知らず知らずのうちに、見返りを求めてしまっていた話。

 昨日、夫と喧嘩というか、私が一方的に不機嫌になって、今朝もほとんど夫の呼びかけを無視してしまった。
 午前中の妊婦健診で、「いつ陣痛が来てもおかしくない。明日の朝様子を電話するように」と言われ、私は一日中、心持ちソワソワしていた。確かに、病院からの帰路では腰から足の付け根にかけてにものすごい違和感があり、昼過ぎにはおしるしらしき少量の出血もあった。いざとなったら夫に車で病院まで送ってもらう必要があるし、そのことは再三伝えていた。

 けれど、夫が帰宅して口にしたのは、初産間近の妻に対する労りの言葉ではなかった。
「はぁ、今日も疲れたな」「腰が痛い、痛い」

 夫は、付き合いだした当初から毎日欠かすことなく、お尻や腰の痛みを訴えている。側から見ていれば原因は明らかだ。まず、慢性的な超運動不足。夫は自転車で通える範囲に職場があるにもかかわらず車通勤を貫いている。それどころか、徒歩5分のコンビニですら車で行くほどで、1日の平均歩数は1000歩前後しかない。また、
仕事の内容も座り仕事で、常に腰を寝かせて足を組んで座っており、いくら高級で健康に良いデスクチェアに課金しても全く意味がない状態。
適度な運動で体を支える筋力をつけ、姿勢を正して歪みを解消する。
坐骨と腰の痛みには、まずこういった超初歩的はことから始めるべきではないか。
 私は、面倒がる夫を宥めながらストレッチに誘い、ご褒美に、ということで夜はボディクリームでマッサージをしてあげた。「痛い痛い」「もう無理」と毎回構って攻撃を受けながらするストレッチも、こっちだってすぐに横になりたい体に鞭を打って夫の太ましい脚から腰を隈なくマッサージするのも、本当に心身ともに疲れてしまう。
 けれど、夫が自発的にストレッチを連日続けられたことはないし、せっかくほぐした体を保つため、せめて仕事の合間に軽い運動を取り入れたり、ランチくらいは歩いてみる気も、夫にはサラサラない。そしてまた毎日毎日帰宅して聞かされる、あそこが痛い、ここが痛い、はあ疲れた。
 つまり、苦しみの解決策は明らかなのに、改善に向けた努力は全くしないで、今日ものうのうとその愚痴だけを私に垂れ流している。

 でも、私はいつもそんな夫に「今日もお疲れ様」「かわいそうに」「お風呂で温める?マッサージする?」と声をかけてきた。実際痛いのだろうし、仕事は疲れるのだろうし、家でまで辛辣なことを言いたくなかった。

 しかし、私が元気な時ならいざ知らず、こちらは生まれて初めての陣痛、そして鼻からスイカを出す痛みだという出産にピリピリ恐怖している身なのだ。私の日頃の気遣いや疲れも知らず、素人もせず、あまつさえ出産間近という緊急状況には一向にお構いなしに、今日も今日とて妻に心身のケアを求めているのだ。自分では何の努力もせず。

プチンと来た、という表現はこういう時に使うのかもしれない。

夫はおそらく、私が何にブチギレているのか全くわかっていない。オロオロし、飼い主に叱られた犬のように、少し私から距離をとって様子を伺っているのが分かる。短い人生、不機嫌でいる時間は本当に無駄だ。私だって腹の底から解ってる。でも、イライラを抑えることができなかった。

 さて。なぜこんなにイライラするのか、そしてそれを抑えられないのか、せっかくの機会なのでじっくり考えることにしたというわけだが、おそらく私は、恥ずかしながら、夫に無償の愛で優しくしていたのではなく、見返りを求めてヨイショしていただけだったのだ。

 帰宅した夫を「お疲れ様♡」ときゅっと口角に力を入れた笑顔で労うのは、自分が同じように労って欲しいから。
 だから、期待に反して、こちらが労ってほしいタイミングで思ったような言葉や態度が返ってこなければ腹が立つ。
「その服or髪型似合うね!かっこいい♡」」と過剰に誉めるのは、自分も夫に可愛いと思って愛でて欲しいから。
 だから、期待に反して、こちらが(夫から見て)可愛いであろうスタイルをしているのに褒めてもらえなかったら腹が立つ。
 夫の職場の愚痴や喋りたいことをさも興味があるふりをして聞くのは、自分の愚痴や話したいことも興味を持って聞いて欲しいから。
 だから、期待に反して、こちらが話した内容について適当な相槌を打たれたり、すぐ話題を変えられたりすると腹が立つ。

 夫からしたら、私の優しさや思いやり(のつもりだったもの)なんて、ヤクザに無理やり押し付けられたサーモンみたいなものだろう。自分から欲しいと言ったわけでもないのに無理やり渡されて、後日「オラ、こないだ兄ちゃん俺らからサーモン貰ったよなあ?タダでモノ貰っといてハイお返しはしませんなんて、そんな汚ねえことしねぇよなあ!?!?あぁん?!?!」状態だ。私だったらチビって泣く。

 演技性パーソナル障害の話や、毒母の話ともゆるく繋がる議論なのだろうが、私には相手をヨイショするために軽やかに嘘をつく最悪の癖がある。そのことを自覚し、治そうとしている今も、なかなか完全に克服できておらず、こうして時々その悪い癖が顔を覗かせる。
 その根底には、相手に気持ち良くなってほしいと願う以上に、自分に利益があって欲しいと思っているんだなあと、今回の件でしみじみ痛感した。

 一方の夫は、私とは真逆で心で思った通りにしか振る舞えない人間だ。ゆえに、相手、つまり私のことも“サーモンを無限に持ってて、無限にくれる人“くらいにしか思ってないのだろう。相手に見返りを求めるという発想がないので、何でこんなにたくさんサーモンがあるんだろう?この人が自分にこんなにサーモンをくれる狙いは何だろう?このサーモンの出どころはどこなんだろう?なんて疑ったりしない。優しくされれば「サーモンもらった!わーい」、いつもの優しさがなければ「今日のサーモンは?早くちょうだい!」で終了だ。

 私は、逆に相手に何かしてもらったら咄嗟に「同等以上のものを返さねば」と思ってしまう。プレゼントのもらいっぱなしや奢られっぱなしは気持ち悪く、そんなことで恩義を着せられるならいっそ要らない、と思って人間関係に疲れ果ててしまうタイプだ。

 私もヤクザの世界から足を洗って、シャバに戻りたい。
 そのためにまず、相手を褒めそうになった時には、それが後で集金しようと目論んでいるサーモンなのか、純粋な贈り物なのか、自問自答したいと思う。闇ルートで入手したサーモンを流通させてはいけない。この手で止めなければ。
 そして、人からいただいたものをヤクザのサーモンだと思い込むやめないといけない。それってその相手をヤクザだと思っているということだし、いただいた好意を卑しい商売道具だと見做しているということだ。実は、相手にめちゃくちゃ失礼ではないか?
 流石に、夫みたいに「この人はものをくれる人だ!」で終わるのは社会人としていかがなものか…?とも思うのでその塩梅は非常に難しいのだが、気持ちよくしっかりお礼を言って完結させる努力をしたいと思う。

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