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アーカイブ4 発酵座談会 (2016年11月19日)

きょう集まった皆さんが自分たちの仕事とか生活の現場で発酵させていく、そのヒントを聴きたいなと思って話します。皆さんもこれ聞きたいなとか、それはどうなんだ、うちはこうなんだよ、とかあったらどんどん質問してみてください。

寺田優さん(以下 優) 自己紹介させてください。千葉でお酒造りをしています、寺田本家の寺田優と申します。うちは創業340年ぐらいになる酒蔵なんですけれど、もともと近江商人だったんですよ。
近江で酒を造ってたらしいんですけれども、340年前に千葉に引っ越して引き継いでいってます。
自分はいま24代目の当主をさせていただいてまして、先代の頃に今の酒造りってなんか変じゃないか、お酒って言ってるのに添加物いっぱいでお砂糖とか醸造アルコールとかいれて飲めば飲むほど人を病気にするようなものばっかり造ってると。
そういうものがおかしいんじゃないか、ということで自然酒造りという方向に切り替えたんですね。
自然酒というのが、お米だけを原料に無農薬のお米だけを使って蔵付きの菌の力で発酵させていくというお酒造りを始めていきました。
30年前から取り組み始めて全部がそうなったっていうのは先のことなんですけど一歩ずつ変化をしながら自然酒っていうのを自分たちでも考えながら、最近日本酒が見直されるというのか、街中でも日本酒バーっていうのがあって。
昔では考えられないですね日本酒というのは飲めば悪酔いする親父が飲むものなんていうイメージがあってとんでもないものっていう感じがあったんですけど。
そうやって少しずつ、自分たちは自然酒づくりというのを通して発酵の素晴らしさをお伝えできたらなと思っています。よろしくお願いします。

なかじさん(以下 な) 優さんは、なぜ24代目になっちゃったのでしょうか。

 自分はじつは大阪の生まれなんですよ。
大阪の堺で生まれて、大学のときから関東に行ったんですね。
浪人して大学行ったんですけど、入ってみたところが全然つまらないっていうか、自分の思ってた世界と全然違うなっていうのがあって。
大学行かないでバックパック担いで放浪したり、ワーホリでオーストラリア行って、それからアジアとかアラスカの方に行ったり、ヨーロッパ行ったり、大学時代はそうやってあちこち旅してまわってました。
その頃に星野道夫さんていう写真家の方が書いた『旅をする木』っていうのがあって、すごく衝撃を受けて、こういう感性を持った方がいるんだなって。
星野さんはアラスカで動物写真を撮ってる方で写真も素晴らしいんですけど、文章ひとつひとつ、自然に対する愛ですとか思いやりとか、寒いからこそ人が繋がっていくとか、言葉のひとつひとつにすごい惹かれて動物カメラマンてすごいな、と思ったんですよね。
で、大学を出てからたまたまご縁があって神奈川にある動物番組をつくるプロダクションで働き始めるようになって。
国内で昆虫の撮影をしたり野鳥の撮影をしたりというのを20代のころはやってました。
それで自然と関わる仕事がしたいと思ってカメラマンの仕事を選んだんですけれども、カメラマンの仕事、忙しいんですよ。
朝晩仕事時間長いですし、食事もマクドナルドでばばっと飯食って現場行ったりっていう生活で、自然の中に身を置いても体の具合がよくないなっていうの感じて、じつは食べ物っていうのがすごく大きな関わりがあるんじゃないかというのを思い始めたんですね。
そんなときうちのかみさんに出会って、彼女はそのときマクロビオティックのことを勉強していて、今日お料理作られる桂織さんもうちのかみさんと一緒にお仕事させていただいたりしてますが、そんなご縁もあって食の世界にどんどん惹かれて行ったんです。
うちのかみさんは寺田本家の娘だったんですよ。
その頃カメラマンの仕事を辞めて農業したいと思ってあちこちウーフーに行ったりとか、格さんもご縁のあるブラウンズフィールドっていう千葉にある所で研修させてもらったり。
で、かみさんが農業したいならうちの酒蔵では田んぼもやってるから米作りやってみたら?っていうことがきっかけで蔵の仕事に入っていた。そのままずるずるとここまで来ちゃった、というところなんです。

渡邉格さん(以下 格) そこのずるずるのところが、何?(笑)

