見出し画像

フォーラムに行きましたPart2

第一部認知症の私から見える社会では、丹野氏の著書の中からの言葉を紡いだお話。
認知症の人と家族の会(家族の会)岡山支部の代表の方とのお話
医療関係からの著書を読んでの感想、介護専門職からのお話
そして、岡山県で活動をされている当事者の方々からの大切なお話がありました

第二部 メディアの伝え方は「直訳」なのか「意訳」なのか

~メディアの伝え方は「直訳」なのか「意訳」なのか~
という難しいお題で、メディアとして活動されている川村ディレクターからのお話では、クリスティーン氏ご夫婦の取材の中での報道としての在り方に疑問を感じながら取材を続ける苦悩の話。
丹野氏の旅の中では、スチュワート氏の大切な事の話の中から、丹野氏が大好きな事を諦めてしまった後悔の話をされましたね。
そんな中で特別ゲストの下坂氏への質問では、カメラが使えなくなったらどうする?と質問をされました。

本当に大切にしてきているものを取り上げられるのも辛いけれど、その大切にしている道具が自分で使えなくなった時・・どうする?

わからないよね。思いもつかないよそんな事、考えることができないですよね。

メディアの伝え方は医学書の中の認知症観

医学書の中の認知症観は、間違いではないです。
昭和の時代の痴呆症と呼んでた時代よりももっと以前から医学者や研究者が数多くの痴呆症の患者を研究してきた結果です。100年も前からずっと研究されてきた集大成です。
考えてみてください。
昭和な時代の初診へかかる痴呆症の人の状態を‥
家族が世間へ出すのが恥ずかしいからと隠して座敷牢に閉じ込めてた時代です。家族だけでなんとか頑張ってきたけれど、もうどうすることもできなくなった時に、初めて医師の元へ引き摺って連れて行った時代です。
医師の元へ連れて行った時には、もう誰一人として信用できなくなり、何ひとつ言葉を発しない状態になっている人を医師や研究者は研究してきているんです。重度痴呆症の方しか診たことがないと医師が口をそろえるほどの異常な状態です。でも、それが普通な時代だったんです。
今、年号は令和ですよね。その令和の時代に、昭和の認知症観を当て嵌めるから、おかしくなるんですよね。

精神科病院の昔と今を以前報道番組でも特集されていましたよね。
昭和な時代の痴呆症専門病院はもっと酷い状態だったと言います。いやさほど変わらないのかもしれないですね。劣悪な環境で、人として看られない状態です。

メディアは正しく伝えられているのか?
視聴者が望む映像に偏っているのではないのか?
認知症の人を当事者に演じさせてはいないか?

アルツハイマー病も初期の頃があります。そして軽度の前半と後半でも随分と変化が見られると医師からお聞きしています。その後中等度に進行して、重度になり、終末期を迎えるまで生き続けることができる人はほんの僅かなのだそうです。他の病いを併発することで、命を落とす方が多くあり、アルツハイマー病だけで命を全うする方は、全体の10%にも満たないのだそうです。

でも世間の人は、アルツハイマー病から死を想像して恐いと恐れているのです。
そんな恐いと恐るアルツハイマー病の重度まで進行した人の状態を、世間の人は観たくてしょうがないんだと思うのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?