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裸足でスニーカーを履いたせいだ

 北に八分と西に七分、それぞれ歩いたところに別の薬局が存在し、俺はいつも北の薬局に向かう。北の薬局に向かうためには二本の細道を通る必要があり、どちらも両端から埋めていったために微妙に辻褄が合わず発生してしまったような偶然性が印象としてある。俺はこれをひどく好んでいた。両側には恐ろしく高い塀やところどころ塗り漏れのある白いフェンスなどでちぐはぐに覆われていて、なんだか隠された抜け穴のようだった。隣接する平屋のベランダ越しに妙に生暖かい風が流れ出ている場所や、人の気配がしないコンクリート造のアパートなどが覗ける場所なんかがあり、歩きながらそれらを眺めているだけで気が紛れる。
 こっちに引っ越してきてからは毎月のように風邪をひくようになっていて、多分これは音楽イベントみたいな人が密集した空間に数時間も閉じ込められるようなことを毎月やっているせいだと思うんだけど、そのたびに俺はこうやって二日間は剃らなかった髭をそのままに靴下も履かず薬局まで来る必要がある。
 赤と白のこの薬をレジに持っていくと、法律が変わったので説明しなければならないと謝られ、店内放送で応援を呼ばれる。すると奥の方から白衣を着た眼鏡の男性が現れ、俺を一瞥してから決まり文句を読み上げる。俺は急に注目を浴びるみたいで、ここに今からこの商品を購入しようとしていると宣言されているみたいで、この時間がどうにも耐え難い。十八歳以上であることと同じ商品を二つ以上購入していないことを、俺がはいと生返事をするだけでよく確かめもせず、最後にお大事になさってくださいと言われる。お大事になさってください。医者とか薬剤師とかにでもならない限り、この言葉を言うタイミングは人生に来ないんだろうな。いや、上司くらいになら言いかねないか。
 夢野久作の短歌を見て、これなら俺にも詠めそうだと思った時点で、もう夢野久作には勝てない。素晴らしい創作は、時として創作への憧憬をも曳きだす。簡単に思えるものほど、洗練されて複雑なものはない気がする。
 どうも、幼い頃から詩や短歌というものに興味がなかった。教科書の最初に載っていた詩だか短歌だかは、情景を惹起するにはやや頼りなく、自らに課したフォーマットという制約に縛られているみたいだった。俺はどちらかというと過剰な説明を好み、継ぎ足し継ぎ足しで紡がれた言葉の中から作者の意図を読み取ることのほうが好きだし得意としていた。
 これは足し算しか知らない状態で、最終的には十七音とか三十一音とかの世界にたどり着くのだろうか。どうもその前に、増えすぎた説明を更に増やす方法ばかりが身についてしまう。
 右足の踵が靴擦れで痛む。裸足でスニーカーを履いたせいだ。

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