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22.映像論

映像論は、脚本家、映画監督、テレビドラマ演出家、著述家である赤坂長義先生の授業である。「論」と言っても小難しい理論の授業ではなく、映画を観て、テストの時に観た映画の感想を述べるだけの授業である。この授業で観た映画は、一部ではあるが、
「八月の鯨」
リンゼイ・アンダーソン監督による1987年公開のアメリカ映画で、アメリカ・メイン州の小さな島で暮らす老姉妹(リリアン・ギッシュ、ベティ・デイヴィス)の夏の日々を淡々と描く傑作。日本では岩波ホールの創立20周年記念作品としてロードショー上映され、異例の長期上映となった。淀川長治が絶賛。撮影当時、リリアン・ギッシュは93歳、ベティ・デイヴィスは79歳であった。とくに、リリアン・ギッシュは、女優としてのキャリアは74年で、別名「サイレントスクリーンのファーストレディ」と呼ばれ、サイレント映画時代の女優として欠かせない存在であった。母親が女優だった縁で、5歳から舞台に立っていて、友人だったメアリー・ピックフォードを訪ねてバイオグラフ社を訪れた際、彼女にD・W・グリフィスを紹介され、母と妹と共に映画に出ることになった。その後もグリフィスとコンビを組み、サイレント映画を代表する大作「國民の創生」や超大作「イントレランス」に出演した。D・W・グリフィスに対して、リリアンは一生敬愛の念を持っていた。1919年の「散り行く花」では、幸薄い少女ルーシーを演じる。この作品により映画は第八芸術として世に認められたと言われる。1920年には、妹のドロシー・ギッシュが主演の「亭主改造」を監督するも、監督作品はこの一作のみである。なお、ドロシーとは私生活でも大変仲が良く、他の女優ではヘレン・ヘイズなどとも親交が深かった。1921年の大作「嵐の孤児」を最後にグリフィスの元を離れた後、初期メトロ・ゴールドウィン・メイヤーのスターとして、ヴィクトル・シェストレム監督作品の「真紅の文字」(1926年)や「風」(1928年)に出演。サイレント期を代表する女優として活躍する。

「アンダルシアの犬」
ルイス・ブニュエルとサルバドール・ダリによる1928年に製作され1929年に公開されたフランスの映画である。シュルレアリスムの傑作と評される、実験的ショート・フィルム。アナキズムに心酔していたブニュエルによる、「映画の機能を否定した映画」。大筋で男性と女性の情のもつれを描くものの明快なストーリーはなく、冒頭の女性が剃刀で眼球を真二つにされるシーンに始まり、切断され路上に転がった右腕を杖でつつく青年、手のひらに群がる蟻など、脈略のない、だが衝撃的な謎めいたイメージ映像が断片的に描かれる。それらはブニュエルとダリが互いに出し合ったイメージ群であり、観客はそれらのイメージから、何かしらを感じ取る事を要求される。初めて上映された時、ブニュエルは観客の抗議を予想してポケットに投石用の小石を詰め込んでいた。しかし、パブロ・ピカソ、アンドレ・ブルトン、ジャン・コクトー、マックス・エルンスト、ル・コルビュジエ、ルネ・マグリット、ポール・エリュアール、ルイ・アラゴン、マン・レイ、トリスタン・ツァラらを含む観客は拍手喝采で映画を迎え、ブニュエルはシュルレアリスト・グループへの参加が許された。前述の女性が目を剃刀で切られるシーンでは、ブニュエルによれば死んだ子牛の目を用いたそうである。その事実が世間に広まるまでは、豚や馬の目、もしくは死体やスタッフの手作りによるものなど様々な憶測が飛び交っていた。

「羊たちの沈黙」
1991年のアメリカ合衆国のサイコスリラー映画。監督はジョナサン・デミ、出演はジョディ・フォスター、アンソニー・ホプキンス、スコット・グレンなど。原作はトマス・ハリスの同名小説。 連続殺人事件を追う女性FBI訓練生と、彼女にアドバイスを与える猟奇殺人犯で元精神科医との奇妙な交流を描く。ジョディ・フォスターが演じたクラリス・スターリングの上司、ジャック・クロフォードのモデルはロバート・K・レスラーらと共に犯罪捜査におけるプロファイリングの技術を確立したFBI捜査官のジョン・ダグラスである。また、連続殺人鬼のバッファロー・ビルことジェームズ・ガムには実際の2人のモデルがいて、その1人は猟奇殺人犯はエド・ゲインという。エド・ゲインは1947年から1954年の間に、墓場から数々の死体を掘り起こしては母親であるオーガスタ・ゲインに似た死体を持ち帰り、コレクションしていた。もう1人のモデルは、1984年から1987年にかけて若い女性を狙っては言葉巧みに誘い出し、激しい暴行を加えて殺害した連続殺人犯テッド・バンディだ。「羊たちの沈黙」の中でバッファロー・ビルが使った犯行の手口は、身体の不自由なふりを装って被害者に手伝いを頼み、車に乗せて襲うというものだったが、この手口はテッド・バンディのやり方である。

