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桜の木の下で出逢った女の話~最終話

架純がいなくなって
そして俺の高校生活は始まった。


同じ中学校出身の奴は一人もいなかったが
すっかり人付き合いから遠ざかっていた俺は
なかなか友達もできずにいた。


と言っても一人が楽になっていた部分もあったし
人を寄せ付けないオーラでも出していたんだろう。


架純はというと
千葉では上手くやっているそうだ。


『もう標準語もお手のもんやで!』
と本気なのかジョークなのか分からないことを言っていたが
上手くやっているならそれに越したことはない。


毎晩メールか電話はくるし
会いたいと思う辛さはあるが
それでも寂しさは紛れていた。


そして、ちょうどゴールデンウィークが始まる頃だった。


最悪の事件が起きてしまうんだ。






架純に『桜咲きました?咲いたら写真送って下さい』
と言われていたので、公園に足を運んだ。


桜を見ながら歩いていると
何だか一年前を思い出して少し感傷的になる。


そういえばあの写真もあの日ここで撮った写真だな…
そんなこと思いながら写メを撮り
そのまま思い出に浸りたくなった俺は
その公園に留まっていた。


これがいけなかった。


一番会いたくなかった奴に
亀田に遭遇してしまったのだ。


中学時代、俺を孤立させた元凶の亀田に。


知らん顔して立ち去ろうとしたが
亀田に呼び止められてしまう。


亀田はここら一帯で
最も評判の悪い高校に進学しており
この日亀田が一緒にいた連中は
どいつもこいつも悪そうなのばかりだった。


亀田は俺が中学時代にどういう目に遭っていたかを
ツレに馬鹿にしながら説明している。


そして、そのツレの一人の放った一言が
引き金になる。


「なんでコイツそんなことになったのよ?」


この一言が。


そう、元々は俺が亀田と喧嘩し
負かしてしまったことが始まりなのだ。


報復したとはいえ
俺をやったのは亀田の兄貴であり
亀田が俺に直接手を下したわけではない。


いわば亀田は
喧嘩では俺に負けっぱなしのままだったんだ。


不良のツレ達の前で
そんなの亀田のプライドが許すわけなかった。


亀田は自分の力を
誇示せざるを得ない状況になっていた。


もともと理不尽で正々堂々の欠片もないような野郎だ。


何の前触れもなしに
俺はいきなり亀田に顔面を殴られた。


この一発目の当たりどころが悪く
完全に効いてしまった俺は
そのまま為す術もなくボコボコにされた。


勝ち誇った亀田が俺のポケットをまさぐり
財布とケータイを取り出した。


そして金を抜かれ
空になった財布とケータイは
公園内にある大きな池に投げ捨てられた。


人も多かったので
誰かが通報していたのだろう。


警察が来ると亀田達は逃げてった。


俺も色々と聴取されたが
俺はもう内心それどころではなかった。


沸々と込み上げる苛立ちを
その場は何とか鎮めながら適当に警察をあしらう。


亀田に対する溜まっていた怒り
そして架純との唯一の繋がりであったケータイを
水没させられたことで
もう絶対に許せないという気持ちに支配されていたんだ。


ここからの行動は後になって思うと俺が悪いし
後悔している。


それに、すぐにケータイショップにでも行って
紛失した旨を伝えて対処していれば良かったと思う。


ただ、この時の俺は
感情のままに亀田の自宅近くで待ち伏せ。


夜、亀田とツレ一人を見つけると
俺は容赦なく亀田に対して報復行為をしてしまった。


その場から逃げたツレが
警察と共に駆けつけ、俺は連行される。


亀田は救急車で運ばれていた。


留置場で数日過ごすことになったのだが
その間に親名義だった俺のケータイは解約される。


この事件によって色々とゴタゴタしたが
最終的には亀田にウン十万の治療費を払うことで決着。


新聞配達で貯めていた貯金も全部飛んだ。


高校は停学で済んだが新聞配達はクビになっていた。


ケータイはバイトとかして稼ぐようになってから
新しく自分名義で買いなさいと言われた。


この件でたくさん迷惑かけたし
少しでも自立しなきゃと思ったから
それはそれで仕方はなかったのだが
ただ何より気掛かりなのは架純のことだった。


突然ケータイが不通になってしまい
どう思っているのか。


俺から連絡しようにも
架純の電話番号やアドレスは
ケータイにしか入っていなかったのでどうしようもなかった。


新住所も聞いていなかったし