 そうなんですよ(笑)ずるずるというのは、かみさんの実家に行ったわけなんですよ。普通行かないですよね。お父さんもお母さんもおられるところ行って家の仕事を手伝い始めるんですね。そしたら近所の人とか親戚の人とか来るんですよ。お前いったい誰だ、つきあってるのかと。じゃあ早く結婚しろとプレッシャーを浴びる。で、ああこれはやらなきゃしょうがないなということで婿入りしようかと。

 なるほど素晴らしい出会い。大恋愛の末ですね。しょうがないからじゃない(笑)

 はい(笑)それで2003年に結婚したんですね。12,3年になるところです。

 ぼくが寺田に入ったのは11年ぐらい前で、僕は8年間いて3年前に辞めたんですけど。この三人の共通項があって、二人のキーパーソンがいて寺田啓佐と中島デコ。寺田啓佐を知ってる方いますか?

 『発酵道』を書いた人ですね。中島デコさんのところでウーフーを最初に優さんがやってて、その後になかじもウーフーで。

な 僕は単なる居候なんですよ。

 で、私がたまたま当時ルヴァンというパン屋さんに勤めてた時に、社長の幸田さんという方と一緒に中島デコさんのとこに行ったときにお茶を出してくれたんですよね。

 電話が来たんですよね。なんで格さん僕の電話番号知ってたんですか。突然来たんですよ「渡邊です、いまからいっていいですか?」って。

 知ってたかな?わかんない。

優 その話後でいいんじゃない?(笑)まあそれで千葉の同じ県内に格さんがパン屋を開業されて、うちはお酒造ってたんですけど、やっぱりその頃から繋ぐってことをやりたいっていうので合コンを企画して、千葉県内の若い有機農家がいっぱいいるんですよ、お嫁さん見つけてやるって20人ぐらいしか入らない店に50人ぐらい入ったり。

 そんなもんじゃなかったですよ。100人ぐらい。

 大変なことになってたよね。

 せっかく合コンやってるのに男の子と女の子がカップルになりそうになるとなんかムカッとしてね。禁止!とかいって邪魔したりしてね(笑)かなり話が外れましたね。懐かしいですけど。私がパン屋を開業する前に一緒にap bankに出てるんですよね。それでじつは仲良くなったんですよ。それもじつは伝説のap bankで、5日間の開催のうち3日間台風がきてつぶれたんですよ。それで、3日間なにもすることがないからどうしよう。京都に行こう、ってこのメンバーみんなで行ったんですよね。あの頃楽しかったですね。

 僕の京都の友達の新婚さんの家に突然夜中の9時ぐらいに電話して、いまからいっていいかって転がり込んで、お二人は朝の5時まで飲んでて。僕は寝たんですけど朝6時ぐらいに7時ぐらいに起きたら格さんが「優さんがいなくなった」って。

 外の風にあたってくるっていって迷って帰ってこれなくなってね(笑)

 酔っぱらってたからね。

 朝の7時に探しに行って。そんなんで自然がどうたらこうたら偉そうに言うなよって思われる方たくさんいらっしゃると思うんですけどね。

 いつのまにか二人がえらくなっちゃって。社会の上層部に。

 いやいや、普通に相変わらずちっちゃい男ですよ。よく妻に言われるんですよ。おまえはちっちゃい男だなあって。それが悔しくてね、頑張ってここまでやってきたっていうのはありましたね。ほんとに。

 これからは女性が社会を変えていくっていう。
僕も婿なので、寺田家は女性の場所なんですよ。女系家族で。
うちのかみさん三人姉妹なんですけど、その上が23代目も婿で、その前も婿で、婿が続いてるんですよね。
お酒造りでも女性の力っていうのがすごく欠かせなくて、近代化されてからお酒って体力仕事になったので女人禁制みたいになったんですけど、昔は女性の仕事だったと言われてます。
ほんとの昔で言えば口噛み酒って口の中でお米を噛んで、ぷっと吐き出してブクブク発酵してお酒になっていったと。
そこから女性はおかみさんと言われるようになったと言われますね。
「噛む」は「神様」にも通じますし、「お酒」は「栄える」にも通じますから、神事としてお酒造りが始まっていったと言われるんですよ。
だからね、日本は神事は巫女さんですとかアマテラスオオミカミとか、ずっと女性が母系社会だったといわれるぐらいですから。

