あまりにも私的な、でも忘れたくない記録

きのう出産した。

予定無痛分娩だったので、おととい入院して昨日産んだ。
めちゃめちゃに健康元気妊婦だったので、先週まで働いたり、入院前日まで友人とお茶したりした。
(産後休暇は義務だけど産前休暇は権利なので、とらなきゃいけないわけじゃない。)

入院当日も仕事のメールをして、さっきも仕事のメールを出した。いまもメールの返事を待っている。

何年も前にした就職が、たまたま同業の女性トップ就任のタイミングと重なり、「女性としてキャリアの重ね方」を聞く機会が何度かあった。
彼女たちは、子育てをして仕事もキャリアを確実に積んで出世している。
「ベビーシッターさんなど周りの力をしっかり借りましょう。」と憚らずに言った。
「ある後輩女性が、旦那の転勤で引っ越すので少し仕事を休みもうと思っていると言ったきたが、せっかくなのにもったいない、となんとか仕事先を見つけてきた。彼女も感謝している」というような話をしていた。
女の敵は女、じゃないけれど、キャリアを積んだ女の人は、それができてきたから、周りにもそれをすることを強要、ではないにしても、単純に「なんでできない/しないんだろう」と思うんだろうな、上司が女の人は良くも悪くも……という感想だった。

そんな会で、講演後に質問をと言われても、本当に聞きたい質問なんて聞けるわけがない。
「別にトップになりたいわけじゃないんですけど、女性として働き続けるために選択肢を増やしておきたい。何かコツはありますか?」
ロールモデルがほしかったな、ほしいな、と思う。

でも、今回出産を通したわたしの働き方は後輩にとってなんの意味も成さない。と思っている。
むしろマイナスになったのでは、とさえおもう。
別に彼女や彼やその家族とかなんやらに強要なんてするつもりはないし、わたし自身自分が元気妊婦だったことも自覚しているし、なにより、常に家にいるという専業主婦があまりに性格上向いていないことも改めて実感した。

でも別にわたしが、参考にならねーよと思った上司だって、そんなつもりで上司になったわけじゃないだろうし。


わたしの出産は、2回目で1回目はコロナ真っ只中だったから、だれかの立ち会い面会なんてまったく許されずだった。
一度は見ていてほしいと思ったから、今回は夫に立ち会いをお願いした。
「無痛分娩をみて、お産はこんなかんじか〜(ハナホジ、みたいになるのはどうなんだ」という気持ちもあったけど、結果的にはよかった。
夫は分娩時にマジで役に立たなかったけど(私の頭を支えるということをしてほしいと頼まれていて確かに彼なりにその任務を全うしようとはしているのは伝わってきたけど、その手は頭を支えるというか添えられているだけだった)、でも、しんどい時とか、産んだ後とかに、手を繋いでくれていて、夫は本当に普段絶対にそんなことをしないので、とても良かった。
お猿というか宇宙人というか、正直お世辞にもまだ可愛いとは言えないような、うまれたての赤子に相好を崩す様を見れたし、写真にも残せて良かった。産後、わたしと2人で撮った写真も久しぶりにデレてる夫で良かった。

上の子、彼はいま「自分のおもちゃが、赤ちゃんに食べられてしまう」ということが、目下の悩みなのだけど、わたしが入院中もっと泣くかと、夫はもっと大変かと思っていたけれど、案外そうでもなさそうで、彼なりにがんばってることに、こどもの成長にわたしが泣けてしまう。

下の長すぎる引用はだいすきな川上未映子さんのエッセイ『きみは赤ちゃん』の引用だけど、これを読んでひとりめのとき随分泣いた。

ひとりめがうまれて3年半、わたしはいまもまだ、きみに会えて本当にうれしい。
きみたちに会えて、本当にうれしい。

ずーーっと家にいるおかあさんにはきっとなれないけど、おかあさんはおかあさんなりにがんばるよ。
おとうさんも、ふくめて、あたらしい家族、みんなでたのしくやっていこうね。


人は、すべての存在は、いったいどこからやってきて、いったいどこにいくんだろう。なんで、こんなわからないものやことを、わたしたち、やってのけることができているんだろう。そして、生まれてこなければ、悲しいもうれしいもないのだから、だったら生まれてこなければ、なにもかもが元からないのだから、そっちのほうがいいのじゃないかと、わたしは小さな子どものころから、ずうっとそんなふうに思ってきた。人生は悲しくてつらいことのほうが多いのだもの。だったら。生まれてこなければいいのじゃないだろうか。生まれなければ、なにもかもが、そもそも生まれようもないのだもの。そんなふうに子どものころから思ってきた。だけど、わたしはいま自分の都合と自分の決心だけで生んだ息子を抱いてみつめながら、いろいろなことはまだわからないし、これからさきもわからないだろうし、もしかしたらわたしはものすごくまちがったこと、とりかえしのつかないことをしてしまったのかもしれないけれど、でもたったひとつ、本当だといえることがあって、本当の気持ちがひとつあって、それは、わたしはきみに会えて本当にうれしい、ということだった。きみに会うことができて、本当にうれしい。自分が生まれてきたことに意味なんてないし、いらないけれど、でもわたしはきみに会うために生まれてきたんじゃないかと思うくらいに、きみに会えて本当にうれしい。このさき、なにがどうなるかなんて誰にもなんにもわからないけれど、わからないことばっかりだけど、でもたったいま、このいま。わたしはそんなふうに思って、きみを胸に抱いて、そんなふうに思ってる。

きみは赤ちゃん 川上未映子

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