巻けメロス

 メロスは激怒した。必ず、邪智暴虐な釣り人達を除かねばならぬと決意した。メロスは巻き以外での釣りの楽しみがわからぬ。
メロスは、週末のエリアトラウトだけが息抜きである。スプーンを巻き、鱒を釣って癒されてきた。
けれどもレギュレーションに関しては、人一倍敏感であった。

きょう未明メロスは家を出発し、野を越え山越え、22里離れた此の足柄キャスティングエリアの地にやってきた。

メロスには同期の友達も、釣りの師匠も無い。共に釣りに行く彼女も無い。年下の、隠隠滅滅とした後輩と4人でいつも釣りに行く。

メロスには竹馬の友があった。村〇基である。その友も今日足柄キャスティングエリアに来ることになっていた。久しく会わなかったのだから、共に釣行するのが楽しみである。

メロスは釣り場に入るとすぐに、ポンドの様子を怪しく思った。ひっそりしている。まだ放流も入っておらず、魚の元気がないのは当りまえだが、けれども、なんだか、そのせいばかりでは無く、ポンド全体が、やけに寂しい。のんきなメロスも、だんだん不安になって来た。

隣にいた釣り人をつかまえて、何があったのか、去年釣りに来たときは、日中でもデカミッツで連発し、釣れ釣れだった筈だが、と質問した。釣り人は、首を振って答えなかった。しばらく歩いてロデオバッカンにロデオロッドスタンドのガチガチトーナメンターに逢い、こんどはもっと、語勢を強くして質問した。トーナメンターは、あたりをはばかる低声で、わずか答えた。

「縦師が、ランガンをします。」
「なぜ自分の場所で釣らない?」
「赤身を狙う、というのですが、誰だって赤身が釣りたいはずです。」
「たくさん魚を釣ったのか。」
「はい、はじめはインレットの頂鱒を。それから、足元のサクラマスを。それから、対岸に移動して足元のロックトラウトを。それから、アウトレットに移動して頂鱒を。」
「おどろいた。縦師は乱心か。」
「いいえ、乱心ではございませぬ。他人の釣果を、喜ぶことが出来ぬ、というのです。このごろは、食べきれぬ魚も持ち帰り、少しく"縦"と口に出した者には、差別発言だと裁判にかけられて、殺されます。きょうは、六人殺されました。」

聞いて、メロスは激怒した。「呆れた釣り人だ、生かして置けぬ。」

メロスは、単純な男であった。魚籠をパンパンにしている縦師に近づき抗議した。たちまち縦師は激昂しメロスを怒鳴りつけた。

「縦釣りの何が悪い?言え!」

「1匹を釣った時の喜びが減る。」メロスは率直に答えた。

「それは縦釣りだけか?」縦師は、憫笑した。
「お前も、釣れる数が増えてきて、1匹1匹に喜びを感じなくなってきてるだろう?」

「言うな!」とメロスは、いきり立って反駁した。

「それに、オリカラとは何事だ?ルールを設けて同じ条件の下に釣りをするならば手に入り易いプロパーカラーだけを使えばよいであろう」

「い、言うな!!」メロスはもう負けそうであったが信念をもって反論した。
「トラキンのルールを疑うのは、最も恥ずべき悪徳だ。」

「口ではどんな清らかな事でも言える。わしには人の腹綿の奥底が見え透いてならぬ。お前だって、釣れなくなってくるとすぐにオリカラやボトム・トッププラグを投げ出すぞ」

「ああ、お前は悧巧だ。自惚れているがよい。私は、ちゃんと修行する覚悟でいるのに。インレットでデカミッツなど決してしない。」メロスは強く言い放った。

「よく言った。ならば私も参加しよう」竹馬の友、村〇基は全ての話を聞いていたようだった。
「メロスと私は今日一日2g以上のスプーンだけで釣りをする。」

「いやgの縛りは…」メロスはそこまでの縛りをするつもりではなかったが、火が付いた村〇基を止めることはできなかった。

「ルールは、聞いた。その条件で釣りをするといい。そして二人はお互いが見えない場所で釣りをするといい。ズルできる状況で釣りをするといい。」
「なに、何をおっしゃる。」
「はは。大きい魚が横切ったら、トリプルフック付きのヴァルキャノンを投げるといい。お前の心は、わかっているぞ。」
メロスは口惜しく、地団駄踏んだ。ものも言いたくなくなった。

