case1 山田家:娘の場合 #ちいさなものがたり

お父さんかあー。口うるさい人だったなあ。
勉強はしてるのか、昨日はどこに行ってたんだ、なんだその髪色は、そんな派手な格好をするんじゃない…
いろいろ言われました。顔を合わせるとね、何かひとつ文句を言ってやらないと気が済まないって感じで。ちょっとでも口ごたえをしようもんなら「ばかもん!!」って怒鳴るわけですよ。あ、お兄ちゃんもその話したの?お父さんの口癖だったもんね。「ばかもん!!」って。

まあ小言は多かったですけど、優しかったんだと思います。
家にいることは少なかったけど、よく手土産を買ってきてくれてました。あー、そうですね、出張があればご当地の名産を買ってきてたんですけど、私はそういう珍しいものより、たい焼きが好きでした。会社の近くにお好み屋さんがあって、そこの店主さんと顔なじみだったんですって。それでよくたい焼きを買っておいてくれたんですけど、これが冷めてもおいしいんです。お父さんはいつのまにか帰ってきて、それでまたいつのまにか出かけちゃうから、思えば焼きたてを食べさせてもらえたことはないんですよね。知らないうちに台所にたい焼きの箱が置いてあったんで。でも、その冷え冷えのたい焼きが、本当においしかったんです。そういえば、いつもたい焼きありがとう、って、結局言えなかったな。

お父さんはヨットにハマってたんですけど…ああ、そうです。自分で乗るほうです。アマチュアのレースに出るからと言って、一度だけ招待してもらったことがありました。お兄ちゃんは仕事だったんだっけ?あー、残念だったね。あの1回だけだもんね。見にくるか?って言われたの。
ヨットに乗るお父さんを見たのはそれが最初で最後でした。まあ正直どのヨットなのか遠目では全然わからなかったんですけど笑、船着場に降りてきて、ヨット仲間とハイタッチしたりして、楽しそうにしてたことは覚えてます。お父さん、あんなふうに気さくに笑うんだなーって、ちょっと意外に思いました。
だって、私たちとしゃべるとき、いつも眉間に皺寄せてましたもん。意地の悪そうな顔ばっかりして。だからびっくりしちゃって。

…家にいるの、つまらなかったのかな。
仕事も趣味も充実してましたから、家では何して過ごしたらいいかわからなかったんですかね。
私たちとも共通の話題があるわけじゃないし、だから出てくるのは小言ばっかりだったのかな。
あー、でもね、よくそんなこと気づいたなあ!って思うことばっかりでした。そういえば。全然顔見てないはずなのに、ちょっと髪色変えた時も、ネイルを新しくした時も、めざとく見つけられて。あと、お母さんにもなんにも話してなかったのに「彼氏とケンカでもしたのか」って急に言われたこともあって。なんでわかったの!?って、ぞっとしちゃって笑。そっけないふりして、よく見てたんでしょうね。よく見てたのか、気づく力が人一倍すごかったのか。経営者でしたからね、そういうところは長けてたのかもしれません。

口うるさいお父さんだったけど、私たちの決めたことには口を出さない人でした。不思議ですよね。進学も就職も、婚約を白紙にした時も、ひとつも文句を言わなかった。別に背中を押してくれるわけでもないんですよ。ただ「そうか」って一言つぶやくだけ。でも、選んだ道で不自由することがないように、ずっとサポートしてくれました。当時は気づかなかったけど、振り返ってみると、あれはお父さんの理解がなければ無理だったなって思うことがいくつもあるんです。
あの性格ですからね、本当は言いたいことも山ほどあったと思うんですけど、それでも好きにやらせてくれたことには感謝しかありません。

なんだか取り止めのない話ばかりですみません。
悪口もいっぱい言っちゃった笑。あんまり言うとまた「ばかもん!!」って怒られちゃいますね。
……あー、そっか。もう聞けないのかあ。だめですね、なかなか実感が湧かない。
まだそのへんにいる気がするんですよね。
ね、聞こえてるんでしょ、お父さん。



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このものがたりはフィクションです。

なしこ


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