見出し画像

「西藏系出雲族の伝説」 あらすじ

   これは私の偶然の縁よる、西藏(チベット)と出雲に関わる物語である。チベットと出雲での長年の個々のフィールドワークは、それぞれ別々の記録のはずであった。ところがそれらは不思議なことに繋がりはじめ、意外な展開を見せた。
 
 チベットの登山や探査を行っている中で、何となくチベット民族に明治の出雲人の面影を感じていた私は、中国による支配、近年の大開発がチベット奥地の伝統的な暮らしの中にも徐々に進んで行く様子を見てきた。外部と閉ざされ、チベット仏教に根ざし土地の神山を崇めながら何百年も自給自足で暮らしていた人々が、一気に市場経済や大開発のうねりに巻き込まれて翻弄されていた。それは、故郷を捨て離れた自分が、出雲族としての伝承をゆっくりと絶やしつつある最後の世代かもしれないということに気付くことになった。

 幼少期に明治生まれの祖父から出雲族の口伝について断片的に聞かされていた。出雲が大和に國を譲った神話は、出雲族にとっては歴史として語られていた。ある日突然、祖父が勾玉に関しチベットと関連する話をしていた記憶がよみがえった。これを探ることが出雲でのフィールドワークとなった。

 出雲神族は祖神の魂の具象化である勾玉を持っており、これを伝える家系を「財筋」と称した。そしてオオクニヌシの生誕と遷化が我が出雲族のアイデンティティに大きく関係していることを知る。「財筋」の家系にあたる親族が、明治時代末期に大陸浪人となり、民族の独立や講和の象徴として、勾玉を威信財として用いてチベット独立に関わった可能性が出てきた。それは明治末期のあるチベット潜入者に託されていた。その探検者の足取りを追ううちに、明治期と現在の出雲とチベットが縦と横の糸を紡ぐかのように、どんどん広がりを持っていった。

と、ここで終わるつもりで散文を繋げ筆を進めていたが、つい最近になってチベット遊牧民から新たな事実を知った。前代未聞!空前絶後!の結末。それを新たな伝説としてここに記録する。

【もくじ】
原稿1 プロローグ:偶然と必然、淘汰と進化
原稿2 クーンブからチベット探査への道のり
原稿3 チベットに勾玉がある?勾玉とチベット天珠
原稿4 出雲神話から我が原風景をたどる
原稿5 出雲大峯の観音様とチベットの仏縁
原稿6 チベットの登山における信仰上の課題
原稿7 山王寺のス(男)
原稿8 矢島保治郎のチベット潜入とチベット国旗
原稿9 矢島保治郎と勾玉
原稿10 出雲族の口伝と「くまくましき」のこと
原稿11 チベットからヒマラヤを越えた少年僧
原稿12エピローグ:アイデンティティとしての心の故郷は軸として縁起する



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?