よくわからない

この文章は就職活動が煮詰まり、やりたくない仕事に就く前に少なくとも今1番やりたい仕事、アニメーターになってみようと。

そうしてアニメ会社に内定を貰い、給与と雇用形態と将来と自己への絶望が頂点に達した1月25日に1時間ほどで書き散らした文章です。

1月25日に書かれたこの文章は、今の僕の苦悩に直結する内容で、かつ僕が仕事を辞めるに至った理由でもあります。

当時の僕はこの気持ちを“よくわからない”と題していますが、今の僕が題名をつけるなら“だから僕は仕事を辞めた”になるでしょう

あえて誤字脱字は修正せず、改行もしていません。

読みにくいですが、これからアニメーターになろうと思っている人はこの文章を読んで、少しでも思い当たる節がある場合は諦めてください。

人と環境によほど恵まれないと続きません









何がしたいのか分からず漠然と夢を追っているが、そもそもそれが夢なのか、はたまた一般企業からの逃避であるのかが全く分からない。

自分の周囲には創造的な、自分と同じようなことをやりたいという人間はいなかったし、それ故に自分がどうやってその目標に向かえばいいのかもだよく分かっていない。Twitterやその他SNSにそう言った人間はいくらでもいるが、どうも身近に感じられず、自分と彼らを同一のものとして認識することも出来ない。そういった意味で、僕は会社に行き、自分と似たような人間を周囲に大量に配置する、そんな状況を欲しているのかもしれない。焦りと嫉妬だけが増えていき、何もできない、していない自分の現状と、Twitter上の無限にも感じられる絵の美味い人間とを比較しては、日々漠然としたあきらめが募っていくばかり。

現実からの逃避か、はたまた夢を追ってなのか、それすらもよくわからないまま状況だけが不可逆に進行していく恐怖に耐えられそうもなく、金もなければ計画もなく。自分がどういったレベルなのか、食っていける水準なのかも定かではなく、周囲にいる人間に相談することも出来ない。

親に合えば、当然だが金の話ばかりをされ、食卓で同じ時間に夕食をとることもなくなり、友人と遊んでいても、自分は今これをしていていいかと上の空で、しかしそれを断つことも出来ず預金は増えない。

生きていくということが、ただ漠然と年を取って、通う学校が変わることでしかなかったこれまでの人生とは、まったく意味が変わりつつある。

生きるということは、これほどまでに不安定で博打で、それでいて恐ろしいものなのかと言う感覚が付きまとっている。

思い返せばこれまでの人生で、新しい物事に取り組むに際し、なんら恐怖を感じたことはなかった。勉強はできたし、スポーツも出来た。人の輪の中心にだいたいいたし、物おじする必要がなかった。

絵に関してもそうで、デッサン教室でも同じ時期に始めた人間と比較して僕は一番うまかったし、自分でもセンスのあるほうだと思い込んでいた。

しかし、そこにいた女子高生だけは違った。ぼくより圧倒的にうまく、それでいて僕より幼い。才能、あるいは培った時間の長さ、そして恐らくその両方が彼女にはあることを悟り、なんだか得体のしれない無力感に襲われてしまったのを覚えている。

絵は誰かと競うものではない。自分の裡をさらけ出すものである。そういう人間も多い。しかしそれはただの理想論で、実際絵で飯を食う人間は、そういったうまさの序列の中に身を置くしかないに決まっている。

裡も技術も秀でた人間だけが、プロになるのだから。そもそも、自分はアニメが好きなのだろうか。

さいきん全く見ていないし、というか作画は好きなのだが内容が凡過ぎてみているのがつらいという理由もある。如何に素晴らしい技術があっても、、、

これは恐らくいいわけで、アニメに対してイップス的な、やってもいないのにきょうふを抱いているだけだと思う。

なんというか、こうした悩みを抱いてしまっている時点で自分は本物ではないのかもしれないという思いが強くある。本物が何かは分からないが、少なくとも天才ではないだろう。世の中には、本当にそれにのみ特化した人間というものが、稀にそんざいする。どうも僕はそれではなさそうだ。

深夜ラジオが面白いのは、こういう悩みを隠さず、面白く語ってくれるところにあるのだろう。その過去を否定もせず肯定もしない。ただこんなことがあったなぁと語ってくれることが自分にはとても心地よいものだった。

ANNで有吉が一週受け持った回で「最近の有吉さんの成功は、電波少年での苦労あってのことだと思います。」という50代リスナーからのお便りに対し、「電波少年の頃の経験なんか今に一つも生きていない。路上でヒッチハイクして死ぬ思いで野宿した経験が今に生きてるわけないだろ馬鹿が。50代にもなって何考えてんのかねこのおっさんは。」

この返答は自分にとってものすごく貴重な言葉に感じられた。

過去からの連続として今を生きるのではなく、そして未来への布石としてでもなく、ただ今を生きるという感覚が欲しい。

それだけで生きていけるほど生き物は強くできていない。飯水の不足、病気で簡単に死ぬが、それでも“それだけ“で生きていけるような生き方をしてみたい。

同世代でも探せば病気の人間なんていくらでもいるし、健康体であることに感謝するほどしおらしくもないが、ただ心身共に万全であるこの状態を空費することは、なんだか良いことではないと今の自分にもわかる。

漠然と絵を描いてきた今までのやり方ではだめだろう。シチュエーションを想定してレイアウトを作り、動きに繋がるイメージをもって絵を描く必要がある。

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