case1 山田家:息子の場合 #ちいさなものがたり

頑固な親父でした。
ちょっとでも気に食わないことがあると、すぐに「バカモン!!」と大声をあげていたもんです。
短気というか…気難しいというのとは少し違うと思うのですが、なんて言ったらいいのかな。何をするにしても、親父なりにこだわりがあるんですよね。どれもこれも些細なことで、わざわざ言葉にするほどのことでもないので、周りに要望として伝えたりはしないんですよ。でも「これは俺の思うやり方じゃない」といって臍を曲げてばかりいました。めんどくさかったですね笑。

僕が物心ついた頃には、親父はすでにいくつかの会社の経営に携わっていました。家にいることはほとんどなかった。友達はみんな休みの日にお父さんとキャッチボールをして遊んだとか、どこかへドライブに連れていってもらったとか、そんな話をしていましたけど、うちの親父にはまず休みというものがありませんでした。あったのかもしれませんが、いつも黙って出かけてしまうので、それが仕事なのか遊びなのか知りようがなかったんです。

趣味の多い人でしたから、案外娯楽に勤しんでいたのかもしれませんね。何やってたっけ?ゴルフコンペに出たと言ってはトロフィーをもらってきたり、ヨットに乗ったり…ほらそこに金の模型があるでしょう、それが親父の乗ってたヨットを模したもの。馴染みの職人さんに頼んで作ってもらったって言って、来客の度に自慢していました。
ああそうです、接待と称して、人を連れてくることはよくありました。事前に連絡なんて寄越しませんから、いつもお袋は呆れていましたよ。僕らも家の隅に追いやられちゃうんで、あまり気分のいいものではなかったですね。適当に出前を取って、宴会騒ぎをしていました。

仲良くしてくださる方は多かったみたいです。仕事関係なのか、趣味仲間なのか、そのあたりはよくわからないんですけど。僕らに紹介してくれることなんてなかったですからね。
あまり社交的なほうではなかったと思うので、不思議な話ではあるんですが。人当たりがいいわけでもないし。ええ、そうなんです。家族に限らず、誰に対してもすぐ「バカモン!!」って啖呵切ってましたから笑。
飾らない感じがウケたんですかね。僕らが知らないだけで、何か人を惹きつける魅力みたいなものがあったのかもしれません。

親父の会社で働くようになって、結果的に社長職を引き継ぐことになったわけですが、一緒に仕事をすることはほとんどありませんでした。僕には僕の役割があって、親父にくっついて何かを教わる機会はなかったんです。
でも親父のポリシーみたいなものは全従業員に浸透していて、そんな社風の中に身を置くことで、自然と親父の考えを吸収できたような気はします。親父の目指すものを、社員みんなで追いかけているような感じ。今、なんとか経営できているのも、そのおかげでしょうね。

あー、でも家族旅行は好きでしたね。いろいろ行きましたよ、伊豆とか、草津とか、別府とか。温泉が好きだったんでしょう。湯上がりに飲みすぎてはお袋にこっぴどく叱られてました。親父は全然意に介してませんでしたけどね笑。
僕らが家庭を持ってからも、孫まで全員連れて旅館で一泊するのが正月の恒例行事でした。家族サービスねえ、なるほど、確かに。親父なりの罪滅ぼしだったんですかね。

ワンマン型でしたから、追いかける背中すらなかなか見えなくて、後継としては正直苦労したんですけど…。父親としての在り方みたいなものも、反面教師にしかならなかったし。
今になってみると、親父には親父の夢があって、理想があって…その一点だけを見据えて突っ走っていたのかなって思います。まっすぐに前を見ていたからか、先を見通す力には目を見張るものがありました。応援してくれる人たちの期待に応えることに関しては一所懸命で、本当に一生懸命で……。すみません。そうですね。期待に応えるから期待をかけてもらえて、また頑張ろうと奮起していたのかもしれません。
そうやって親父が大きくしてきた事業を守ることが、これからの僕たちにできる最大の供養になるんじゃないかな。

今でもふと聞こえる気がするんです。
「バカモン!!」って、あの大きな声が。



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このものがたりはフィクションです。

なしこ

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