ロバート・K・レスラーは、アメリカ合衆国の元FBI捜査官、コンサルタント、司法行動学研究所(FBS)所長で、FBI特別捜査官時代、1974年にバージニア州のクワンティコにあるFBI行動科学課(BSU)の主任プロファイラーとして、大勢の凶悪犯と面談して得た知識により数々の事件の解決に貢献した。私の大学卒業後であるが、1994年、著書「FBI心理分析官」が日本でベストセラーとなったことから、1990年代半ばから後半にかけて、日本のテレビのワイドショーにたびたび出演し、つくば市母子殺人事件、オウム真理教事件、神戸連続児童殺傷事件など有名殺人事件のプロファイリングを行ない、日本でもプロファイリングの手法とともに、レスラー自身の名も知られるようになった。また彼は、1984年にテッド・バンディを表すために「連続殺人犯(シリアルキラー)」という用語を作りだした。シリアルキラーとは、一般的に異常な心理的欲求のもと、1か月以上にわたって一定の冷却期間をおきながら複数の殺人を繰り返す連続殺人犯に対して使われる言葉である。ほとんどの連続殺人は心理的な欲求を満たすためのもので、被害者との性的な接触も行われるが、動機は必ずしもそれに限らない。猟奇殺人や快楽殺人を繰り返す犯人を指す場合もある。
ジョン・ダグラスも、空軍を経て1970年、FBIの特別捜査官となる。1977年、クワンティコのFBIアカデミー行動科学課に配属され、同課がふたつに分課されたのち90年に捜査支援課の課長に就任。25年にわたるキャリアのあいだに何千件もの凶悪事件を手がけた。95年にFBIを退職、以降は自らの経験を生かした講演や執筆活動を行なっている。
ロバート・K・レスラーやジョン・ダグラスが行っていたプロファイリングの基本的な構造は、「こういう犯罪の犯人はこういう人間が多い」という統計学である。犯行や犯罪現場で犯人像を推定する作業は現場の警察官や刑事でも行っている。それら現場の推定が経験によって行われる物である。経験による判断も個人の過去の事実、観察の統計的な裏付けに基づいたものである。しかし、経験によるという場合に、事実・観察を科学的記録している訳ではないことがある。それに対してプロファイリングは行動科学的知見を用いると言う点において異なる。犯罪前の準備(情報収集等)、犯罪中の行動(殺人方法等)、犯罪後の処理(死体の処理、逃走方法等)は、犯人の性格、個性にかなり関係すると考えられている。これらを行動科学(心理学、社会学、文化人類学、精神医学)的に分析すれば、犯人の性別、人種、職業、年齢などの特徴をある程度推定でき、これらの推定を元に物的証拠やその他の情報とあわせて捜査すれば、闇雲に捜査員が広範囲に捜査するよりは効率的であるとされる。
プロファイリングというものは事件を解決するものではない。個人を特定するのではなく確率論的に可能性が高い犯人像を示すものであり、捜査を効率的に進める支援ツールである(当然、プロファイルに当てはまらない人間が犯人である事もあり得る)。そのため、ドラマにあるような一人のプロファイラーが犯人を特定し逮捕するようなことはない。だから、あくまでも「羊たちの沈黙」はフィクションである。鑑識課の人物が調べてきたデータを元に大まかな犯罪者のイメージを推定して現場の捜査員に伝え、捜査員はその推定を参考情報として犯人を捜査・検挙する。鑑識・情報管理・証拠調査・捜査・逮捕といった犯罪に関わる多くの過程における一部である。ドラマで語られ、一部マスメディアで拡散しているような万能捜査員ではない。ロバート・K・レスラーかジョン・ダグラスが言っていたと思うが、「羊たちの沈黙」で描かれているように、実際のプロファイリングによる犯罪捜査の現場に、ジョディ・フォスターが演じたクラリス・スターリングのような行動科学課の訓練生が行くことはありえない。事件後に報道機関などが行う識者による犯人予想と、プロファイリングの違いは、前者が報道のための情報提供なのに対してプロファイリングが根拠に基づく推論である。例えば、俗に言う「犯人しか知らない事実」を警察のプロファイリングでは判断情報として加えることができるが、報道情報には捜査を妨害しないという限界があり、警察の持つ手懸りは容疑者に手の内を明かす事になるなどの捜査上の秘密という性格もあるため、捜査の密行性の観点から公開は制限されている。質量そろった情報は両者ともに公開できない。犯罪現場から得るデータ的・理論的な裏付けの有無は、報道機関による犯人予想とプロファイリングとの差ではない。犯人予想をする人が、犯人に関する情報を警察に提供していない場合があり、こちらの方が報道機関の姿勢の問題として大きい場合がある。

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