「夢と現の狭間で、ひとりしずかに語ること(蛇足の話)」

 さて、【夢と現の狭間に】の12本目が無事に終わりましたので、ここで区切りとして、関連する雑多な話を少しだけさせてもらいたいと思います。
 雑多ついでに、各話のチラシの裏なども少しだけ紹介。
 基本的に読んでも読まなくても良いような裏話です。でも、退屈凌ぎ程度になるといいな。よろしければお付き合いください。


《 最初の話 》

 【夢と現の狭間に】を企画したのは去年の3月、ちょうど1年前のことです。
 この頃というかここ数年の間、自分が文章を書き続けていることに対して、ずっと疑問というか妙な違和感が離れずにいました。
 高校・大学のころは、形や体裁・内容はさておくとして、文章量だけは書いていました。公開していない雑メモだけ辿っても、それこそ短編集が出せるくらいには量があります。全てではありませんがやはり残っており、今読み直すと顔から火が出ます。昔の文章は読むのが辛い。これが若さか。
 たとえ塵でも積み重なれば山となるもの。しかし、ある時期からそもそも書く量が減り始めました。理由は諸々あるものの、一番の原因としては本をあまり読まなくなったこと。これはいけないと思って色々やりながら、読書量を少しずつ戻そうとし、餌を補給し、少しでも書こうと試みはじめました。
 『いいものを読むことは書くことよ』と『三月』の朱音さんも言ってましたが、まずは好きなものを読み、また好きなことを書きつつ、久しく離れていた舞台も観に行き、隙間時間をとにかく読み書きに費やして、ようやく自分なりの書きたいものが改めて見えてきたところで、今度は妙な違和感につきまとわれる。書いているのに違和感しかない、仕上げてもどうもすっきりしない、という何とも言えない状況でした。
 そんな中、とある区切りもあって、我が友人の誕生日に合わせて短い文章を書きました。書いてみたら、なんとこれが意外とあっさり答えに近づくきっかけになりました。
 その日に書いたものは我が友人に差し上げたものなのでここでは出しませんが、文章量と内容を調整しながら書き直しているうちに、自分の立ち位置と方向性を再認する足掛かりに。まさかこんなあっさり、緒が掴めるなんて思いもよらず、仕上げてから苦笑いしたものです。
 ちなみにその時気づいた事のひとつとは、二次創作というものが自分にはあまり向いてないということでした。
 この頃書いていたものは、当時好きだった作品のキャラクターを自分なりに解釈して動かす『二次創作』が中心でした。でも、色々辿るうちに、これがそもそもの違和感の原因だったと気がつきました。
 元々、話の裏やキャラクターの別の世界線を妄想するのは大好きだし、色々と自由に動かしてみることも大好きで、それは表現に文字という形をとる以前からの私の嗜好ではありました。
 しかし、元となる作品がある以上、どうしても気になること、気にしなければいけないことが多すぎて、文字表現とするには手が止まりやすい。さらに、よくよく考えれば、私の信条的に本来二次創作を仕上げることは難しいのは自明の理でした。とまあ、これについては【ひとりしずかに】のどこかで、そのうち書きたいと思います。
 話が逸れましたが、そうして自分の方向性を少しだけ再認識し、それまでに積み重なっていた悪循環を断ち切って文章を書く量を増やす、というか昔に戻していこうと決めたこと。それが最初のことです。


