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ダラムサラの山(パート2)

2001年9月12日。この日は朝、9-10-3の食堂のテレビで9・11のアメリカ同時多発テロのニュースをBBCで見て驚いていた。その話はすでに書いたので割愛する。
今回は前回の続きでダラムサラの山の話である。先日はヒマラヤに迫ろうとして、結局、接近することが出来なかったので、改めて、別のルートから山登りをすることにした。選んだルートはQuonium Road(地元ではTipa Roadとして知られている)という道である。バスターミナルから北に向かう坂道を登っていくと、元々ラサのラモチェにあった二大密教学院の一つであるギュトー密教学堂の分院があり、その先にTIPAがある。
TIPAとはチベット伝統芸能研究所の通称である。チベット伝統芸能研究所(Tibetan Institute of Performing Arts=TIPA)は、1959年8月、チベット難民が最初にインドに亡命した年に、チベット人の伝統を維持、保護するために設立された。今では、俳優、教師、音楽家、美術家、訓練生、料理人などを含め120人のスタッフが共同生活を送っており、発声法、歌唱法、舞踊、理論、楽器演奏など舞台芸術の全般を教えるトレーニング機関として、チベットの民族音楽、舞踊、演劇の最高峰であり、伝統が受け継がれている。現在、インド国内の他、世界各国へ公演を行い、評価を集めている。TIPAにはこの後、ボランティアの仕事やお祭りの時に建築家の中原さんやツェリン・ドルジェと共に何度か通うことになる。
TIPAを過ぎて山を回り込むように30分ほど歩いて行くと、数日前に興味本位で登ったSwarg Ashram M.I.Roadを、マクロード・ガンジのバスターミナルから北側の山頂の方に向かって、尾根や沢筋の道を約1.5km、標高差にして約130~140mほど登った所にあるダラムコートという、山に囲まれた小さな集落に出た。どうやらダラムコートの丘を取り囲むように道が作られているようだ。ここはマクロードと違い、チベット人よりも地元のインド人が多く住んでおり、茶店と小学校が道の分岐点にあった。ダラムコートはマクロード・ガンジからとても近い所にあり、マクロード・ガンジに滞在するバックパッカー達の良い散歩コースになっている。明るく日当たりの良いゆるやかな斜面に農家と畑が散在している。
茶店で一杯4ルピーのブラック・ティーを飲みながら小学校の先に続いている道を確認し、それが、さらに山に登っていく道に通じていることが分かると、昼食を取るために一旦、マクロードへ降りることにした。途中、Virassana Centerと呼ばれる瞑想センターがある。ここのボランティアマネージャーはイスラエル人、瞑想コースは申し込んでいても当日来ない人が多いため、ほとんどの申込者がウェイティングリストに載せられるとのこと。
その他、この近くにはダライラマの上級教師であったLing RinpocheのChopra Houseがあり、チョルテン(仏塔)が一つ建っている。また、ヒマラヤン・アイヤンガー・ヨーガ・センター=HIYCがある。ここは、先生はインド人男性の一人で、99%の生徒は、インドに東洋の楽園を期待して来た西洋人とイスラエル人旅行者である。このセンターでは、ハタ・ヨーガを教えている。ヨーガには詳しくはないが、ヒンドゥー語で、「ハ」は「太陽」、「タ」は「月」を意味し、曼陀羅の如く、陽と陰のバランスを促進する為に、体内中の流れを妨げるブロックを取り除き、均等にエネルギーが行き渡るためにハタ・ヨーガの姿勢と呼吸法があるという。体験者の話によると(人のからだには、歪みや曲がりがあり)「正しい」ポーズ(姿勢)から、体だけでなく、心も、真っ直ぐになる実感があるらしい。
閑話休題、話をダラムサラの山に戻すと、マクロードでいつものようにトゥクパとモモの昼食をとった後、またダラムコートに戻ってきた。そして小学校の左手に続く道を歩いていった。途中までは長閑な山道であったが、15分ほど歩くと小さな橋を渡って集落に入った。建物の壁にはラクシュミ(だと思う)などのヒンドゥー教の神様が描かれてあったのでインド人の集落だ。道は階段状になって山の上に通じている。
