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子どもが欲しいかなんて分からない

iPhoneのメモ帳に残っていた3年前のブログ用の下書き。子ども関連はデリケートな話題なので保留にしていたが、自分の気持ちに整理がついたのでnoteのほうに上げておこうと思う。

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もうすぐ高齢出産になる年齢だが目尻に全くシワがなく肌は白くもっちりと乾燥知らずなので、パッと見た感じでは実年齢より10歳ほど若いと思われることが多い。
 
こんなことよく書けるなと言われるかもしれないが、実年齢ではすでにおばさんになっていることはしっかりと自覚しているので許して欲しい。
別に「若いですね!」(本当に若い子は言われない)というリアクションを期待しているわけでもないので。

一応美容には気を遣っているので、1日1食はグルテンフリーのオートミールを主食にしナイアシンとリポソームビタミンCなどを摂取し、中身が青色の謎なヒトプラセンタジェルを個人輸入して使っている。近いうちにレーザーで若かりし頃のニキビ跡のシミ取りをする予定だ。
手軽なものではスキンケアにヤブ椿油(国産)を使い始めてから悩み知らずなので色々な人に布教したい。

しかしこの年齢になっても未だ自分の子どもが欲しいかよく分からない。他人の子どもは無責任に可愛いなと思う。

大変だけど幸せをたくさんくれる存在だと頭では想像しても「すごく欲しい!」と心で思ったことがない。
検査薬の変わらない小窓を見つめてモヤモヤする複雑な感情は知っている。同時にまだ母親にならなくて済んで良かったと毎回安堵もした。

出産への恐怖も子どもの頃に授業で見せられたビデオの影響で消えない。だから無痛分娩の可能な病院を中学生のときから調べていた。10万円以上の上乗せ料金を安いと感じたくらい怖く、それは変わらない。
今もあるのかは知らないが、あれも少子化の一因なのではないか。呻き声や叫び声、苦悶の表情。女性だけが苦しむのは不合理だと思った。
 
結婚当初、自然に任せていても一向にできなかったので、そのうち「子どものいない生き方も人生かな」と考えるようになった。
婦人科へは定期検診と子宮頚がん検診のために年2回ほど通院してはいるが、不妊専門クリニックはどうしても行く気が起こらない。大金を支払って痛みを伴う検査や治療をしてステップを踏んでいく…という覚悟が私にはないので、産むべきではないのかもしれない。
 
ただ、すぐ自然に妊娠していたのなら、子どもが欲しいかについては悩むこともなく産んでいたのは間違いない。
みんながみんな「子どもゼッタイ!」と考えているわけはないし、お国のためを考えて3人以上産む人などいないだろう。
 
このままで後悔するのかは人生の終盤までやっぱり分からないだろうと思う。両親と夫より長生きすれば天涯孤独になるので、あまり考えないようにしている。
親類は多いが私の性格上頼らないと思う。自分がいなくなった後に残る財産すらどうなっても良い。

現代では「老後を子どもにみてもらうなんて恥ずかしい」という意見が多いが、面倒はともかく身内がいるという安心感は計り知れないのは事実だと思う。なるようにしかならないことだけど。

しかし自分のペースで生きられる人生というのもなんて幸運なことだろう。どこへでも身軽に飛べて仕事も趣味もセーブしなくて良い。間違いなく自由を満喫している。

子どもを自らの成長のためや輝く人生のために欲しいと考えたことはない。むしろ何かを成し遂げたり成長したいとも思っていない。自分が女性だから産まなければならないという暗示にはかかっていた気がする。

だからこそ、子どもがいる方に「子どものいない人生なんてつまらない」「できたら気持ちも変わるのに」「人として成長できない」と言われても全く構わないし気にならない。

子育て中の方の発信から新しい気づきを得られることも多い。それぞれが悩みながらも納得できる生き方を見つけられたら幸せなんじゃないかな。

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