《 外題と本編と超短編の理由 》

 今回の外題【夢と現の狭間に】は、私の好きなミュージカルの一つ『エリザベート』の東宝公演版から拾いました。一路真輝さんがシシィ、髙嶋政宏さんがルキーニを演じた舞台です。宝塚版も観たけど、私的には東宝版のほうが好み。ウィーン版もいつか生で観てみたい。迫力がきっと段違いだろう。
 さておき、一番の理由としては、これを書き始めると決めた時の私の心情が、このミュージカルの楽曲『夢とうつつの狭間に』に触れていたから。あとは、改めて超短編のオムニバスにするのに、『夢』と『現』の話を書きたかった、ということがあります。
 先日【ひとりしずかに】で書いた通り、3月は2冊の本を読むと決めている月でした。そのうちの1冊が夢と現の狭間を彷徨うようなもの、そしてもう1冊が4部作の不条理劇(要約)なので、それに縋るような形にもしてみたい、というのがありました。詳細については【ひとりしずかに】の3月の項目をどうぞ。
 私の好みの細かいところについては向こうに預けるとして、『夢』と『現』を辿った結果、諸々好きな登場人物を出して、自分の好きなような形で書き進められた短編となりました。
 桜の言い伝えの話から始まり、桜児伝説の話で終わる。いかにも私らしい形の短編オムニバスでした。書いていて難産だった話もありますが、最初の想定以上に楽しめた1年だったな、と思います。
 ルールとして、長さは新書ページメーカーを使って数ページ程度の文章量にまとめること。あとはなるべく時節に沿ったお題にすること。
 書き込みすぎて文章量が増えすぎて削ったり、そもそも足りなくてどうやって綺麗に増やすかなども考えながら形作っていく。ある意味過去にやっていたことを思い出す、という作業で面白かったです。
 文章量の調整とこの形にしようと思ったもう一つの理由は、とある京都の銘菓に入っているコラムがきっかけでした。
 そのメーカーの全ての商品に入っているわけではないですが、ある時何気なく買った時に入っていたそれを読んで、これは面白い、と。
 それ以来、季節ものが出るタイミングで毎年取り寄せるようになり。そのたびに、コラム、という名の超短編を読んで、自分なりの諸々をさらに書き出して積み重ねておりました。
 自分で書くとき、いつかこんなことをやってみたいとずっと考えていて、友人宛に書いた文章の長さが偶然にも重なり、これは今回の企画にちょうどいいのではないか、と書き始める。最終的に割とそれっぽい形になったのではないかな、と思っております。


《 各話の話 》

 この1年書いてきた短編のチラシの裏です。ある意味読み飛ばし推奨。
 ネタバレもありますので、本編とどちらを先に読むかは皆様にお任せします。

⚫︎4月「春の日の病院にて。」
 これは過去のメモからのサルベージです。夏海は先天性の病気で実は先が長くないという、いかにもな設定が残っておりました。
 夏海に関わる登場人物があと二人いましたが、今回に組み込むと長くなりすぎるのでカット。それに伴い、夏海の性格が丸くなっています。

⚫︎5月「雨は海に至りて。」
 恩田陸先生の『六番目の小夜子』を読んで書こうと思ったものです。
 元々雨が好きで、これまでにも雨に絡む小話をいくつも書いていました。
 図書室が舞台なのは、前日譚である『図書室の海』がそれであるから。少しだけ、『三月』の物語構造を意識していたこともあります。
 ちなみにここで登場した先輩と後輩、キャラ設定練り込んで、私の一番のお気に入りになりました。いまのところ。

⚫︎6月「もういない誰かを待つ。」
 ふたたび雨の話です。これは私の嗜好が思いっきり反映されています。
 今更読み直して少しわかりにくかったか、と反省していますが、これは主人を亡くした絵が主人公となっています。
 彼女は水彩画、主人を亡くしたことには気づかず、彼がずっと帰ってくると思い待ち続ける。
 永い年月が過ぎ、主人を亡くした館は崩れ始めている。保護されていない水彩画である彼女は、雨に濡れれば当然……

⚫︎7月「共寝の二度寝はあたたかな繭の中で。」
 時期的にどうなの、と思いつつも、その時に降ってきた発想はどうしようもないよね、と書き上げたような気がします。
 最初は、主人公は眠りが浅く、一人でないと眠れない子の予定でした。その子が珍しく一緒に眠れる相手とのひと夜の話。書き始めたら長くなるなる。というわけで、朝の二度寝が素敵だよなぁ、というところだけ拾い上げました。

⚫︎8月「乞巧の宵はいつかの夢を。」
 七夕の話です。本当は旧暦の七夕である22日に出そうとして間に合いませんでした。反省。
 参考としては平安時代の乞巧奠。故に、細蟹についてすこしだけ触れています。
 登場する二人の会話については、高校時代の友人とのやりとりを参考にしました。彼女は今はどこで何をしているやら。いや、知ってますけどね。

⚫︎9月「一日遅れの宴。」
 自分の誕生月ということで、私の主観が混ざってしまった話です。
 物語の独立性、という意味では完全に不合格。色々反省せねばならない物語でした。どのあたりが私の意思か、についてはコメント差し控え。
 8月に登場した二人に引き続き出ていただいてますが、会話の内容は真逆になっています。
 独立性という意味では不合格でも、キャラ立てした時この二人なら語らせても面白いかと考えて、今回は成立させました。もう少しうまい表現方法を考えてもよかったな、とは思いましたが。

⚫︎10月「月の沙漠はどこまでも。」
 改めて読み直すと、どうしようもないな、と苦笑い。十三夜の月を眺めるはずが、それがどうしてこうなった、というお話です。
 わかりにくい表現になっていますが、二人が入水する間際のシーン。確かこの時に読んでいたものに影響されている。

