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研修会に参加した

岡山市の一般社団法人はるそらさん主催の研修会
「サポーターからパートナーへ」
に参加させていただきました。

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サポーターは援助、パートナーは支援
そんな話が前振りとして話をされた後、家族の視点とした話を、はるそらの理事でもあるメンバーさん等からされたり、はるそらの代表・理事・相談役からも、パートナーが何故必要なのか?という話をお聞かせいただきました。

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グループワークでは、介護職とした意見や、家族からの意見や、行政とした意見もありました。
そんな中でも、やはろ出会いとした所の話題が出てました。
「出会い」
どうですか?人と人が出会い、今も付き合っていく関係性の構築を、改めて考えた時、誰もが的確に説明出来るのでしょうか?

出逢い

赤の他人が出会い、知り合い、友人となり、信頼関係が構築される。
こんな感じに上手くいくことばかりではないでしょう。
出会い、この人とは合わんな!と決別することもあるでしょう。でもそんな人とバッタリ出会って、何故か?意気投合することもあるでしょう。
人と人の出会いって不思議なんですよ。

よく施設の介護職の方には、老年期の利用者さんとは話が弾むのに、若年期の利用者さんには身構えてしまい、何を話したら良いのか?わからないのです🥺と相談される事があります。

お年寄りさんは人生経験が豊かですから、頑張っているあなた方介護職員に合わせてくれているから、気を遣ってくれてるから、話しをしやすい様に工夫してくれてるから、話がし易いのですよね。そんな事出来ないと思ってるのは、介護職員だけかもしれないですね。私が若者よりも、歳上の方々と話し易いのもそんな配慮をしてくださってるからだと思っています。

家族とは違い他人との付き合い方って、皆さん幼い頃から自然にやってる事なのに、意識しちゃうとなかなか出来なくなるものですよね。

サポーターもパートナーも

認知症の本人やその家族を支援したり援助する方たちは、あなたがこの方の担当ね!と言われてすぐに出来るものじゃない!ということを理解出来ていない方も多いですね。
理解出来ない方々の多くが陥るのが、上から目線の「してあげる」ですよね。
ココをこうしてあげたら、出来ますよね!出来ないでしょうからコレやっときます。と先走っちゃうことが多くないでしょうか?
「サポーター」とか「パートナー」とかっていう、役名に拘ってるだけですよね。名刺に「〇〇サポーター」とか「〇〇パートナー」ですって、そんな名称を追記したいのかな?
サポーターでもパートナーでも、お互いの信頼関係が無ければ、ただの空回りしてるだけですよね。

同じキーワードの元集まるとそこには⋯

同じキーワードに導かれたモノ同士で集まる時、そこには安心感がある。

「他から飛び込めない集まりになっては居ないだろうか?」
と、ふと考えることもある。

ただ単に、認知症を知らないけれど、参加して勉強したいと来られた方や、畑違いの場所から転勤で勉強しなくてはいけないから仕方なく来られる方々が交じると、腹を割った話が出来ないことは多い。でも同じメンバーで何度も話をすると、そのうち打ち解けることもできるだろう。
認知症サポーター養成講座なんかがそんな感じではないだろうか?何も知らないから、どう対処したら良いのか?を学ぶ機会だろうか。
ただ、認知症サポーター養成講座では、対応方法を学ぶことは少なく、ステレオタイプに認知症を学んでるだけの認知症サポーター養成講座が多いと感じる、異様な空間だろう。
認知症という同じキーワードで集まる集会も、認知症を知らない人からすると、異様な集まりなのかもしれないけどね。

まあ、集会ってモノは、そもそもが異様な集団に他ならないんだけどね(笑)

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