「休みの日、何してるの?」という質問が怖い

職場の休憩時間、たまに来るこの質問。
私は何より、この質問が怖い。答えなんてないからだ。
何もしていない。

小学生の頃の私へ

ある日の夕方、母の携帯から家電に電話があった。「今すぐ今からいうところに来て!」
当時住んでいたマンションから徒歩30秒のところだった。ヒヨドリの雛を拾ったという。近所のおばさんがゲージを持ってきて、「良かったら保護してあげて」と言った。元々動物が好きだった私は喜んだ。何より、自分の手のひらで眠ってしまったその雛が愛しくて仕方がなかった。
動物禁止のマンションではあったが、こっそり保護を続けた。ピーちゃんと名付け、学校から帰ってきたら近所の公園で一緒に飛ぶ練習をしたり、当時流行っていたDSiで一緒に写真を撮ったりした。
ほどなくして、ピーちゃんに異変が起きた。首が傾き、まっすぐ歩くことも飛ぶことも出来なくなってしまった。母が市営の動植物園に連絡すると、そちらで保護してくれるとのことで、車で動植物園に向かった。道中の車内でのピーちゃんは、どこかにお出かけできると思ってか少し嬉しそうだった。
動植物園に到着し、窓口のようなところでピーちゃんを引き渡した。帰り際に鳴き続けるピーちゃんに背を向けながら泣いたのはすごく記憶に残っている。この日を境に、「獣医さんになりたい」と思ったよね。6年生の図工の時間に、自分の好きな漢字一字を木に彫るというものがあった。その時選んだ漢字は「獣」。今でも覚えてるよ。

中学3年生~高校生の私へ

中学校に入学するタイミングと、高校に入学するタイミングとで親の転勤というイベントがあった。後者のタイミングで転勤が決まったのは、中学3年生の1月31日だった。
私立と公立の受験のタイミングで転勤先の都道府県(とはいえ小学生の頃住んでいたところ)に向かうとき、飛行機を使って移動していた。飛行機にひとりで乗るのは初めてで、とても緊張していた。ふと窓の外を見ると、作業服を着た方々がこちらに向かって手を振っている。もうすぐ見えなくなる、といったところで深く一礼し、業務に戻っていった。それを見たとき、なぜか緊張がほぐれ、ひどく安心した。
高校1年生の3者面談を前にふとこのことを思い出し、調べていくと手を振っていたのは「グランドハンドリング」という職種の方々だったことがわかった。この日を境に、「グランドハンドリングになりたい」と思ったよね。今でも覚えてるよ。

若かりし頃、その時その時で、なりたいものがあった。
私は、ある時の”なりたいもの”になったのだ。確かになった。

さて、今の私

それなのに、今の私はどうだ。なりたいものになった、が、なりたいものになってやりたかったことは出来ていない。
それをやるだけの知識もないが、知識があってもできることではない。
組織という名のしがらみは大きな要因のひとつだろう。
組織というのがここまで、縛られるものだったとは思っていなかった。年功序列、仕事ができない人でも上り詰めていく、できる人でも上層に鼻につくなと思われれば飛ばされてしまう、なんだこれは。

職場が「しんどい」と思い始めた頃だった。勤務体系上平日休みとなることが多いのだが、自分が休みの日に外で働いている人を見ると、罪悪感を覚えるようになった。なぜだかわからない。一般に働いている人と比べて労働時間が短いわけではない。なのに罪悪感を感じてしまう。わからない。
休日でも、何かしら仕事のことを考えなければならないような気持ちに囚われるのだが、結局何もやらず。夜になって、そんな何もやらなかった自分に対して嫌気が刺す。眠れない。その繰り返しだった。

気分転換が必要だと、散歩したり、買い物に行ったりした。外に出ると目にするのは「働いている人」。そしてむくむくと湧き上がる罪悪感。その繰り返しだ。

趣味、わからない。休みの日はただ横になっているかスマホを触って異世界にいっているか生きるための料理をするか。

なんだ?趣味って。

私は、「自分が何をしたら楽しいと思えるのか」わからなくなってしまった。それと同時に、このまま人生を歩んでいいのかもわからなくなってしまった。

自分のことは自分でしか救えない。
でも救い方がわからない。
今は。


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