⚫︎11月「夢は現か幻か。」
 この超短編の外題である【夢と現の狭間に】をそろそろちゃんと拾っておきたい、と思って書きました。
 これはずっと書いてみたかった、舞台のオーディションに関わる話です。台本については完全に私の思いつきで、私自身が高校時代に舞台に立っていた時のことを思い出しながら書いています。
 あの頃にもっと突き詰めていれば、もっと違う現在が有り得たな、という反省をこめた物語。あの時に気づかなかったことが今ならわかる。
 これについては、ちゃんとした小説として書き上げたいので、詳細については黙ります。いつか仕上げる。

⚫︎12月「窓の外。」
 毎年クリスマスには、何らかの形で短編を書いていました。この年はこの企画を進めていたこともあり、一次創作で書こうと決めて、これを仕上げました。5月に出した、お気に入りの二人を登場させています。
 細かい設定を取ってはいませんが、二人の学校の舞台をこの時だけは仙台市に持って行きました。過去、歩いたことのある道を思い出しながら、この二人の路を作りました。もう少しだけ長くしてもよかったかもしれない。

⚫︎1月「夢で金平糖を三粒。」
 1月末に出していますが、話の時期は年越しのころ。本筋は本格的に『夢』と『現』を意識した内容です。これも4月に出したもの同様、過去のメモからのサルベージです。
 病院の内情等について詳しいわけではないので、ほとんどはこれまで読んだものを参考にしたり、あとは勝手な妄想が入っています。
 これはかなり形が出来上がっていたものなので、改めて清書したい。そのうちに手をつける予定です。
 余談ですが、タイトルと内容は一見関係ないように見えて、ちゃんとつながります。言葉の意味調べた時は震えました。

⚫︎2月「素敵な春の逢瀬。」
 閏年の話です。今年(2024年)が閏年なので、せっかくだからと拾い出しました。
 これについては設定が非常にわかりにくい、ということで、本来蛇足である文章を本編の最後に少しだけ付け加えています。
 ネタバレですが、閏年が誕生日の“このひと”、本来あり得ない日に生まれています。
 閏年についての細かいルールの話はここでは省きますが、1900年に2月29日は存在しません。けれどなぜか、“このひと”はその日が誕生日となっているのです。
 歪んだ日に生まれたせいか、“このひと”は閏年の1年間、つまり2月29日から翌年の2月28日までの間だけ存在する、不思議な存在となっています。そして本人はそのことには気づいていません。
 出逢った“わたし”は早々に気づいています。理由は色々。けれど、愛は全ての隔たりをも、越えられる。と、信じて。 

⚫︎3月「挿頭にせむと思ひしも。」
 桜児様、そして手児奈様をモチーフにいただきました。
 いずれも『美しい女性を巡って争いがあり、それを嘆いた女性が自尽する(要約)』という伝承になっております。詳しくは万葉集をご参考に。
 ただ、この話は現代のもの。同じように自尽した女性が桜の樹の精霊となり、とある山奥で生きていたなら、という少し不思議な物語の一節となります。
 短編にするべきではなかった、と書き上げてから。消化不良も甚だしい。自分の中では枝葉が伸び過ぎて、今後どう扱うか迷っています。
 作中の舞台については、私の好きな場所である『月』に近い。
 あの橋を渡った先、こんな場所があるんだろうな、と勝手に想像しています。


《 夢と現の狭間を越えて 》

 私にとっては、3月は色々と“重たい”月でもあります。今年の3月は久しぶりに、自分で書いたものにも影響されて、深く沈み込んでしまったこともありました。でも、積んでいた本を読んでいるうちに叱咤激励され、少しずつ再稼働することに。
 やはり私にとっては、本を読むことが一番良いらしい。そんなことにも改めて気づけたものです。ともあれ色々重ねながらどうにか12本書き上げて、また次の1年へ。
 来月からは月に2本を目標に書き進めます。20日ごろまでにエッセイもどき、月末までには今までのような超短編を出していきます。次回以降の超短編の主軸は、【夢と現の狭間に】で登場していた図書室が舞台の先輩と後輩の話にシフトします。この二人が、書いているうちに私の中で特にお気に入りになりましたので。
 私自身の状況としては『夢とうつつの狭間に』からはまだ脱していません。でも、私淑している先生の言葉を借りるなら、文章を書くことは出産することと同義。出産が楽なもので、あろうはずがない。
 形はどうあれその苦しみすら楽しめる私は、たとえ自身に何かがあってもまだ頑張れるかな、と思っております。

 物語自身のためだけに存在する、心の軋む音が聞こえる物語を書く。そんな単純な、けれど何かに触れる物語を。


              2024年3月。桜の便りが舞う、ある春の日に記す。

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