Org-mode for Emacsを断念した話とウェブの限界

Org-modeを断念した経緯

オープンソースを紹介している場で、以前、EmacsとOrg-modeについて実演を見た。

シンプルにキーボードだけを使って、スケジュール表やタスク管理を瞬時に完成させていた。

コマンドラインを使って、なんてかっこいいんだと感心した。無論、フリーソフトである。

帰宅後、早速インストールを試そうとした。

ところが、すぐに難関に出会う。

「Emacs Org-mode インストール」

で、検索するが、微細な設定から、操作の自慢ブログまで、大量に出てくるが、どれ一つとしてインストールについて、まともに参照にできるものはないのだ。

検索結果の順位を落とすと、当然、情報鮮度が古かったり、先に書いている人の内容をなぞっただけであったり、大学生が他のブログの参照リンクを並べただけのものになったりと、内容も陳腐になっていく。

いつものがっかりである。

本当に必要なものは、デジタルな世界にはないのではないかという、しょんぼりだ。

ただ、Org-modeに関しては、こうしたおちょくられたことが過去に何度かある。

散々、苦労してコマンドラインを入力したり、独自のショートカットを覚えようとしたが、できたことはテストと題した文書に箇条書きを足したくらいで、それがOrg-modeですらなかったことにがっかりさせられた。

ふと思った。

これらの手間を、代行してくれるのが、数多あるアプリではないかと。

インターネットへの不振に急展開

ブログに色々な情報が載って、参照できると思っていたが、本当はそういう考え方自体が理想論に過ぎないのではないのかと、ここ数年自問している。

まだ、光回線黎明期の頃、調べ物をして、プリントで報告しないといけないとなったら、絶望的になったものである。

情報精度の低い憶測記事や、記憶をたどった個人の日記にしかなかった(wikiがなかったのだ)し、それを出力しようとしたら、つまらない高解像度の写真も出力して、インクを浪費した。

インターネットは第3の産業革命と言われた。

情報の価値について誰もが理解し、重要な情報を瞬時に共有でき、みんなが理性的に議論して最良の決断が下せるようになる。いずれは西側の悲願である直接民主主義も夢ではないと。

ところが実際はどうだろうか。

重要情報と称して、幼稚な社会正義を振りかざして、個人情報を超法規的に漏洩させる。

テロリストの連絡を取るのにメールが用いられて、それを見張っていたはずの合衆国が飛行機で5箇所同時に突っ込まれる。

震災など(新型コロナを含めて)災害が起こるたびに、デマの拡散にSNSが大活躍である。

直接民主主義など、口にするのも憚れる。民主主義の根幹を揺るがしかねないような事件が起こっているのに、我が国のインターネットは盤石の与党政権を前に無力なのだ。


一体、どうしてこんなことになったのだ。


大統領を守るジャック・バウアーが、高性能なガラケーでテロリストの指紋をデータベースに問い合わせるように、ヒーローと社会の平和のために活用されるのではなかったのか。


無論、テレビだってろくなもんではない。


試しに権威あるNHKでニュースを見れば分かる。


六時と七時と八時と十二時のニュースのうち、どれだけのソースに違いがあるか。


よほどの事件がない限り、放送されるのは同じことを繰り返す。続けてみると、洗脳しようとしているのではないかと不安になってくるくらいだ。


それだけ事件の報道が少ないということは、事件が少なくて平和なのか、作り手の頭が平和ボケして事件を見落としているかだ。


典型的なのは今回の新型コロナウィルスに関して、あれだけ食料品が十分に流通しているというのに、がら空きになった棚を放送して、危機をあおったことである。


画面に映る連中は神妙な面持ちで状況を憂えているセリフを口にするが、本音は違う。もっと悲惨なことが早く起きないかなぁだ。


久しぶりなので、少々たくさん書いたが、言いたいことは二つ。


1.インターネットだからといって、万能ではない。それを支ている全ては俗物の人間であるから、逃れられない宿命である。


2.だからといって、ウェブで出回る情報が全てデマだと思い込んでいたら、大変な目にあう。スマホをろくに使わないシニア世代たちが、こぞって買い占めに走ったということで裏付けられるだろう。


狼煙や梵鐘、電報で伝えられた緊急事態報道が、いくらか安定してきたという程度のテクノロジーの進歩である。

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