう国を作っていきたいのか、ということを書く。

この先の世界がどうなるかは本当に俺たちにかかっている。色んな可能性がある。選択次第では、台無しにすることもできてしまう。でも同時に、一人一人が素晴らしい未来を作る力を持っている。

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まずは経済について。今の経済はデジタル革命の真っ只中にある。

1990年代に始まったデジタル化の本質は、ある製品を実現する要素が機能分化することだ。例えば、iPhoneは何でもできるけど、Appleが何でも開発してるわけじゃない。でもプリウスだったらそうはいかない。エンジンからブレーキまで、トヨタが設計する必要がある。これは、ソフトウェアは異なる要素を繋げやすく、ハードウェアは繋げにくいという特性によるものだ。

機能が分化すると、外製化が可能になる。そうすると、リソースが少ないチームでも何かしら担当できるようになる。その結果、スピードとアイデアに優れる少人数の変人集団=スタートアップが勃興した。その一方で、社内で綿密に擦り合わせて一つの完璧な製品を作ることに強みをもっていた日本の大企業の多くは競争力を失っていった。

しかも、ソフトウェアはコピーが容易なので圧倒的にスケールしやすい。その結果、勝者総取りになりやすい。例えば、ウォルマートは一気に100店舗も増やせないけど、Amazonは創業後すぐにアメリカ中のインターネットユーザーにアクセスできた。ユーザーからしてみれば、どのサイトに行く手間も同じなので最高の体験を提供してくれるAmazon以外を使う理由がない。こうして、GAFAを筆頭に多くの巨大IT企業が誕生した。

デジタル化した経済で最も重要な資源は「知的に高度な人材」である。このトップ人材を世界中から集めることに成功しているのが、自由と資本主義の国アメリカだ。しかしそんなアメリカもよく見ると、シリコンバレーとそれ以外では全く様相が異なることがわかる。アメリカが凄いのではなく、シリコンバレーが凄いのだ。これからの経済力・富の在処は国単位ではなく都市単位、さらに言えばコア集団単位で捉える必要がある

しかし、コア集団単位で捉えるのは非常に難しい。人と人の力関係は常に変わるし、個々人も様々な場所を行き来する。例えば、Microsoftはアメリカの企業だけど、CEOを含め主要な人材の多くをインド人が占めている。もしアメリカがめちゃくちゃな規制を作ったら、彼らはインド(バンガロール)に帰るかもしれない。そうなると、Microsoftは急速に力を失うことになる。インドに帰った彼らは集まってスタートアップを立ち上げるだろう。それが大成功したとしても、凄いのはインドではなく彼らのネットワークだし、富は彼らが独占するし、税金はパナマで収めるかもしれない。企業に対する国家の規制・対応はますます難しくなるし、「国力」という概念自体少しずつ陳腐になっていく

まとめると、デジタル化が進む経済においては少人数のスタートアップが有利で、かつ勝者総取りとなる。そうなると、一握りの勝者と大量の敗者が生まれることになる。もちろん世の中は便利になった。 でも、同時にものすごい格差も生まれた。しかも勝者の在処は捉えどころがない。

この傾向は、今後さらに加速する。今までアナログだった重厚長大な産業も含め、あらゆる産業のデジタル化がこれから本格化していくからだ。また、次の二十年で極めて重要な3つの分野(コンピューティング・バイオ・クリーンエネルギー)のどれも、デジタルとは切っても切り離せない関係にある。AIを駆使して、これまでよりさらに少ない人数でユニコーンを作るチームも出てくるだろう。工業化の時代と違い雇用は創出されにくく、富の寡占はとどまることがない

確かに、イノベーションは多くの恩恵を生む。治せなかった病気を治す。地球に住めなくなるのを防ぐ。他にも色々なことができるようになる。これはとても価値のあることだし、偉大な挑戦だ。でも、イノベーションが必ずしも人を幸せにするとは限らない。野生化したイノベーションには負の側面も存在する。続いて、ここまで見てきた経済のあり方が、政治・社会にどう影響するのかを見ていく。

