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33.卒業設計

さて、いよいよ大学4年間の集積であるところの卒業設計になるのだが、これまでの設計製図の課題は、課題のテーマが与えられえていたが、卒業設計ではそのテーマから自分で考えなければならない。いま、どのような建築が求められ、どんなデザインでそれに応えるのかが重要になってくる。漠然と頭に描いていたのは、ハイテク、情報、メディアの研究施設で、ネットワークの発達、昨今の社会情勢から言えばリモートワークの発達で、そうした施設は集積する必要はなく、最初に何を設計するか聞かれた際、「分散型科学技術大学院大学」と答えたのだが、それだと建築という形にすることができないので設計のしようがなく、仕方がないので、今で言うところのITの研究集積施設を設計することにした。モデルにしたのは米国マサチューセッツ工科大学 (MIT)のメディアラボと、当時国内で研究開発の集積施設として注目されていたかながわサイエンスパークで、それをもっと大規模に展開しようと考えていた。同じようにドイツにもベルリンのART+COMやカールスルーエのZKMもある。ドイツの2つについては当時、名前以外全く情報がなかったので詳細は割愛するが、最近の情報を調べてみると、ZKMは、展覧会だけでなくメディアに関する資料のアーカイヴ、研究活動、作品制作も行なっており、同じ建物内にあるカールスルーエ造形大学、市立ギャラリーと並び、メディア芸術をテーマとした理論と実践の総合施設となっているようだ。1999年以降ペーター・ヴァイベル(メディア・アーティスト/キュレーター)が館長を務め、1960年代から現在までのコンテンポラリー・アートを広く紹介している。
MITメディアラボは、米国マサチューセッツ工科大学 (MIT) 建築・計画スクール内に設置された研究所。主に表現とコミュニケーションに利用されるデジタル技術の教育、研究を専門としている。1985年にニコラス・ネグロポンテ教授と元同大学学長のジェローム・ウィーズナーによって設立された。メディアラボでの研究は、学際的な研究に焦点を当てている。中心技術に直接関わる研究ではなく、技術の応用や、斬新な方法による統合分野を開拓している。そのためメディアラボのプロジェクトの多くは、芸術的な性格を持っている。また、仕切りのないスペースに複数のグループが同居し、グループ間の垣根は低い。グループ持ち回りの休憩時間の交流会や、月1回の夜のパーティーなどもあり、コラボレーションの土台を作っている。大部分の研究グループが、「人間とコンピュータの協調」をテーマにしている。これには従来のユーザインターフェース(ヒューマンマシンインタフェース)設計も含まれるが、ほとんどのグループはより広い視点からの研究を行っている。グループの中には、「知能機械」(周りの環境を知覚して、使用者の目的や感情を予測し、使用者がより効果的に行動するのを助けることができる機械)を作るため、身の回りのものに装置を取り付ける作業をする部門もある。この種の研究には、テッド・セルカー教授の電子投票機械からハイブリッド検索エンジンに及ぶコンテキストアウェアネスの研究などがあげられる。
かながわサイエンスパークは、神奈川県川崎市高津区坂戸にある、日本初の都市型サイエンスパークである。英語表記の場合の各単語の頭文字から"KSP"という略称も用いられている。創業間もないベンチャー企業の他、大企業や外資系企業の研究開発部門も数多く入居しており、サイエンスパークとして日本最大級の規模を誇る。同施設の中核的運営主体は株式会社ケイエスピーであり、創業支援、研究開発型ベンチャー企業の成長支援等のインキュベーション事業及び起業家育成などを事業として行なっている。
研究開発のための施設として、オフィス機能や実験・研究のための空間は必要であるが、対象が情報、メディアなので、他の物理化学・生物分野の研究施設のような特殊な実験室や研究開発のための空間は必要なく、言ってみればコンピュータとネットの環境さえあればいいので、建築という形にするのはなかなか難しい。何か目玉として「コレ」といったものが欲しかったので、そこで目をつけたのが当時話題になりつつあったインキュベーターである。
