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念願の初対面(勝利棋士お見送り)〜JT杯将棋日本シリーズ準決勝大阪大会〜

私が将棋棋士の豊島将之先生に初めてお目にかかることが(といっても数秒)できたのが今年のJT杯大阪大会である。

もともと、豊島竜王の今年のタイトル戦は王位戦・叡王戦・竜王戦と数が多かったので、いずれかの現地観戦に行き、お姿を拝見できれば、と考えていた。

しかし日程が発表されてみると平日や日曜日の開催が多く、地方からの遠征で前乗りと後泊が必要な私にはどうしても日程が合わない。そんな中で唯一土曜日開催だったのが9月4日のJT杯新潟大会だった。

ちょうど残りあと100日ほどだったので手帳にカウントダウンの日付を書き込み、毎日指折り数えては励みにして過ごしていた。8月25日には王位奪還ならずで落胆していた時に新潟大会当選のメールが届き、地獄の仏とはまさにこのことだとメールを何度も何度も読み返した。

ところが忙しく仕事中だった9月1日、Twitterに流れてきた情報に目を疑った。3日後の新潟大会の中止?まだ主催者からの連絡が届く前だった。震えながら将棋連盟の公式HPを確認する。残念ながら確定情報だった。

かなりのショックではあったが、何よりも先生方や関係者皆様の健康が守られてよかった、応援を続けていればいつかお目にかかれる日が来る、そう信じて辛い気持ちを切り替えることにした。

するとそれから一ヶ月後、立て続けに竜王戦プレミアムの能楽堂観戦とJT杯大阪大会の当選連絡が届く。どちらも土曜日。しかも2週連続だ。辛い事の後には必ず幸せがやって来るものだ。そして田舎で日々地道に働く私にとってはシンデレラのような夢の2週間が幕を開けた。

セルリアンタワーの竜王戦プレミアムを終えて帰宅した私は、豊島竜王への応援の気持ちを更に増幅させていた。この気持ちを大阪へ届けることと、次の週に大切な竜王戦第2局を控えた先生にご負担をかけないように、まず自分自身が健康でいようと決意した。この週の仕事ほど精力的に集中して取り組めた事はかつてなかった。豊島竜王の威力は絶大である。

10月16日、会場の丸善インテックアリーナ大阪に到着。学生時代を京都で過ごし大阪にも頻繁に足を運んでいた私にとって京都と大阪はアナザースカイだ。東京とは違いエスカレーターで右側に立つと戻ってきたホーム感で不思議と安心する。

プロ公式戦は午後3時過ぎからだがちょうど正午頃と早めに入場したので2階席だがステージ正面のJブロック最前列に座れた。ステージまでの直線距離は40〜50mほど。かなり遠いが前には遮るものが無いので大盤も見やすかった。

会場に入ってすぐ、あられが降っているかのような駒音が響き渡っている事にびっくりした。元気いっぱいのこどもたちが一斉に指しているのだから当然と言えば当然なのだが、将棋大会自体初めて観たのでこの雰囲気に圧倒された。どのお子さんもキラキラして、いい表情だ。こども大会の決勝も楽しく観戦し、次はいよいよプロ公式戦だ。

壇上の渡辺名人は自分にとっては将棋ファンになる前から存じ上げていた数少ない棋士先生だ。豊島竜王と並んで対局前のインタビューを受ける和服姿の名人を眺めながら、当代の竜王と名人、豪華な顔合わせの対局に当選できた幸運を神に感謝していた。

振り駒で豊島竜王の先手が決まり一安心した。3つのタイトル戦は振り駒で全て後手番、叡王戦に至っては決着局の第5局までもが後手番となってしまっていた。強敵の渡辺名人相手に、先手番で積極的な攻めが見られるだろう。期待に胸をふくらませながら対局が始まった。

会場では携帯電話の電源を切るようにとアナウンスが流れた。そうか、同じ空間にいるので何かの間違いで鳴らしてしまったら大変と、電源を落としてはたと気づいた。今まで頼りっきりだった評価値が見られないのだ。解説の稲葉陽八段の言葉だけを頼りにして大盤解説に集中した。