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政治・社会について。先述した経済のあり方は、危うい国内・国際情勢を作り出している。

世界各国で格差が拡大し、その格差はSNSを通じて可視化された。今までは見えなかった格差が知られ、「生まれによって人生が決まる」という考えがより説得力を持ち始めた。また、移民が流入する国々では価値観や文化が多様化し、あらゆるジャンルで旧来の論理や感覚が通用しなくなったため、疎外感を持つ人も増えた。

このような状況で、イノベーションとグローバリゼーションによる失業者が増大すると、怨嗟や分断が生まれる。「自分が仕事を失ったのは、AIのせいだ(=イノベーション)、中国のせいだ(=グローバリゼーション)、移民のせいだ、生まれのせいだ」と。仕事を失うまでいかずとも、現状に不満を抱える人々は沢山いる。「なんで自分はこんなに不遇なんだ」という格差への不満や「昔はこんなことなかったのに」という変化への不満は、「自分は国に見捨てられている」という感覚につながる。

そうすると、この感覚をうまく掬い上げ、分かりやすい敵を作る政治家がのしあがっていくようになる。中道の政治家が全く当選しない状況を前に、既存の政治家も主張を極端にしていく。イギリスのEU離脱やアメリカのトランプ当選はその帰結であり、この流れは止まることがない。一番分かりやすい敵は外国だ。海外に敵を作れば国内の誰も傷つけずに済むので票を獲得しやすくなる。したがって、今後国際関係は緊迫化しやすくなるだろう。

ご存知の通り、国際情勢は既に緊迫した状態にある。アメリカを中心とする民主主義国家と、中国・ロシアを中心とする権威主義国家の対立は日に日に深まっている。ロシアのウクライナ侵略は、経済制裁の効果の薄さや核保有国の侵略を終わらせる難しさを浮き彫りにし、何より21世紀においても大国間で戦争が起こるという先例を作ってしまった。また、自由貿易の恩恵を受け経済大国となった中国は、アメリカの先端技術や個人情報を軍民融合で盗みつつ、南シナ海では違法な軍事進出を続けており、米中は2017年以降実質冷戦状態にある。

今後、覇権を争う米中が台湾海峡で衝突するリスクは非常に高い。中国はアメリカによって自国の立場が脅かされていると本気で考えている。奇しくも、かつて日本陸軍の永田鉄山は「米英に気兼ねしていては、真の自主独立は達成できない」と述べていた。当時の日本は今と比べてよほど"独立"しているように見えるが、それでもその後日本は戦争を選択した。太平洋上での米中の戦力は通常戦力・核戦力ともに均衡しつつあり、中国が優位になる2020年代後半から2030年代前半にかけてはいつ戦争が起こってもおかしくない。

新たな戦争では陸・海・空に加え、サイバー・認知領域も戦場になる。これは①国の有するIT技術/計算能力が戦力に直結すること、②AIを利用したSNS上の世論工作が行われることを示唆している。したがって、有事と平時、軍事分野と非軍事分野の境目が曖昧になる

それが顕著に表れているのが、半導体産業の支配権を巡る米中の抗争だ。2022年にアメリカは貿易規制を改正し、先進的な半導体技術・製造装置・技術者が中国に渡ることを禁止した。これらの措置はいわゆる経済安全保障の一環で、この流れはEVなどのクリーン技術やAIなどのコンピュータ関連技術に波及するだろう。つまり、完全な自由貿易の時代は終わった。官僚統制によって自由競争は制限され、消費者の便益は損なわれる。アメリカやEUはデカップリングを否定するが、このままだと二次大戦前のブロック経済の再来となり、世界経済は長期にわたり深刻な打撃を受ける。もしかするとまた「持たざる国」が生まれてしまうかもしれない。

“Globalization is almost dead. Free trade is almost dead. I really don’t think they will be back for a while."

