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10.花園書店

寮生活も3日目に入るころになると、次第に寮生たちの建前が崩れ、本音が出てくるようになった。そして押し込めていた欲望がムキムキと頭をもたげてくるのである。鬱屈したリビドーだ。15歳の少年(?)達の欲望といえば言うまでもなく「エッチ」である。あっという間に大部屋ではエロ本が飛び交うようになっていった。
エロ本の震源地になったのは、まずY(これはイニシャルではない。ワイ談のYである)のところだった。Yは、数学は抜群に出来るのだが、あとの物理&化学がまるっきりダメで、3年の時に理数系クラスに進んだものの、大学は某大学の経済学部に進学したやつである。しかし、こいつの特徴はそれだけではない。まず、性癖が変わっていた。普通のエロ本では満足できないのである。Yの大好物はSMであった。ヤツの場合、別にマルキ・ド・サドやザッヘル・マゾッホの哲学を持っていたわけではない。もしも、当時、「ソドム百二十日あるいは淫蕩学校」や「ジュリエット物語あるいは悪徳の栄え」を熟読しているようなヤツなら、今なら尊敬もできるが、Yはそうではなかった。ただ、単純に。緊縛や「ローソクたらり」が無いと興奮しないのである。従ってYの持っているエロ本はすべてSMものだった。ところが寮生のほとんどはそんなYとは違っていたってノーマルである。だからYのエロ本は受けつけない。その結果、自然と自分達でお好みのエロ本を探すようになっていった。(それ以前に、なぜYがそんな本を持っていたのか疑問であるが・・・おそらく実家から持ってきたのだろう)
エロ本を調達する手段はいろいろあるが、普通は一般書店でそれらしいものを買ってくる。あとは、2年生の2寮、3年生の3寮からのお下がりだ。ただ、お下がりならまだ良いが、新品を手に入れるためにはまだ「恥じらい」がある年頃である。せいぜいちょっとしたヌードグラビアが載っている本(例えばプレイボーイやペントハウス・・・当時)を恥ずかしそうに買ってくるので精一杯である。一般書店ではそれ以上にエロい本は手に入らない。また、仮にあったとしても買うことができないのが少年の恥じらいというものではないだろうか?そこで注目されたのが一軒の書店である。
学校の寮から外へ出て、学校の敷地に沿って南に下り、南西の入り口の角で右に曲がるとすぐに産業道路に出る。角にはコープが建っていた。産業道路は函館市電の終点「湯の川」から坂を北に上り、函館白百合学園、イトーヨーカドーや長崎屋を経て、ぐるっと函館郊外を回るような形で七重浜方面に行く幹線道路である。学校のある日吉町からしばらく歩くと花園町という町がある。そして目的の本屋はその花園町にあった。その名を「花園書店」という。エロ本専門店である。
いまでも「花園書店」があるのかどうか気になったので、チャットで話した函館在住の大学生に聞いてみたところ、まだ健在だそうだ。その手の書店としては老舗にあたるのではないだろうか?現在ではもはやビニールパッケージされた本は主流商品ではなく、おそらくビデオ(ビデオと言うのももう死語だが・・・)やDVDがメインの品揃えなのだろうが、37年前はそんなものはなかった。
とっておきの書店を発見した寮生たちであるが、その禁断の扉を開けて中に入れるヤツはなかなかいない。私も「花園書店」には入る勇気がなく、3年間の間、暖かい目で見守ったものである。入るだけなら入れたかもしれないが、そこから出てくるところを知り合い(特に同級生たち)に見られたくはない。発見されれば即刻「エロ」の烙印を押されてしまう。実情はエロくても、面と向って「エロ」とは罵られたくないものである。私がよく利用したのは同じ産業道路沿いの長崎屋の書籍売り場だったと記憶する。
そうして我々の間には「花園書店」および「花園」という地名は、あまりよろしくないイメージが植付けられた。いつだったか、ラグビー部の先輩達が、
「俺たちは花園(言うまでもなく高校ラグビーの聖地、大阪の花園ラグビー場である)に行きたいんだ!!!」
と言った言葉に、心の内では大爆笑したものである。
ちなみに、後年、Y自身から聞いた話であるが、Yの持っていた「エロ本」たちは学校の図書館の返却箱の中に突っ込んだそうだ。図書館書士のおばさんはさぞ驚いただろうことは想像に難くない。

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