拮抗する実力者のお二人だけに、双方相入玉の大乱戦となった。持将棋?指し直し?点数制?知識不足で混乱する。引き分けとするには駒の点数が24点以上必要になるらしい。玉を詰ませるゲームから駒を取り合うゲームへの転換。大駒(飛車・角)が5点、残りは金も歩も1点だ。

大駒は死守して取らせない。その他の駒は一枚でも多く奪う。駒の価値が変わるので発想の転換が必要となり、解説の稲葉先生がいなければ理解が難しかった。後からABEMAでは評価値ではなく持将棋カウンターというメーターが表示されてTwitterのトレンド入りしたらしいと聞いてなるほどと思った。

駒取りといえばマイナビ出版『棋士コラムコレクション』の大石直嗣先生のコラムが頭に浮かんだ。

「メントス少年と駒取り少年」

https://twitter.com/mynavi_shogi/status/1414398770352050178?s=21

豊島竜王は駒取り少年の実力を見事に発揮され、渡辺名人はわずか2点足りずに投了された。まで215手。双方渾身の長手数の将棋に感動した。そして解説がメントス少年こと稲葉先生だったことにも不思議な縁を感じた。

プレゼント抽選会も終わり帰り支度をしていたら耳を疑った。勝利棋士のお見送りがアナウンスされたのだ。コロナ禍でてっきり中止されるものと思っていたので想定外のサプライズだ。2階席から長い階段を降りてアリーナに向かう。既に長蛇の列だ。急いで階段を降りた私の鼓動はますます速まった。

前方に豊島竜王のお姿が見えてきた。柵で仕切られてはいるもののご挨拶できる時の距離は2mぐらいだろうか、とにかく近い。私は焦った。1週間前に能楽堂で震え上がらんばかりの強者オーラを放つ姿を目撃した私にとっては神々しいくらいの憧れのかただ。畏れ多くもこんなに間近でお目にかかっていいのか…でも一目…葛藤している間にも距離はどんどん近づいてくる。

私は写真を撮るのを諦めた。目に焼き付けよう…マスクを着けているのでできる限りの気持ちを目に込めよう…心の準備が整わないまま、さらに列は進む。あと数人のところで豊島竜王の表情が確認できた。

びっくりした。能楽堂での鋭い眼差しとはまるで別人の、目尻の下がったはにかんだような優しい笑顔を浮かべ、ひとりひとりと目を合わせてお辞儀をしておられる。対局中とは目がまるで違うのだ。

私がチーム豊島の動画を観て印象が全然違うと驚いた時と同じ笑顔だ。感激して思わず目に涙が溜まってきた。まずい、このままだと泣いているだけの変な人と思われてしまう。しかし立て直す時間はもう無かった。込み上げる感情を制御しきれないまま前の方が通り過ぎ、ついに私の番が来てしまった。

「頑張ってくださいぃ」ひょろひょろの声で、かろうじて口に出せた。眉間にしわを寄せて今にも泣き出しそうな私の思いを汲んでくださったのか、豊島竜王は思いやるように視線を合わせてくださった。その優しげで温かい笑顔はわずか2、3秒ではあったが、私の心に深く沁みた。

その後は朝潮橋の駅に向かう間、ホテルに到着しても、まだボォーッとしたままだった。能楽堂では神々しいまでの威厳オーラを放ち、ひとたび将棋を離れると慈悲深い菩薩のような笑みを湛える物静かな青年だ。なんと振れ幅の大きいかたなのか。

豊島竜王のお見送りを受けた数百人のかたは、きっと同じようにすっかり心を奪われてしまったに違いない。豊島竜王にたくさんの応援の気持ちが届いて、翌週に控えた竜王戦仁和寺対局はぜひ勝利して欲しいと願いながら眠りについた。ホテルの窓から眺めた大阪の海は、なんだか優しい色だった。

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