偉いって何?人にマウントを取る方法とは?→考えてみました。

「就活」による洗脳

 就職活動を終えてから、やたらと他人の労働条件とか給料を気にするようになってしまった。
企業を選ぶ上で仕事のやりがいや給与・休日などの待遇を分析することが求められるので、多くの人が経験する変化ではないかと思う。嫌な変化だ。

確かに就職というのは人生の中で大きな転機であるし、良い職に就くことがステータスだと考えてしまうのも理解できる。
だが、自分の職業でマウントを取ったり、聞かれてもいないのに就活について語ることはしてはいけない。

私はまさに「就活」に洗脳されてしまいそうであったので、改めて人の優劣を決めるものは何であろうか、良い就職をしたからといって偉いのだろうかと考えることにした。
(下記のツイートは就活後に自分語りをしたくなる洗脳のプロセスを解説したものである)

人の優劣を決めるものとは

 「他人にマウントを取る行為」についての是非は一旦置いておいて、まず人の優劣を決めるものとは何かを考えていこうと思う。ネット上の醜いマウントでよく用いられているものを挙げると学歴や収入に関してのものが多い。しかし、これらは本当に人の優劣を決めるものだと言えるだろうか。

例えば、同じ大学を目標とする2人が、同じ時間勉強をしてそれで片方が受かったのなら二人の間には優劣があると言える。
また、俺も本気を出せばできると言い続けて何もしない人もいる中で、"努力ができる"ということだけでもその人は優秀だと言えると思う。
ただ、良い大学に進学することを望んでいなかっただけの天才や、秀才な中卒がいる可能性はゼロではなく、

「東大の学生は99%以上の確率でFラン大学の学生より学力が高い」というのが限界であると思われる。(能力に言及せず、高度なことを学んだ実績は評価できると思う)

やはり学歴というのはその人を説明する要素でしかなく、その人の優劣を判断するには不十分なのだ。

次に"収入や資産"についてだが、
まず、死後に資産があっても仕方がないので自分が使う以上のお金に意味はないということが言えるし、
収入は労働の対価と捉えることもできるが、宝くじや親の遺産相続など本人の努力なしに得られた資産のことを考えると、やはり資産が多い人が優れた人間だということはできないと思う。(なにより、たまたまあぶく銭を手にしたやつが僕より偉いなんてことは許せない)

さらに極端なことを言ってしまうと、その人がどれだけ頭が良くても、お金を持っていても、私が認知していなければ存在していないのと変わりはない。豪邸に住んでいようが、高級車を乗り回していようがその人の中だけで完結しているし、どれだけ頭が良くても何かを成そうと行動を起こさなければ意味がないのである。

何人に影響を与えたのかという尺度

簡単なことすぎて今更なにをと責められるかもしれないが、偉い・すごいともてはやされるべきもの、その人の優劣を決めるものとは
「何人の人に影響を与えたのか」であると思う。
投稿した論文がどれだけの人に引用されたのか、その小説に衝撃を受けた読者が何人いたのか、である。
ただ、どのやり方が偉いとかすごいとか、そういうところまでは議論できなと思う。もちろんお金で人に影響を与えることも可能だし、立派な行為だと思う。

創作活動をしろ!

人に影響を与えるということは、親孝行など身の回りの人たちを対象に行うこともできるが、多くの人に影響を与えるという観点からみると効率が悪く、狭く深く影響を与えるのが精々である。(そもそも根暗は人と関わる機会が少ない
その点、歌や小説、論文、動画などといった創作物は多くの人の目に触れる機会があり、沢山の人に影響を与える可能性を持っている。

そして、読んだ人が感動・共感する可能性を持っているツイートもまた創作物であり、Twitterは創作活動である

年収とか、福利厚生とか、就職活動によって思考をぐちゃぐちゃにかき乱され、何が偉いとか何をするべきかとか、必死に答えを探した結果、創作活動をすることが偉いのだという"答え"にようやくたどり着いた。
これを読んでいる人も"創作活動"<Twitter>を頑張って欲しいと思う。

人生の答え合わせ

世間では「25歳から人生の答え合わせが始まる」などと言われるように、大学卒業後は趣味に時間を割けない分学歴, 収入, 家庭, 自家用車などのステータスで人を判断することが増えるように感じる。しかし、"ステータス"を上げたところで、それに何かを思うのは自分の周りの数少ない人たちのみである。意味がない。マウントを取るな、偉いのは人を唸らせる創作活動だ。

「卒業までにどうにか論文の投稿を行い、そして死ぬまでに万バズを達成する」これが人生をかけて出した"答"である。


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