TSMC創業者 Morris Chang(2022年12月)

まとめると、まずデジタル化とそれに付随するイノベーションが格差の拡大をもたらす。その結果、各国内では怨嗟と分断が生まれ、既に緊張状態にある国際関係にも悪影響を及ぼす。さらに、各国間の対立が国際経済を縮小させる。このように、全てが絡み合いながら世界は危険な状況に陥っている。

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さて、このような歪みが溜まっている背景の中で世界恐慌が起こったらどうなるだろうか。あるいは、衝撃的な事件や大災害が偶然起こったらどうなるだろうか。

戦争が起こる可能性は非常に高い。敗戦国では革命国家の崩壊が待ち受けている。それが歴史の答えだ。これらが"Equalizer(=全てを均すもの)"として発動することになる。確かに、ピケティの言うように戦争は格差を縮小させるかもしれない。しかし富を生む力が特定のコア集団に属する今、格差はむしろ拡大するかもしれない。ただ間違いなく、怨嗟も分断も消えることはない。大量の人間が殺され、果てしない憎しみと哀しみが残るだけだ。

ここまでが世界がこの先どうなっていくか、という問いに対する自分なりの答えだ。俺もこうならないことを願っているけど、残念ながら最もあり得るルートだと思う。俺は、国境やしがらみを超えて人の役に立てるというビジネス(商い)の一面が大好きだったから、このような状況は純粋に悲しい。

これを読んでいるみんなは、今までのようにビジネスができる世界が当たり前ではないということを認識してほしい。熱狂は続かないし、明日何が起こってもおかしくない。ピラミッドを必死に登っても、そのピラミッドごと倒れるような時代が来ている。だから、変わりゆく世界で本当に大切なものは何か、自分なりの価値基準を作り上げることが必要なんだ。

どのみち既存の秩序は崩れつつあるので、新しい世界のあり方を考えてみたい。ここまでの議論を踏まえて、俺がどういう国を作っていきたいか説明していこう。

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こんなに暗い見通しをもって一体どう国を作っていくというのか。俺は、石橋湛山(1884~1973)の考え方がヒントになるんじゃないかと考えている。

石橋湛山は、東洋経済の記者(社長にもなった)で、吉田内閣で大蔵大臣、鳩山内閣で通産大臣を務めてから首相になったジャーナリスト・政治家だ。ただ社長だとか首相だとかはどうでもよくて、俺が凄いと思うのは、石橋湛山が1921年の時点で日本は植民地を全て捨てるべきだと言ったことだ。

例えば満州を棄てる、山東を棄てる、其他支那が我国から受けつつありと考うる一切の圧迫を棄てる。其の結果はどうなるか。又例えば朝鮮に、台湾に自由を許す。結果はどうなるか。英国にせよ、米国にせよ、非常の苦況に陥るだろう。何となれば彼等は日本にのみ斯くの如き自由主義を採られては、世界に於ける其道徳的位地を保ち得ぬに至るからである。

其時には、支那を始め、世界の弱小国は一斉に我国に向って信頼の頭を下ぐるであろう。印度 、埃及 (エジプト) 、波斯 (ペルシャ)、ハイチ、其他の列強属領地は、一斉に、我れにも自由を許せと騒ぎ立つだろう。

之実(これじつ)に我国の位地を九地の底より九天の上に昇せ、英米其他を此反対の位地に置くものではないか。ここに即ち「身を棄ててこそ」の面白みがある。

「東洋経済新報」1921年7月23日号

一次大戦直後の1921年、国際連盟の五大国(英仏米日伊)は植民地を手放すつもりはなかったし、当時の日本の国策や世論は植民地支配を強化する方向だった。しかし、石橋は植民地を捨て軍を縮小しても日本は貿易で十分に繁栄できると喝破した(この時点で石橋は日米開戦も危惧している)。ここで大切なのは、彼は単に綺麗事を述べたのではなく、それが経済的にも合理的だと主張したことだ。

即ち貿易上の数字で見る限り、米国は、朝鮮台湾関東州を合せたよりも、我れに対して、一層大なる経済的利益関係を有し、印度、英国は、それぞれ、朝鮮台湾関東州の一地乃至二地に匹敵し若しくはそれに勝る経済的利益関係を、我れと結んでおるのである。若し経済的自立と云うことを云うならば、米国こそ、印度こそ、英国こそ、我経済的自立に欠くべからざる国と云わねばならない。

