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やじろべえ物語15

緊急事態宣言が出てても
ここやじろべえはオープン。
しかも閉店はお客さんが帰るまで。

「ママさん、今朝新聞でこんな言葉を読んだんですが聞いた事あります?」

「”自虐的世話役”って言葉なんすけど」
「自虐漫才なら知ってる」

「初めて見たんで調べてみたんですけどね
ちょっと仲良くさせて頂いてる方が
どーもこの筋じゃないかと思うフシもあって」

「あら、んで自虐的何ちゃらってそれは何?」

「ま、簡単に言えば鶴の恩返しらしいっす」

オレはママに携帯の画面を見せて
「ググるとまずこの説明が出てきますけど」

”「他者を世話をすることを止められないこと,それが可能なときで実にそれが必要なときでも自分の面倒が見られないこと,さらに自虐的な傾向や自己破壊的な癖が存在すること」と説明されました。 この性質は、普通のお母さんからかなり重症の精神疾患に苦しむ人まで、広い範囲で認められます。”

だそうですよ

ま、鶴の恩返しで言えば
助けてもらったお爺さんに、恩を返そうと
自分の羽根を痛い思いをして抜いて
はたを織るってのがそうらしいです。

自分を痛めてまで世話役を買って出る?みたいな感じですかねぇ。

そんな言葉が出来るなんていかにも現代らしいですが、鶴の恩返しを書いた人はさぞびっくりしてる事だろうと思う。
しかしだ…
この自虐的世話役、誰しもあるのでは無いのだろうかと疑問に思うのだ。
当然子を持つ親であれば、子供の為に自分を犠牲にする事は
厭わないと思うし、血だろうが臓器だろうが提供できる。
この無償の愛と自虐性、別モノであると思いたいが、自虐とは一体?

先生曰く

”自分で自分を(必要以上に)責めさいなむこと。”

ん~わかんねー
無償の愛とはチト違いますね。

けど、何となく違いも分からん様な気もしてモヤモヤしますが。
自虐的世話役は赤の他人に対しても、そんな事が出来ちゃうんでしょうか?

映画で良くあるアレですかね?
一本のロープに2人が吊るされ、下の人が自らロープを切っちゃうヤツ
とか、
自分が囮になって食べられちゃうヤツとか?

コレも自虐的世話役なのかな?
イマイチ線引きが曖昧で愛があるか無いかの違いかもしれませんが
立場が親子であるか、親族であるか、友人であるか、知人であるか、
その関係性にもよるのか?ってやっぱり曖昧。

私が仲良くさせて頂いている方は
分け隔て無く、自分より相手、自分は我慢して家族の為、他人の為。
そんな方です。
それを知るともう居た堪れない気さえします。
それが本人の望みなら…否定する事も出来ません。
思う様にやりなさい、そう言うしか無いのです。
例えその方がロープを切ったとしても、それは認めなければならない。
こちらとしてはその人の選ぶ結果によって身を斬る思いをする事でしょう。
どんな人であれ、どんな関係であれ、
自虐的と言う自虐はあってはならないと思う次第です。
無償の愛と自虐、自分がどちらにあるか。
そんな事を瞬時に判断する事が出来るなら良いですが…

お年寄りに車が向かっていたら…
自分が跳ねられるかも知れないと思っていても
そのお年寄りを突き飛ばせるか?
そんな判断を瞬時にする事はもう自虐?てか自殺?
そんな事が出来るのか…と言えば…どうなんでしょう…
きっと自虐的世話役の性質を待たれている方は
あーもすーもなく
体が勝手に動くんだと思います。
火事場に取り残された人を助けに飛び込む様な。



いやいや
そんな事はあってはならない事ですが
気をつけてください。

ここnoteのクリエイターさんは
皆さん優しい方ばかりかと思います。
きっとどなたも
自虐的世話役の要素を持っているのかも。

自分を傷付ける事の無い様に
皆さんが温かいnoteの世界に居られる様
願うばかりです。

ね、
「ママは特に気を付けてくださいよ」