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一粒万倍日

「でも、それって迷信でしょ?」と彼は言う。
その通りだとは思う。軽く調べたところ、暦から算出して割り当てられた日らしい。仮に統計学か何かで根拠が示されているのだとしたら、それこそすごいことだと思う。そのあたりのことに明るい人がいれば詳しく教えてほしい。

彼は神様仏様を信じるタイプではない。
たまたま災難が続いた折には深刻な顔をして厄除け神社を訪ねたが、過ぎてしまえば信心などどこへやら、である。
対して、私は信仰にはうるさいほうだ。
決まった宗教に傾倒しているわけではないが、人並みに神社仏閣をありがたがっている。前厄の幕開けを待っていたかのようにいくつかの不運に見舞われた際にはすっかりびびり散らし、後厄まで毎年きっちり祓ってもらった。おさがりの御神札にも、折に触れて手を合わせている。

彼は来年、年廻りを迎える。きっと勧めても厄祓いには行かないだろう。
私はすでに再来年に控えた次の厄年を見据えている。

何かにあやかりたいと思うのは卑しいことだろうか。
どうせなら縁起を担ぎたいし、万物を超越したパワー的なものの助けを借りられたらラッキーではないか。
そうやって人は見えない力に頼ってきたし、事実、御利益が得られてきたからこそ、こうした文化が現代まで息づいているのではなかろうか。

とはいえ結局のところ、すべては人の行いに託されていることも知っている。
神仏を崇めたところで行動に移さなければ何も為されないし、ちいさな悪事が帳消しになるはずもない。
一粒の米も、今すぐに万倍に増すわけではない。芽を出させ、田に植え、水を調整し、風を避け、丁寧に丁寧に手を掛けて初めて稲穂は頭を垂れる。万の米粒を得るまでには何年もの歳月さえ要するかもしれない。

きょうの日が真に一粒万倍日となるか否か。
それは私自身に懸かっている。

思い立ったが吉日とはよく言うけれど、まさに思い立ったのが世のいう吉日だった。こんなに縁起のいい話、そうそうないでしょう?
きっと苦笑いをされるから、彼には言わずにおこうと思う。


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文章を書くリハビリがしたいと思いました。
ぽつぽつと綴っていきます。
どうぞよろしくお願いします。

なしこ

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