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3.キミ、受験番号を書きなさい

受験当日の朝、ホテルが用意してくれた「合格弁当」なるものを手にした私は、母と共に山手線~中央線と乗り継いで、飯田橋までやってきた。戦場の「家の光会館」に着くと、すでにそこには300人近い戦士達が戦闘体制にはいっていた。それぞれが最後の足掻きのごとく参考書を広げている。科目は英・数・国・理・社の5教科。周囲の真剣な様子を横目に、私は昨日もらった英語の東京案内をこれ見よがしに広げて見て、「余裕のよっちゃん」を演じて見せた。心理作戦だ。敵の動揺を引き出そうとしたのだが、うまくいったのかどうかはわからない。隣のヤツはじろじろ見ていたようだが・・・
どの教科から試験が始まったのかは覚えていないが、サクサクと解答を書いていく。思ったよりは難しくはなかった。1科目目の試験が終わり、答案用紙が回収されていくと、試験官として来ていた、後に倫理社会の授業で「ソクラテスは・・・」と講義してくれることになる遊佐先生が私を呼び止めた。
「キミ、受験番号を書きなさい」
差し出された私の答案用紙を眺めると、解答はちゃんと書いてあるのに、肝心の受験番号が抜けていた。慌てて書き込む。遊佐先生が指摘してくれなかったら失格になっていたことだろう。危ない危ない。
「次からは気をつけなさい」と言われた私。
2科目目に入り、ホイホイホイと答案用紙を埋めていく。難なくクリアした私は答案用紙が回収されるとロビーのようなところでくつろいでいた。と、そこにまたしても遊佐先生が寄ってきた。不安にかられた私はふと、「失格、受験終了」の文字が頭をよぎる。嫌な予感がしたのだが、優しそうな顔をしたY先生は私に話しかけた。
「キミ、また受験番号が抜けていたよ」
「今度はちゃんと書いたはずなのに」と思ったのだが、答案用紙を見ると、解答は確かに私の文字だが、受験番号の欄が空欄になっていた。頭を掻きながらまた記入する。しかし、遊佐先生は何故、大量の解答用紙の中から受験番号の書いていないものを選出し、その受験生を特定できたのだろうか?もしや、彼はエスパーなのか?
ようやく5科目の受験を終え、1階に下りていくと母が待っていた。話を聞くと、他の受験生の中には大手の受験塾に通っている受験生もおり、彼らはこの時期、日本国中の進学校を受験するツアーに参加していて、この後も各地の受験会場で戦うのだという。聞いたことのある学校の名前がポンポンと出てくる。「ご苦労なことだ」。しかし、私はここに受かればそれでOKだ。無理して難関校を受験する必要はない。受かってしまえば親とのネゴシエーションをしなければならないが、まあ何とかなるだろう。念願の一人暮らし(寮だが・・・)が出来る。
長い試験時間の間、ずっと待っていたとはとても思えない母に一応聞いておこうと思って、
「試験時間中、なにやってたん?ずっと待っていたの?」
そう聞くと母はさりげなく
「お父さんと浅草と上野に行って来てん。お土産もあるよ」
とぬかすではないか。どうやら息子の受験を餌に東京観光をしていたらしい。
母はまだいいとして、父は仕事で出張中だ。「仕事はどうなったんや?」と疑問が残る。
時刻は夕刻を指し示していた。遅くならないうちに家に帰らなければならない。私もちょっとは東京観光がしたかったのだが、仕方がない 。帰りの中央線の車窓を眺めると夕暮れに沈む東京の雑然とした街並みが広がっていた。
「東京の街ってなんかややこしいな~~~」(息子)
「大阪の街もややこしいで」(母)
と喋っていたらすぐに東京駅に着いた。
出発間際の新幹線に乗り込むと、1泊2日の東京受験旅行は終わり。家路へと向かった。

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