~釣り開始~
メロスはナイロンタックルにノア2.1gでサーチを開始した。
私は、今日、釣りの練習をしに来たのだ。練習のためにレンタカー代と釣り券に1万円以上払ったのだ。
若く貧乏なメロスは、つらかった。幾度か、軽いルアーを投げそうになった。クソ!クソ!とチェイスがある度に大声を挙げて、怒りながら釣りをした。

5時間ほど経った頃には昼が過ぎ、太陽は高く昇り、そろそろ暑くなってきた。メロスはルアーを放流用のスプーンに変え、ここまでくれば大丈夫、放流ではこの縛りは辛くないと思った。放流魚はきっと釣れてくれるだろう。私には、いま、なんの縛りもないはずだ。バレにくいタックルを使えば、それでよいのだ。そんなにムキになる必要もない。ゆっくり釣ろう、と持ちまえの呑気さを取り返し、好きな小歌を汚い声で歌いだした。

放流用トラックが到着し、ドバドバと魚が入った時、メロスのキャストは、はたと、止まった。見よ、放流された魚を。
村〇基が投げたディープカッパー5gがルアーポンドの端から端まで引かれ、肉厚のスプーンが強波動を引き起こし、全ての放流魚が猛然一挙にルアーに向かって突進していった。
メロスは茫然と、立ちすくんだ。あちこちとキャストし、また、ワレットをひっくり返してルアーをローテーションしたが、放流魚は残らず村〇基に浚われて影無く、残存魚はディープカッパーの波動におびえて動かない。
強いアピールに放流は続かず、周りの釣り人はクランクを投げ始めた。

メロスは川岸にうずくまり、男泣きに泣きながらエリアトラウト界の神、松〇幸〇に手を挙げて懇願した。「ああ、鎮めたまえ、荒れ狂う波動を!まぶしい金のフラッシングを!時は刻々に過ぎていきます。太陽も既に真昼時です。放流魚を釣ることが出来なかったら、こんな暑い時間帯に魚は釣れません。」
ディープカッパーは、メロスの叫びをせせら笑うかの如く、ますます激しく踊り狂う。魚は突進し、捲き、ポンドは一か所のみ黒々としている。今はメロスも覚悟した。放流魚は諦めるより他に無い。ああ、神々も照覧あれ!声を出して泣く大人の男を!メロスは地味系カラーのノアにルアーを変え、スローに巻くため腕を高く上げながら必死の釣りを開始した。満身の力を腕にこめて、ボトムに着いてしまいそうになるスプーンを、なんのこれしきと巻き上げ巻き下げ、めくらめっぽう獅子奮迅の人の子の姿には、神も哀れと思ったか、ついに憐憫を垂れてくれた。男泣きしつつも、見事、残存魚が1匹釣れてくれたのである。ありがたい。

メロスは孫を見るような瞳で魚を一瞥し、すぐにまた釣りを急いだ。一刻といえども、無駄にはできない。陽は既に西に傾きかけている。釣れたカラーは反応が良かったので、ルアーを変えずキャストを続けていると釣り場の管理人が回ってきた。
「どうですか?」
「いやーぼちぼちですかね。前半はパターンが掴めなかったんですけど、放流後の落ち着いた魚を狙うのは得意なので、やっと今魚が求めるパターンにアジャストできました。いやー実は今回練習をしようと思って2g以上のスプーンだけで釣りをしていて。もどかしいですけどこういう楽しみ方もあるのかなというか、楽しいです。後は帰るまでにお土産が釣れてくれたらなと思うんですけど、ははは。」
「そうですか。」