インキュベーターは、孵化器を語源とするもので、起業に関する支援を行う事業者で、広義には既存事業者の新規事業を含む起業支援のための制度、仕組み、施設等を含める場合もある。起業支援機能には、起業に伴うハード面の支援とソフト面の支援とがある。前者は主に事業に必要な施設や設備等を低廉な費用で貸し出すなど、後者は経営・管理上の支援を提供する。インキュベーターが充実しているのはやはりアメリカだが、当時はアメリカのインキュベーターの施設(そもそも、そんなものがあるのかという問題もあるが)の設計資料など皆無で、参考にするものが何もなかった。唯一、参考になりそうなのはMITのメディアラボであるが、その設計資料を手に入れることは不可能だった。インキュベーターは機能であるが、その機能を十分に充足させるためにふさわしい空間は?と聞かれたら、あまりにも漠然としていてわからない。いまも、例えばインキュベーターを設計しろと言われれば不可能だ。ましてや学生ならなおさらである。
卒業設計は、テーマやコンセプトを固め、それをデザインする手法を決めてからでないと始められず、私のように見切り発車的に始めてしまうと失敗し、不合格になってしまうのだが、なんとなくできちゃって、それも一発合格してしまったので不思議だ。具体的な設計に入るため、まずは敷地の選定を行った。そこで浮上したのが東京都港区芝浦4丁目である。ここは芝浦アイランド地区と言って、東京モノレールと首都高1号線に挟まれ、四方をうんがで囲まれた島である。港区から品川区にかけての湾岸エリアは、東芝、NEC,沖電気、NTT、ソニーなど情報・エレクトロニクス・メディア産業がの拠点や関連施設が集積し、芝浦工業大学も立地して研究・教育施設もあり、京浜ハイテクベルトラインを形成していた。また、JR線をはさんだ西側には三田や麻布のように各国大使館が存在し、国際的な連携の上でもIT研究開発の集積施設の立地としては最適と思われた。
ところが、芝浦の開発の歴史を見ると、明治 - 昭和初期に「隅田川口改良計画」によって、東京市芝区の臨海部を埋め立てて成立した。東京湾埋立2 - 6号地に当たり、芝・三田とJR山手線・京浜東北線の線路で、港区海岸・港南とは運河で接している。ほぼ全域が山手線田町駅東側に位置する、運河の多い埋立地であり、工場やオフィス、倉庫などの商工業施設が大半を占め、田町駅芝浦口周辺を中心に商店街・飲食店街がある。バブル景気の頃には「ウォーターフロント」として流行の発信地となり、ディスコやライブハウスが多数作られた。最近では工場の跡地などで大規模な再開発が行われており、マンションが増えている。特に芝浦アイランド ブルームタワー、芝浦アイランドグローヴタワー、芝浦アイランドケープタワーといったタワーマンションがある芝浦四丁目では、近年人口の増加が著しい。芝浦では、1990年代以降、付近の汐留や品川などの埋め立て地と同様再開発が盛んになった。その代表的なものが、2007年に竣工した大規模な高層住宅群「芝浦アイランド」である。都営バス操車場、新三井製糖工場などの跡地に「ケープタワー」や「エアタワー」、「グローヴタワー」など、高さ160m程度の高層マンションが4棟建設された。また同じ芝浦4丁目、沖電気工業の本社及び工場跡地にも高層住宅「CAPITAL MARK TOWER」が同年10月に竣工した。2016年1月には芝浦1丁目、ヤナセ本社跡地に高層住宅「グローバルフロントタワー」が建設された。私が卒業設計で想定したIT研究開発の集積どころか、ただのタワマン集積エリアになっている
芝浦といえば私にとってはGOLDである。ハウスミュージックのためのナイトクラブということで開店されたGOLDは、1989年から1995年にかけて、東京都港区海岸三丁目で営業していた大型ディスコで、今のクラブの原型と呼ばれる。ディスコより服装や踊りなどの自由度が高い「クラブ」のはしりともいわれている。立地していた海岸三丁目は、行政上の地名の「芝浦」とは、運河を挟んで対岸に位置していたが、「芝浦のGOLD」として言及されることがよくあった。芝浦GOLDの開店は、東京における「クラブシーンの幕開け」とも称される。倉庫を改装した7階建ての建物で、新宿ツバキハウスの店長などを務めた佐藤俊博によってプロデュースされ、都築響一が空間プロデュースに関わった。それまでニューヨークで活動していた高橋透が開店に合わせて招聘され、メインDJ/サウンドプロデューサーとなり、おもにハウス・ミュージックやガラージ・サウンドをかけた。イベントとしてファッションショーが開催されたり、入店の条件に光るものを身につけることを求める企画なども行われていた。
