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金メダリストでも、有名になる人とならない人がいるのはなぜだろう

病気になってから、テーマ限定みたいなブログになっちゃってますが、他にもいっぱい書きたいことがあるの。

だから、「というわけで・・・今、ここ」シリーズとは外れた投稿。

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パリオリンピックという文字を見るたびに一瞬「パラリンピック」と読み間違えている私。

パリパラリンピックもまもなく始まりますね。

さて、今回のオリンピックは、時差があったけど、暇だったのと暑かったので割と一生懸命見ちゃいました。


いつも思うのだけど、過去の金メダリストでも、よく知っている人と全く知らない人がいる。

何が違うのだろう?

ペア競技でメダルを取っても、片方は有名になるのに、もう片方は「誰?」ということもよくある。

何が違うのだろう?

という答えの出ない質問を振っておきながら、書きたいのは別のこと。

ついでに、画像は、わたしの杖。
身の回りに金のものがこれしかないものだから・・・・てへっ

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わたしにとって、特に考えさせられたのが、スケートボードとかブレイキンとかボルダリング
新しいオリンピック競技。


スケートボードの堀米雄斗選手が、東京オリンピックの金メダル以降、大変苦しんだという。
 
私の自己流理解では、こういうことになる。

「金メダル以来、自分のスケートボードの目的がわからなくなった。元々は、父親から海外のスケートボーダーのかっこいい映像を見せてもらって、こんなふうに滑りたいと憧れたところから始まった。その頃は、オリンピック競技ではなかった。パークですごい技を披露して楽しんでいるスケートボーダーに刺激されて、さらにすごい技、さらにかっこいい滑りを求めた。けれど、オリンピックでメダルを取ると、世界のコンテストで入賞することが目的みたいになってしまって、それはそれで意味のあることなんだけど、あの自由でかっこいいスケートとは離れたところにいって、少し不自由になってしまった」

で、彼は、パークで滑るスケートボードのカルチャーが好きだったことに気づく。

その滑りをSNSにあげることで、自分の憧れたスケートボードの先駆者のように、多くのスケートボーダーに刺激を提供することにした。なにより、それが自分が一番楽しいことワクワクすることだった。


パリオリンピックのスケートボードの採点基準では、「ラン」で45秒間の滑りを2回披露して点数の高い方が、「トリック」では、技を5回披露して点数の高い2回分が、加算されて成績となる。

高度なトリックに挑戦して0点が続く選手たち。

少し難易度を下げてメイク(転ばずに技を成し遂げること)すれば、ある程度の点は取れる。

ある程度の点数を押さえておけば、決勝進出も可能だった。

それなのに、多くの選手は0点になろうとも難しいトリックに挑戦し続けた


スケートボードのカルチャーでは、点数を取るために易々とできるような技を披露するのは「かっこわるい」ことなのだ。


入賞はしなくても、挑み続ける姿が他の参加者からも尊敬されて、自分も満足する理想の姿なのだろう

だって、もともと「かっこいい」から始めたから・・・


オリンピック開催中に、SNSに多くのスケートボードやブレイキンに対する批判的な投稿があげられたらしい。

「路上でやるのを正当化するな」
「うるさくてただただ迷惑」
「公共の場を占有している迷惑行為」・・・etc


我が家も、目の前が駅の広場で、禁止されているにもかかわらず、夕方になるとスケートボーダーがわらわらと集まってきて

「パーン」「パーン」とうるさい音が響き渡る。

舗装の石をあちこち割ったりしても直す気配もない。

しかも、危険。
一般人も、スケートボーダーにとっても。
実際にスケートボードで亡くなった知人もいる。


警察とのイタチごっこ・・・


迷惑行為・・・は、よくわかる


ついでに土日の昼間は、大音量で、無許可で路上コンサートをやっている人も多く、(そして、ごめん、ほとんどの人が上手でもないので)本当にうるさい。

窓を開けていることができない。


迷惑行為・・・は、よくわかる


でも、そんな中から堀米選手が生まれたり、今をときめく素敵なミュージシャンが生まれたりしているのだ。


もし、スケートボードパークみたいな施設が各自治体にできて、みんなが、そこに集まって(予約制かなんかで)練習したら・・・迷惑行為は無くなって、競技としてのスケートボードは磨かれていくかもしれない・・・


でも、どうだろう・・・
元々の発祥のカルチャーは伝説になっていくような気がする。
「かっこよさ」を命懸けで追い求めるような・・・


ボルダリングの森選手の活躍にも、胸のすくような感覚を味わった。

難易度を4つのコースで競う「ボルダー」では、身長の低い彼女は全く手が出ないコースもあった。

「ボルダー」が終わった段階で、彼女の金メダルの可能性はほぼ無くなっていた。

高さを競う「リード」では、他のどの選手よりも高いところまで、しかも速く、登ったにもかかわらず総合評価の結果は4位。メダルに届かなかった。


こちらも海外からも含めて、背の高さがハンディになるようなコースをつくるのは「いじめ」といった意見がたくさん寄せられたという。


でも、どうだろう。
スポーツ競技って、もともとハンディがあるものだと思う。
努力だけでは到達できない域がある(と私は思う)。

それは、バレーボールや柔道や馬術だって同じではないか。


もし、少しでも公平にするのならば、ボルダーとリードの合計点で競い合うのではなく、別の競技にすればいい。

近代五種だけでなく、水泳の種目とマラソンの種目が別にあるように。

メドレーだけでなく、自由形と平泳が別にあるように。


ブレイキンはロス五輪の競技種目からは外れるようだ。

でも、もしかすると、ギャングの抗争をまとめるために銃撃戦でなくダンスで競い合ったというブレイクダンスの発祥を考えると、その素敵なカルチャーを継承していくためには、オリンピック競技になんかならない方がいいのかもしれない。


たくさん殺した人が英雄になるのではなく、たくさんの人を感動させた人が英雄になる・・・


今回のオリンピックでも、たくさんの英雄が生まれた。





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