 それを本来の自然に戻していくというね。うちなんか自然に戻っちゃってますけどね。完全に女系社会ですけどね。

 そういえばなかじもじつは婿なんですよね。こんな顔してますけど(笑)

 なかじの奥さん怖いですか?どうですか、みなみちゃん。なんとなく優しい感じしますけどね。

 優しいですよ。(笑)

 点数稼いでる感じしますけどね。(笑)

 優しかったということで。(笑)

 まあ女性が優位な方が男もこうやってこう自分の好きなことできるなっていう。

 そりゃまあ間違いないですね。

な 経済的にもそうですよね。
会社の女性性のトップも増えてきたし、家庭も女性が回してるとうまくいくんですよね。
家族持ちの方いらっしゃると思うんですけど、男性が不幸になったりどん底に落ちても、奥さんは元気なんですけど、奥さんが不幸になると、男性も不幸になるじゃないですか。
男性の幸せって奥さんに左右されるんですけど、男性の幸不幸っていうのは奥さんの幸不幸には影響しない(笑)

 そうなんですよね。寂しいことです。

 だから男性が幸せになるためには、結局外側の仕事頑張るよりも、奥さんをいかに幸せにしてあげるかのほうが結局仕事もうまくいったりとか、自分の幸せにめちゃめちゃ返ってくる。

 いま日本でも働きすぎとかとても問題になったりとか。
たまたまデンマークに行く機会があって話聞いたら、週37時間労働なんだそうですよ。金曜日は半ドン。月~木働いて金曜日は半ドン。
で、仕事によっては残業もあるけど次の日の朝遅く来ないといけないっていう法律あったりとか、連続3週間休みをとらなきゃいけないという法律があったりとか、その方が生産性が高いっていうのがあって、一人当たりのGDPでいえば世界で28位ぐらいだったと思うんですよ。デンマークは7位か8位。
国の規模は日本のほうが大きいから全体では日本のほうが経済大国って言われてますけれども、一人一人の生産性っていう意味では、それだけ休みをとってたとしても高い生産性をあげてると。それはどこにあるんだろうなっていうのを根掘り葉掘り聞くんですけど、それは難しいなっていうのがあったんです。

 なんで難しいんですか?

 自分たちとベースが違うなと思って。まず一つは教育かなと。
子どもの時から日本みたいにあってるかあってないか、マルかバツかじゃなくて皆で考えて意見を言い合うっていうのが成立しているから、若いうちから政治活動にもすごく参加するそうなんですよ。
だから投票率が80~90%ぐらいあって、ただそれを投票すればいいっていうのじゃなくて、普段から日常会話の中で政治の話を頻繁にすると。
歴史的にもエネルギー問題的にも、デンマークはいま自給率が確か60%か70%ぐらいあって、原発は30年ぐらい前に作ろうとしたのを市民の力で廃棄したんですよ。
その代わりに風力発電を推進して変えていった。それが政治に参加する意識であって、普段の生活のなかから政治のこと話をするっていうのを大事にしているっていう。
こうやって集まっておられる方々は意識の高い方々が多いと思うんですけど、普段の生活の中にどうやって入れ込んでいくか。
その意識が社会を変えていくんだろうなと。
デンマークの話ばかりしててもしかたないんですけど、安売りのスーパーの方がオーガニックより売れないんですね。そのスーパーの経営者がどういう思想を持ってるかっていうことに対して消費者はお金を払う。
自分らはまだまだじゃないですか。ほんとに感じたのは日本にいるとしがらみである程度仕方ないっていうのを思いがちですけれども、そうじゃなくやっていく国っていうのが成立してるんだなと。
自分たちの歩く道のヒントがあるんじゃないかって思うんですよね。

 そうですよね。GDPにごまかされちゃいけないような気がしますよね、GDP高い低い、低い国の方が豊かという事例はいっぱいある。
アイスランドも面白いことになってるっていう話なんか聞いたことがありますけどね。
2008年のリーマンショックの時にガタガタになった金融立国が、お金を全部教育とか医療とか、そういうものに回したことによって復活したとかね。
そういう生活とか教育とか庶民が大事にするようなところにお金を流していくっていうのは、全体的にこれからは必要ですよね。