「東洋経済新報」1921年7月30日

この社説から実に半世紀後、世界中の植民地は独立を果たした。なぜ石橋の"逆張り"は現実となったのか?それは、彼が人類にとって普遍的に正しいことを主張していたからだ。あるいはこうも言えるかもしれない。石橋があの時点でああ言えたのは、彼が長い目でみて正しく物事を考えたからだと。

実は、同じような考え方をする人間がもう一人いる。俺が尊敬してやまない実業家、孫正義さんだ。彼はこう語っている。

川の上に浮いて流れている葉っぱは、右に左に、ときには石や岩にぶつかって逆流したり渦を巻いたり、激流であればあるほどとてもまっすぐ流れているようには見えない。でも、それは近くで見ているからであって、1キロ、2キロ離れたところから見れば一直線なんです。川上から川下へ。物事はシンプルなんです。大きな絵で見れば。

つまり、これだけ変化が激しい、海で言えば、波高く荒れているときに、3メートル先を見ておったら海の景色が揺れに揺れて、船酔いを起こしてしまうわけです。だからこそぼくは逆に、あえて100キロ先、300キロ先の遠くを見てみる。そうすると、景色はほとんどぶれずおだやかなんです。

彼らの考え方をヒントにすると、国をどう作っていくか、という問いに対する原則が見えてくる。それは、「長い目で見て人類・世界が向かうべき方向を考えて、それと国の向かう方向を一致させる」ということだ。この原則を踏まえて、具体的な方針を考えてみたい。

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(ここからは俺の考えがメインになるので注意)

長い目で見て人類はどこに向かっていくべきか。その観点からみると、俺は国を作っていくにあたって2つの方針を立てられると考えている。一つは、自由・民主主義・法の支配をベースに、イノベーションが絶え間なく起こる場所にすること。もう一つは、イノベーションが生む格差に対処すること。それぞれについて説明していきたい。

①自由・民主主義・法の支配をベースに、イノベーションが絶え間なく起こる場所にすること。

まず、自由、民主主義、法の支配。この3つは社会にとって何よりも大切なことだと俺は信じている。別に難しい話じゃない。誰かを批判しても牢屋に入れられない。みんなのことはみんなで決める。誰かが悪いことをしたら前もって決めておいたルールに則る。もちろん欠点はあるけど、これは人類がとてつもない犠牲と時間をかけて辿り着いた答えだと俺は考えている。

その上で、人類は今、地球規模の課題に直面している。人類は「このままだと存続できない」という事実に気付き、新たなフェーズを迎えているのだ。人類存続のために、しばらくは気候変動やパンデミック、将来的にはエネルギーや宇宙が重要なテーマになるだろう。これらの領域で、人類はさらに多くのイノベーションを必要としている。だから、国としてはその担い手となる変人を育成したり、連れてきたりする必要がある(ちなみに、そういう人たちが来たいと思うためにも自由・民主主義・法の支配は守りたい)。

基本的なコンセプトとしては、国はもっとオープンになり、出自に関係なく共生し、失敗を許容し、どんどん面白いことに取り組んでもらうプラットフォームのような状態を目指すのが良いと俺は考えている。例えば、日本人が創業したけど拠点は日本じゃない。本社は日本だけどチームはグローバルすぎてどこの国の会社かよくわからない。海外から日本に創業しにくる。日本から海外に創業しにいく。半分日本、半分海外。まさにカオス。しかしカオスで結構。そうでないとイノベーションは生まれない。

世界中から「日本に住んでみたい」と考える人がやってきて、肌や目の色が違う「新しい日本人」がこれからの日本を創っていく社会が当たり前になっていかねばならない。世界中から日本にやってきた人が、逆に「純日本人」に対して「君たちは日本人のスピリットを失っていないか」と叱るぐらいになるべきなのである。
(中略)
日本という国は歴史的に見ると、アジアの中のリスクテイカーが集まってくる国だったのである。我々はもう一度、日本をフロンティアとして、その勇敢な精神を取り戻す必要があるのではないだろうか。