敷地が決まると必要な施設のリストアップである。まず、主要な研究開発ゾーンとして、コミュニケーションサイエンス研究所、マン=マシンシステム研究所、アルタード・ステイツ・オブ・コンシャスネス(ASC)リサーチセンターの3つの研究施設を中心に、そのほか、研究者の厚生施設として、レストランやバー、医院などの医療施設、宿泊施設、ブレインジムなどを設定した。次に、コンベンションゾーンとして、国際会議場や展示ホール・AVホール・メディアテーク・各種資料室を内包したメディアセンター、最後にインキュベータゾーンとしてレンタルオフィスや共同利用できる実験・試験施設を置き、この3つの大きなゾーンでゾーニングを行い、それぞれの設計に進んだ。
ちなみに、アルタード・ステイツ・オブ・コンシャスネスは、変性意識状態と訳され、日常的な意識状態以外の意識状態のことである。通常の覚醒時のベータ波意識とは異なる、一時的な意識状態をさす。人々がその体験を共有することも可能であり、社会学分野において研究対象となっている。変性意識状態は「宇宙」との一体感、全知全能感、強い至福感などを伴い、この体験は時に人の世界観を一変させるほどの強烈なものと言われる。その体験は精神や肉体が極限まで追い込まれた状態、瞑想や薬物の使用などによってもたらされるとされる。また催眠等による、非常にリラックスした状態を心理学でこういうこともある。トランスパーソナル心理学ではこれを、人間に肯定的な効果をもたらすものとして研究する。また精神疾患に対する有効な療法として、一時的にこの状態を患者に与える方法が活用されている。これをメディアテクノロジーによって実現させようと思ったのである。
研究開発ゾーンの各研究所やレンタルオフィスは研究所特有のデザインが思いつかず、基本的にスーパーコンピュータの支援を受けたコンピュータで研究が進められることから、特異なデザインは避け、コアを中心にオフィススペースをずらした共通のデザインに統一した高層オフィスとし、その統一感から全体計画の中でミニマルなリズムを生み出すことを考えた。
コンベンションゾーンの国際会議場は、会議参加者と一般聴衆の動線が交わらないことに注意し、メディアセンターは可能な限り可変自由な大空間を用意し、その空間を支える構造として、明石海峡大橋などの長大な吊り橋を支える吊り構造を採用した。
こうして、各施設を中心の広場を取り囲むように配置し、その広場の地下2層に大規模な駐車場を計画し、全体計画をまとめた。らだ、施設数が多く、やることが多すぎたので、個々の建築の細部のデザインにまでは手が回らなく、それほど個性的なデザインを考えることができなかった。だから、個々の建築の詳細な設計を指摘されたら言い訳ができなかっらだろう。
卒業設計で提出した図面はA1サイズでパース2枚を含めて24枚になり、それに模型が加わった。そして、待っているのは講評というプレゼンテーションである。ここでしくじるとそいつ表設計の合否が左右され、最悪の場合不合格になって卒業できない。講評であまりにも緊張感が高まって、女の子の学生の中には講評を前に廊下に座り込んで泣き出しそうになっている子もいた。私の場合は、淡々と計画の説明をし、コンセプトと今後の社会予想を力説したのだが、都市計画を担当していた先生から、「計画人口は何人だ?」と指摘されたとき、目の前が真っ暗になった。都市計画を行う場合、計画人口の設定は第1の前提条件である。私はそれをすっ飛ばして設計を進めていた。初歩的なミスといえばミスで、この瞬間、私の脳裏には不合格という3文字がちらついた。だが、結果としては、学年で10人もいなかった一発合格に含まれていたのである。たぶん、2枚描いたパースを、全く手を抜かず、みっちり描き込んだのが好評だったのかもしれない。また、建築計画において最重要な動線計画がちゃんと考えられていたことも功を奏したのだろう。これで無事卒業ができる。

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