ファッションブログ、はじめました
人間がしているメンズファッションブログというものを、鳥である私もしてみようと思って、書いてみるのである。
※ 以下、あくまで自分が自分自身に対して抱く批判的感情を言語化しようとする試みであり、他者を批判する意図は一切ありません。
よくある話
何年前のことだったか(おそらくまだ10年は経っていないはずだが)、かつて10回払いで購入したクロケット&ジョーンズの靴を大切に磨いていたころ、たしかに靴や靴磨きに対する情熱があった。
また、高級な靴や服を雑誌で見て、当時経済的に購入することができなかったけれども、少なからず高揚感を抱いていたはずだ。
近年、もはやそういった感情を抱くことは極めて稀になってしまった。
かつての憧れは、簡単に手に入らないから良かったのか?
様々なものを見て、目が肥えたのか?
単純に飽きたのか?
加齢によって感受性が失われてしまったのか?
きっと、これはおそらくほとんどの人が通る道であって、自分だけが特別ではないんだと思う。
ネット上で40歳、50歳になってもファッションに情熱を抱いている方々のほうが、きっと稀有な存在なのだ。
風景の変化
齢30を超え、自分を着飾るという行為自体が格好悪いという感情を抱くようになった。
だいたい人間、このくらいの年齢になると、周りの人間は職場では部下を、家庭では子供を持ち、自分以外の存在を育むことに人生の優先度を置き換えていく。
そういった風景の中で、自分のためにお金や労力を費やすという利己的な行為は、どうもかっこ悪く思えてしかたがないのである。
2019年、大学の先輩でもある中村哲先生がアフガニスタンで死去されたことを、たまに思い出す(※面識は一切ない)。
そして、日本国内だって、消防士のように命がけで他人のために働いている人々がいるよなぁ、と最近思うようになった。
某ウイルスに関連するエッセンシャルワーカーの方々だって、自己ではなく他者のために身を粉にして働いている。
このように必死で他者に貢献している人がいることを無視して、安全地帯で服がどうとか靴がどうとか言っている存在が、どうしてかっこいいということがあるだろうか?
ブログをはじめる理由
そのように感情層では執着をほとんど失い、思考層では自身の行動に対する批判的思想が根付いている中でも、不完全な服装への抵抗感もまた存在する。
このような認知的不協和は自分の人生に混入している課題のひとつであり、いずれ解消しなければならないと思う。しかし、その課題解決にあたり、それ以前に自分自身がどのような認知を行っているのかという認知(いわゆるメタ認知)がまだ不足しているということも否めない。
自身が最終的に目指すものはインテグリティ(この言葉でググると「誠実さ」と説明しているサイトが出てくるが、重要なのは一貫性であって、この訳は不適切だと思う)の獲得である。その過程として、思考をまとめるひとつの手段として、ブログを書いてみようと思った。
なお、このブログがファッションというテーマを取っているのは自分の中では必然的なものではない。別のテーマについては適宜別のところで書く。訪問者からするとセグメント分けされていたほうがわかりやすいだろうと思ったので、そういう括りにしてみた。
ブログタイトルの意味
英語には Manner maketh man. という諺がある。これは、キングスマンに出てくるので知っている人も多いと思う。
これにちょっと似た構成の諺がこの Fine feathers make fine birds. で、直訳すると「良い羽が良い鳥を作る」。つまり「良い衣装を着ると立派に見える」くらいの意味。
これは文字通り服の効果をポジティブに表現しているようにも取れるし、「中身がないけど外観を取り繕うと立派に見えるものだ」と揶揄しているようにも取れる。
うん、まあそんな感じです。
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