瀧本哲史「君に友達はいらない」

もちろん、この実現のためには、本気で"Diversity & Inclusion"(=多様性を認め合い、誰も除け者にならない社会を作ること)に取り組まなければならない。これはかぶき者を嫌う同調的な日本社会にとってキツいことだ。多くの痛みを伴うことになる。でもそもそも俺らの血には色んな血が混ざっている。単一民族の純日本人なんてのは幻想だし、自分のアイデンティティを自分から縛る必要はない。

人は絶え間無く交代する物質の乱舞らしいから、家の目のまえの定食やさんでごはんを食べてた。となりの男が民主党の悪口(多分)。在日韓国人の議員が外国人参政権を主張してる、鳩山が日本列島は日本人だけのものではないと言った、けしからん、と怒ってた。でも、あんたどうみても渡来人の子孫だよ。顔が。と思った。僕らに先祖の記憶があるわけじゃない。パパやママが日本人なら日本人な気がする。ほんとはそれだけのこと。日本列島なんか誰のものでもない。人も動物も植物も、純血混血を繰り返して辿り着いた場所で生きていくしかないんだ。絶え間無く交代する物質の乱舞を愛せないなら鎖国してくれ。

小山田壮平「大陸顔のアンチコリアン」

"Diversity & Inclusion"を考える上で大切なのが、時間軸だ。ヨーロッパのように、何も考えずにいきなりどっと移民を入れても、外見も内面も違うんだからお互い分かり合えるはずがない。でも学童の子供達を見ていると(ボランティアをしていて思うけど)、人種や出身が違っても普通に仲良くしている。だから、時間をかけるほどうまくいきやすくなる。孫正義さんのように時間のスケールを大きく取り、300年単位で物事を考えることが必要だと思う。

まとめると、自由・民主主義・法の支配をベースにイノベーションが絶え間なく起こる場所を作る、というのが一つ目の方針で、そのためには変人が集まるプラットフォームとして国を開放しつつ、時間軸を大きくとって"Diversity & Inclusion"に取り組むことが大切ということだ。

続いてもう一つの方針。

②イノベーションが生む格差に対処すること。

冒頭で説明したように、イノベーションは大きな格差を生む。そしてこの格差が、現在の危険な社会情勢を作り出している。もちろん、個人の所得は市場原理で決まるし、これを歪めることは(社会主義国の末路を見れば分かる通り)悲惨な結果を生む。でも、このまま進んでも世界は破綻する。人類が存続するためにはイノベーションが必要だが、イノベーションが持続するためには格差に対処しなければならない。特に、エッセンシャルワーカーの人々の生産性を上げて、快適な生活ができるようにすることは、この世代全体のテーマになっていくべきだ。

そこで、じゃあ快適ってなんだ?そもそも格差ってなんだ?ってことを考えないといけないんだけど、これはかなり難しい話だ。

俺は最近トラックドライバーの助手をしたり、物流センターで働いたりしている。最低賃金だし、肉体的にもキツい。でも、社会を縁の下で支える、なくてはならない(=エッセンシャルな)仕事だ。ここでは色んな人が色んな理由で働いている。生活がギリギリの人もいるし、そうでない人もいる。優しい人もいるし、そうでない人もいる。でもそれも職場でつけている仮面かもしれないし、裏では豊かな人間関係があるかもしれないし、一人でも丁寧な暮らしをして満たされているかもしれない。もちろん、そうじゃないかもしれない。

同時に、バンガロールや深圳で、桁違いの金持ちの世界を覗いたりもしている。そこで何となく感じているのは、金持ちはどこに行っても似たり寄ったりだということだ。高いところに住んで、ブランド品を買って、綺麗な人と付き合う。間違っても海の上にデカい図書館を作って屋上でサイファーしたりはしない。彼らの中には満たされている人もいるだろうし、そうじゃない人もいるだろう。

