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10-7.ナンガパルバット遠征(1939年5月~1939年8月)

チベットへのシェーファー遠征隊(1938年5月から1939年8月)はしばしばナンガパルバット遠征隊(1939年5月から1939年8月)と混同されている。前者は主に人類学的な事柄であるが、後者は本質的に登山の遠征である。若干重複しているが、日付は異なっている。登山の専門家であったハインリッヒ・ハラー は、ナチス親衛隊(所属:38部隊、隊員番号:73896、最終階級:曹長)の隊員であった。部隊は1938年にスイスのアイガーで練習した。隊員たちがドイツに戻ったとき、ヒトラーは彼らと会った。
1939年5月、ハラーはドイツのヒマラヤ財団によって新しいナンガパルバット遠征に参加する隊員として選ばれた。ナンガパルパットは、ピーター・アウフシュナイターのリーダーシップの下で遠征されるインドの最も高い山の一つである。彼らの目標は、北西面の新しい登頂ルートを作る方法を発見することであった。1939年8月、ナンガ・パルバットの新しい登頂ルートを見つけた遠征隊は、イギリス領インド帝国(現在のパキスタン)のカラチでヨーロッパへの帰還のために船を待っていた。
遠征隊は1939年10月に少将アラン・ヴァン・ダイクの指揮下のイギリス軍によって捕らえられ、はじめは敵対国の国民として拘禁される事となりムンバイの抑留所で抑留された。その後、ヒマラヤに近いデラドゥーンの拘置所に身柄を移された。ハラーは拘置所から脱出したが奪還された。しかし後に再び脱出し、彼を追跡する捜索隊から逃げ延びた。ハラーはアウフシュナイターと共にネラン、ツァンチョクラ峠を越え1944年5月17日にチベットに到着した。そして1949年にダライ・ラマに紹介され、中国が1951年にチベットをその支配下に置くことを主張するまでチベットに滞在した。この遠征隊のいくつかの証拠がワシントンDCの国立公文書館に保管されている。

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