そもそもこっちにいた時すら
架純のマンションの細かい番地は把握していなかったくらいだ。


多分架純も俺の住所は知らなかったと思う。


年賀状なんかも手渡しだったしな。


この辺は過失としか言いようがない。


ケータイがあれば繋がっていられる。


そう思っていたがゆえの過失。


それだけに失った時の脆さは尋常じゃなかった。






なかなか次のバイトも見つからず
架純との連絡も取れぬまま月日は流れ
10月になった頃、コンビニで山下と遭遇した。


別に用はないし
面倒臭いから知らんぷりしていたのだが
俺に気付いた山下が声をかけてくる。


「亀田半殺しにして鑑別所入ってたんだって?」


「そこまでやってねーし鑑別所にも行ってねーよ」


「やったにはやったんだな。何でまたそんなことしたんだよ?」


「別にどうでもいいだろ」


「まぁ亀田に恨み持ってる奴なんて腐るほどいるからな。お前の場合は特にそうだろうし」


「………」


「そういや関西弁の彼女、長瀬だっけ?どうした?千葉に行ったって聞いたけど上手くやってんのか?」


コイツの情報網はどうなってるんだってくらい山下は何でも知ってやがる。


「別に彼女じゃねーけどな」


「なんだよ?別れたのか?」


「だから最初っから彼女じゃねーっつの!」


思わず声が荒くなってしまった。


「お前ら変な奴だな?じゃあまだ友達関係とやらのままなのか?」


「………」


「卒業した後に長瀬とお前の噂流れたらしいじゃん?」


「みたいだな」


「そん時に言ってたみたいだぜ。お前に一目惚れして、ずっと好きだったってな」


───!?


張り裂けそうになった。


あの時は“適当なこと言って流してる”とか言っていたが。


「お前だって好きなんだろ?ちゃんと伝えてやれよ」


「な、なんでお前にそんなこと分かんだよ!そんなのデタラメに決まってんじゃねーか!」


「アホだな。初めてお前ら見た時から両想いなの見え見えなんだよ」


「………」


「これだから童貞は。まぁいいや。じゃあな」


「………」






『お前に一目惚れして、ずっと好きだった───』


『両想いなの見え見えなんだよ───』


山下のこの言葉はしばらくの間
頭の中で引っ掛かり続けることになる。


本当にやり切れなかった。






冬になり
ようやくマクドナルドでのバイトが決まった。


ケータイを購入し
アドレスを以前使っていたものにしようとしたのだが
ここでも問題が発生した。


架純以外で俺のアドレスを知っていた母親と叔母が
二人揃って俺の古い電話帳を消してしまっていたのだ。


俺の以前のアドレスは
初期設定の英数字でゴチャゴチャしたやつだったので覚えているはずもなく。


最後の可能性も消えてしまっていた。


なんかもう見えない力が
俺と架純を引き離そうとしているのかとさえ思えてきたくらいだった。


すべては自分自身のせいなんだがな。


それに半年以上も過ぎてから
アドレス戻したところで架純がメールしてくれるとも限らない。


もう忘れよう。


そう思うように努めた。






とにかくバイトの入れる時間帯は
片っ端から入るようにした。


それと同時期にボクシングジムにも通い始めた。


とにかく何かしていたかったのだ。


そうしないと
架純のことが浮かんでやってられなかった。


夜間の高校だったため
バイトは平日の昼間にシフトを入れていたのだが
土曜の夜にヘルプで入ったことがあった。


その時に一つ年上の恵梨香さんという女性と知り合う。


休憩時間で一緒になり
色々と話しかけられた。


俺と同じ高校の全日制に通っており
将来は看護師になりたいとか
高校入ってから彼氏は一度もできたことないとか
結構なマシンガントークを浴びた。


どうやら恵梨香さんは
俺に興味を持ってくれたらしく
アドレス交換をしようと言われた。


断る理由はなかったので教えたが
メールが届くとどうしても架純を思い出してしまう俺がいた。






やがて俺の環境も徐々に変化してった。


高校では傷害事件の噂が決め手となり
定番の“ぼっち”にはなっていたが
バイト先では“高校生の会”とかいう
高校生バイトの集まりが定期的にあるらしく
恵梨香さんに強引に誘われる形で参加した。


昼間は高校生バイト俺一人だったけど
夜は10人ぐらい高校生バイトがおり
みんなで予定合わせて休日の昼間に
カラオケやボーリングに繰り出して
親睦を深めるといった会らしい。