格差と一口に言うけれど、その実態は隣で見ないと分からないし、隣で見ても本当のことは分かりやしない。そもそも、何が幸せなのかなんて、その人にしか分からない。お金がないと困るけど、お金があるから幸せなわけでもないし、お金がないから不幸せなわけでもない。だから、この問題を語るときは、まず自分に知らない世界があることを認識し、その知らない世界に対してリスペクトを払うことが条件になる。

日本の場合、海外とは異なる状況にあるということも理解する必要がある。極端な富裕層と貧困層に分化し、人種差別ともリンクして事態が複雑化した欧米諸国とは異なり、日本は富裕層が富まないまま、中間層の所得が減少するという現象が発生した。したがって、日本の格差の根源は再分配のまずさではなく競争力の低下にあり、これはイノベーションの増加によって対処するしかない。ただ、既に「上級国民」「親ガチャ」という言葉が市民権を得ており、今後日本がイノベーションを増やそうとする限り格差は拡大していくので、やはりこの問題を避けて通ることはできない。

結局、幸せは人それぞれなので、国が個人を幸せにすることはできない。ただ、幸せを阻む要素を減らすことはできる。幸せを阻む不快な要素がない状態(≒快適な状態)を作るために、何ができるかを考えてみよう。

まず、一番避けなければならないのは今の社会保障やインフラがなくなることだ。だから、これが持続するように再構築する必要がある。例えば、今後病院診療の自己負担割合は上がるだろうし、保険の適用範囲も狭まるだろう。でも、電子カルテを共通化したり治療の効果を測定したりすることで、医療制度自体の生産性を上げれば、「身体を治す」という本来の目的は果たせるかもしれない。リソースは減っても目的から逆算してシステムを再構築すれば、必要な機能を保つことはできる

もう一つ、自分が努力したところでどうにもならないという感覚が生まれる社会にしてはいけない。「生まれによって人生が決まる」と思えてしまう社会は間違いなく活力を失う。したがって、できる限り世代間の流動性を高める必要がある。恐らくそのためには教育への投資が重要なのだが、これに関してはまだ知識が足りないのでこの辺にしておく。富の再分配を行うことは前提だが、それ以上に社会をうまくデザインすることが求められている。

まとめると、イノベーションが生む格差に対処するというのが二つ目の方針で、まずは格差を捉える難しさを認識する必要がある。その上で、社会保障/インフラを効率化して持続させ、教育に投資して世代間の流動性を高めることで、幸せを阻む要素を減らしていくということだ。

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…こんなところかな。正直、どうすればいいのか全然わかっていない。これだけで解決するとも思っていないし、まだ見えていないことも沢山ある。それにしても、今世界こんなことになってんのかよって、暗澹とした気持ちになるよね。

でも、そんなに暗くなる必要もないかな、とも思う。冒頭で話した俺の祖父は、あと二週間降伏が遅かったら戦地に召集されていた。残されたのは一面の焼け野原。でも、当時の人々はそこからこの国の最繁栄期を築き上げた。時代のうねりの中で何が起きようとも意志は受け継がれ、物語は続いていく。そして、誰もが登場人物として行動を選択する自由がある。

だから、絶望してはいけない。必ず手はある。

"In the seventeenth chapter of St. Luke it is written: "The kingdom of God is within man." Not one man, nor a group of men, but in all men! In you! You, the people have the power! The power to create machines. The power to create happiness. You, the people have the power to make this life free and beautiful, to make this life a wonderful adventure!"

「ルカの福音書第17章にはこう書かれている。「神の王国は人間の中にある」と。一人の人間にではない、一部の人間にでもない、全ての人間にだ!君達の中にあるんだ!君達、人間には力がある!機械を作り上げる力が。幸福を生み出す力が。君達には人生を自由で美しく、素晴らしい冒険にする力があるんだ!」

チャップリン「独裁者」より

この先の世界がどうなるかは本当に俺たちにかかっている。色んな可能性がある。選択次第では、台無しにすることもできてしまう。でも同時に、一人一人が素晴らしい未来を作る力を持っている

大切なのは、自分の頭で考えることだ。そして、自分の力を信じること。

俺は自分の孫に背中を見せる準備はできている。


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