集落を縫うようにして山の5合目の水槽(ここに湧き水を溜め、水道管で各家に水を引いているのだろう)を過ぎてなおも上っていくと、山の稜線に出た。ここで一先、休憩する。眼下には先ほどの集落やダラムコートの茶店が見えた。マクロードから登ってくること約1時間。汗が背中を伝い落ちる。息遣いはだんだん荒くなってきた。だが、しかし、ここはまだ頂上ではない。さらに山を登っていく道が2方に分かれていた。右手を行くと、どんどん山を登っていく。左手は一旦小山を越えて下界へ降りていっているようなので、一休みすると右手の方の道を登って行った。
山道は、若干の下りはあるものの、あと90%は急ではないにせよ、上りだった。どれくらい登って来たのだろうか?途中に一軒の茶店が開いていた。ここでまた休憩する。ブラック・ティーが8ルピー。ダラムコートの2倍である。まあ、それも当然か?馬の背に荷物を背負って山道を登ってくるのである。そのコストが4ルピー(約12円)とは安いほうだろう。眼下には、いま、自分が登ってきた山道が、山を縫うようにして作られているのが見えた。途中、1ヶ所道が崩れていて恐る恐る通った場所はあったものの、何とかクリアして登ってきた。あそこを馬が通ることは、初めは信じられなかったが、後日、そのキャラバン(と言うほど大げさではないが・・・)を目撃した。
茶店のオヤジに
「あと、どれくらい登ったら頂上なの?」
と聞いてみると、まだ半分しか来ていなかったらしい。しかもここから先は道がいっそう険しくなるという。
のんびりタバコを吸いながらブラック・ティーを飲んでいると、傍らを子供たちがワイワイ言いながら通り過ぎて山道を登っていった。私もそれに続くことにする。しかし、雲行きはだんだん怪しくなってきた。15分ほど登ったであろうか?ついに雨がシトシト降り始めた。山を甘く見ていたようだ。こうなってくると撤退しかない。
「またしても、今日も撤収か???」
山の天候は変わりやすい。しかもまだ雨期の最中である。いつ雨が降ってもおかしくない状況で雨対策をしてこなかった自分が悪い。諦めるのは残念だが、自然の脅威には太刀打ちできない。雨はだんだん激しくなっていった。
登ってきたときに通った山の稜線まで辿りつくと、一先ず建設中の東屋で雨宿りすることにした。財布を取り出すと、かなりの枚数のUSドルやインドルピーが濡れている。コンクリートの壁に貼り付けて乾燥させようとするのだが、無駄な抵抗だった。
ザーザー降りの中、水槽を通り過ぎ、ダラムコートの集落に入った頃にはすっかり濡れ鼠となっていた。そしてここで道に迷うことになる。本当であればラクシュミらしき壁絵の所を右に行かなくてはならないところを左へ行ってしまったのである。いくら行ってもあの茶店にたどり着かない。しかも、道はまったく見たこともないようなところに通じており、その道も行き詰まってしまった。こうなってくると最悪である。草地を縫い、民家の軒下を通って崖を下り、また這い上がって激しい雨にほとんど視界が利かない状況の中、やっとのことでダラムコートの茶店に辿りついた。
ホッと一息、タバコでも吸おうと思ってもずぶ濡れで火がつかない。仕方がないのでブラック・ティーを飲んで雨が上がるのを待つことにした。しかしながらなかなか雨は上がってくれない。Tシャツもズボンもびしょ濡れである。ここまでくると開き直り始めた。
「どうせここまで濡れたら後は一緒だ。9-10-3まで一気に帰ろう」
Quonium RoadとSwarg Ashram M.I.Roadの二通りの選択肢はあったのだが、険しい方の後者を選んで帰ることになった。
9-10-3に辿りついた時は、疲れと安堵が同時に襲ってきて、服を脱ぐなりベッドに横になった(その前に財布の中の濡れた紙幣を取り出して机に並べて乾燥させたのは言うまでもない)。睡眠薬も効いたのだろうか?いつの間にか寝息を立てていた。外は真っ暗である。ローソクを灯して(電球が切れていたのである)明かりを灯し、今日の失敗を来週の水曜日(9月19日)に再チャレンジすることにして、1階の日本食レストランに遅い夕食を取りに下りて行った。
こうして2度目のチャレンジも失敗に終わったが、2度あることは3度はなかった。
そう!!!3度目の正直である。
あの山を初めて間近で見たときの感動は言葉では言い尽くせない。まさに神様に会いに行ったような心境であった。急な山道を登りつめたその時、神様が現前に現れた。荒々しい山肌を見せてはいても、その神様は私の心を優しく包み込んでくれた。

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