そういうとこへ行くと
節々で架純のことを思い出してしまう場面もあったが
次第にみんなと親しくもなり
久々に楽しい気持ちにもなれてきた。


それにボクシングも楽しかった。


会長にセンスあるって誉められたり
先輩とかにも可愛がってもらえた。


こうして俺の日常は
少しずつだが違う何かに向けられるようになっていた。






その夏に恵梨香さんに告白された。


恵梨香さんはいい人だし綺麗だし
俺には勿体ないくらいの人だったと思う。


だけど、俺が恵梨香さんに抱く感情は
恋愛とは違った。


俺はまだ、もう一年以上経つけれど
それでもまだ架純が忘れられずにいた。


「ごめんなさい」って断ると
「どうしてなの?」と聞かれた。


「ちゃんとした理由を教えて」と。


だから俺は架純という存在がいたことを話した。


話しながら思い出してしまい
切なくもなったが
それが向き合ってくれた恵梨香さんに対する
礼儀だと思い、全部話した。


集団無視されていたことも
留置場に入ってたことも全部含めて。


返ってきたのは意外な言葉だった。


「ということはまだ私は諦める必要ないよね」


「私がその架純ちゃんって子を忘れさせてあげる」


「絶対私に振り向かせるから」


多分こういう押しの強い人が
俺に合っていたのだと思う。


架純がそうであったように
恵梨香さんも相当強引な人だった。


そして、とにかく俺の隙間を
埋めようとしてくれていたと思う。


恵梨香さんが架純と重なってみえたりすることもあったが
時の経過と共に恵梨香さんで架純が霞むようになってきた。


時間って考えようによっちゃ残酷だよな。


あんなに架純のこと好きで好きでたまらなかったのにさ。


でも俺も必死だったんだ。


もう会えないかもしれない人をいつまでも想い
立ち止まっているよりも先に進まなきゃって。


その後、俺は恵梨香さんと付き合うことになった。


恵梨香さんからの計三度目の告白で
俺も踏ん切りがついたんだと思う。


これが17歳の春のことで
架純との繋がりが途絶えてから2年目だった。






恵梨香さんは看護学校に進学した。


それなりに順調に交際は進み
月日は流れる。


俺は高校卒業を待たずに
プロボクサーとしてデビューすることにし
18歳の春に上京した。


しかし、2戦2勝と順調に滑り出し
新人王トーナメントにエントリーしようって時に
引退することになった。


網膜剥離だった。


余談になるのだが
当時は網膜剥離と診断されると
半ば強制引退という形式だったのだが
俺が引退してから僅か数ヶ月後に
その形式は緩和されたらしい。


それはともかくとし俺は引退。


上京から凡そ1年で地元に帰ったのだが
すでに恵梨香さんとは別れた後だった。


俺が上京することにも反対していたし
俺がいなくなってから他に好きな人ができたと言っていた。


それに俺も悪かったしな。


実は上京するにあたって荷物をまとめている際
架純に貰った封筒を目にしていたんだ。


その時に机の引き出しの奥の方に閉まっていたんだろうけど
ある感情を抱いてしまったのも事実だった。


もしかしたら、上京したら架純に逢えるんじゃないか?
なんてね。


高校は中退、恵梨香さんとは別れ
ボクシングすら諦めることになり
しばらくは何もやる気が起こらずに
ダラダラと日々を送っていたが
20歳の冬に転機は訪れた。


年末の期間限定で花屋の求人が出ており
何となくそこで働いたのだが
その時に花をいじることに興味を持った。


そしてその後
その花屋さんのツテで
葬儀屋に就職することになった。






時間は流れ、23歳の春───。


話は冒頭に戻り
一人暮らしに向けて荷造りをしている時に
5年振りに封筒を見つけた。


中には1通の手紙と1枚の写真。


手紙にはこう書かれていた。


───覚えてますか?

よくよく考えてみるとツーショットの写真ってこれだけだったんですね。

まだ1年も経ってないのにスゴく懐かしく感じます。

またこの桜を見に必ず戻ってくるからね。

また研一くんに会いに必ず戻ってくる。

そしたらまた一緒に写真撮ろうね!───


写真には桜の木の下に並ぶ
ぎこちない笑顔の俺と
おどけたポーズの架純がいた。


懐かしさと切なさが複雑に入り乱れる。


奥底に封じ込めていたはずの感情が
あの頃と変わらない熱を帯びて甦っていたんだ。


きっとこれを見る度に
何度も何度も甦るのかも知れない。


そう思ってしまうほどに
やっぱり彼女は特別な存在だった。






引っ越しも終え
ゴールデンウィークに入った。


といってもあまり暦の関係ない仕事なのだが
一日だけ休みが貰えた。


朝から雨が続いていたが
夕方頃には止んだので
俺はあの桜の公園に行くことにした。


ここをこうして歩くのも久し振りで。


手紙と写真を見た後だからだろうか。


呼び起こされるのは9年前のあの日───


桜色に染まった始まりの日々だった。


交わした言葉も
いつも傍にあった笑顔も色鮮やかに残っていて。


改めて思う。


架純と過ごした一年が
どれだけ大切だったかって。


あの時、架純が俺の傍にいてくれたから
きっと今の俺があるんだよな。


返したい気持ちも伝えたい気持ちも
もう言葉にはならないほどあった。


なんて、バカだよな。


もう8年も前に途切れてしまった関係なのに
まだ逢いたいと願ってしまっている。






二人で写真に収まったあの日の桜を
ただただ茫然と眺めていた。


『研一くん?』


ふと背後から、
俺の名前を呼ぶ声が───


架純の声が聞こえた気がして、
俺は振り返った───。

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