久しぶりに人と話して気が良くなったメロスはそのままそのルアーを投げ続けていたが。ひったくるようなバイトに糸が切れてしまった。
「あ。」いきなりルアーの重さが消え、目の前には釣り糸がふわりと風に漂うばかりであった。メロスはまだ大丈夫と気を取り直しては、ワレットをひっくり返してルアーを選んだが、ついに、がくりと膝を折った。立ち上がる事が出来ぬのだ。天を仰いで、くやし泣きに泣き出した。ああ、あ、半日かけてパターンを見つけ、やっと魚のバイトが出始めたのに。普段使わないので、今ワレットには似たスプーンが無い。メロス、お前は結局修行などと言って縛った所で魚が釣れないではないか。釣れないなら己が為になっておらぬぞ。
萎えて、もはや、次に何を投げようかも考えられない。路傍のベンチにごろりと寝転がった。精神疲労すれば、身体も共にやられる。もう、どうでもいいという、アングラーに不似合いな不貞腐れた根性が、全身を巣喰った。

ふと耳に、フィッシュ!という大きな声が聞こえた。そっと頭をもたげ、息を吞んで耳をすました。対岸で友が大物をかけたらしい。よろよろ起き上がって、見ると、ステラのスプールからどんどんと糸が出て走っている。
「いやーいいアタリでしたね。テレビの前の皆さんはわかりましたか?アタリはね、糸で取るんですよ。ルアーはね、アルミんの5gです。びゅーてぃふぉーな魚ですね。これはロック系かな?皆さんね、ちっちゃいネット使ってる方いますけど、ダメですよ。こんなにおっきい魚もいますからね。この釣り場だと70すっぽりのネットかな。鹿島槍では80センチの魚が入るネットを持ってきてくださいね。」

メロスはワレットからアルミんを取り出し、スナップに付けた。
ほうと長い溜息が出て、夢から覚めたような気がした。まだやれる。投げよう。ヒットルアーを真似して、わずかな希望が生まれた。日没までにはまだ時間がある。巻け!メロス。
私は釣りが上手だ。私は釣りが上手だ。先刻の、悪魔のような時間は、あれは夢だ。悪い夢だ。忘れてしまえ。場所とか運が悪い時は、釣果が悪くなるものだ。メロス、お前の恥ではない。

竿を大きく振りかぶり、ペンデュラムキャストをし、メロスはロックショアのように釣りをした。自分のスペースからはみ出し、クロスキャストを何度もし、周りのアングラーに後ろ指をさされながら、0.7gのハントをリトリーブするスピードの10倍も速く巻いた。
巻け、メロス。カラーローテと巻き速度を変える重要さを、いまこそ知らせてやるがよい。風態なんかは、どうでもいい。

最後の死力を尽くして、メロスは巻いた。メロスの頭はぐちゃぐちゃだ。もう何が釣れるのかなんてわからない。片づけをする人が増え、放送が鳴り、釣り場の営業が終了した。やりきった。

「村〇基。」メロスは目に涙を浮かべて言った。「私を殴れ。ちから一ぱいに頬を殴れ。私は君を疑っていた。テレビの取材があるからと、大きい魚を沢山放流して貰っていると思っていた。殴れ。」
村〇基は、全てを察した様子で頷き、ポンド全体に鳴り響くほど音高くメロスの右頬を殴った。殴ってから易しく微笑み。
「メロス、私を殴れ。同じくらい音高く私の頬を殴れ。私は今日の釣りで、たった一度だけ、ちらと君を疑った。爪の先のような小さいスプーン、原価の安い1gも無いようなスプーンで釣りをしているのではないかと疑ってしまった。」
メロスは腕に唸りをつけて村〇基の頬を殴った。
「ありがとう、友よ。」二人同時に言い、ひしと抱き合い、それから悔し泣きにおいおい声を放って泣いた。釣果はメロスが3匹、村〇基が10匹だった。

「おまえらの望みは叶ったのか?よくわからんがわしは楽しかったぞ」
縦師の釣果は100匹を超えていた。



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