な アイスランドも経済が破綻して国中の銀行が潰れてメガバンクがほぼ潰れたんですよ。そのとき唯一残ってたのは女性がトップのメガバンクだけ残って、男性がトップのメガバンクが全部潰れたんですよ。

 だめだなあ男は。

 そんな中で、優さんに今日は寺田本家のどやって会社が広がってきたのかっていう具体例を教えて欲しいなと思って。
自然農とか無農薬米で造るということとか、生酛(きもと)でお酒造るとか、稲麹造るとか、発芽玄米とか酒造業界ではありえないことだったんですよ。
会社規模でやって、それがいまどんどん広がってって震災以降も、関東北陸の企業ってお客さん離れてダメージ受けて潰れた会社も多いんですけど、寺田本家は震災以降も影響受けず広がり続けたんですよね。

 広がり続けたんですけど、売り上げは変わらずトントンぐらい。トントンぐらいがいいなと思ってるんですよ。
右肩上がりじゃなくて、同じぐらいで進んでいったほうがかえって会社って安定していくのかなと思ってて、うちのひとつ大事にしていることが、大きくしない。
大きくするなら質を高めていきたいなと思ってるんですよね。
もともとうちはお酒を自然造りに切り替えていった時、原料代も高くなったりお米をたくさん使うので原価が高くなったりするんですけど、原価が高くなるなら会社の中で余計だった広告宣伝費とか営業員を雇うお金を辞めていこうっていうことで見直していったんですよ。
今もそういうマーケティング的なところにはまったくお金をかけてなくてですね。お客様がお客様を読んでくださるというスタイルでやらせていただいてるんですよ。従業員は6人ぐらいの会社になりまして、いまぐらいがちょうどいいのかなと。
これ以上大きくなってくると売り上げをもっと取らなきゃいけなくなってくる。
たくさん製造していかなきゃならなくなってくるんで、そこをちょうどいいバランスを保っていくのが大事なのかなと思ってますね。

 そのお金とか人とかものの循環の中で、意識していることはありますか?

 原料のお米も基本的には近隣農家さんから買うっていうのを大事にしてますね。
農家さんが農協さんに入れる価格よりもできるだけ2倍3倍の価格で買い取るようにしてるんですよ。
有機栽培、無農薬でつくってください。ってお願いして、農家さんも農協売ると安いんですよ。さっき言った再生産価格とかには全く合わない。

 1俵1万円ぐらい、60キロですからね。

 ぐらいになっちゃうんですよね。
それでは跡取りも生まれないですし、農業やればやるほど損しちゃうっていう世界ですから、言い方悪いですけどちゃんと高付加価値のお米を作っていただいて、それをうちでお酒にして、ちゃんと市場のなかで売っていくということで地域の中でお金が循環していく流れを作りたいなと思って、できるだけ近隣の農家から買わせていただくようにしています。
これは最初はやっぱりうちの近所でもなかなかそういう農家さんがいなかったので、無農薬でつくってみたらどうですか?って説得まではしていないですけど、説明していって、そうすればうちはこれぐらいの価格で買うから、やっていけるでしょうって話をしていったんですよね。
そしたら近所で15軒ぐらいの農家さんに作っていただいてるんですけれども、ちゃんと商売が農家さんとしても成立してくる。いま近所で75歳ぐらいの不耕起栽培っていう農業やってるおじいちゃんがいるんですけど、そのおじいちゃんは息子さん違う職業して、跡取りがいなかったんですよ。
長年お米作っていただいてたんですけど、年だから先々どうなるかなと思ってたら、お孫さんが「じいちゃん頑張ってるから、じいちゃんの後継ぐんだ」って言いだして。

 おー!何歳ですか?

 いま高3。で、来年卒業したらじいちゃんのコメ作りを継いでいくんだっていって、そうすればまたその地域のなかの無農薬の田んぼが、守られていくっていうことにもなるのでそれは自分たちの大事な役割だなって思ってて。
最近、面白いこと言ってる人がいたんですよ。「これからは豪族の時代だ」って。地方豪族。

 (小倉)ヒラクくん?

 そうそう。いまはどうしても社会の中で大企業優先とかいろいろあるじゃないですか。
そういうなかで、大事なのは地域のなかで経済を動かしていく豪族がぽつぽつ現れてきてるそうなんですよ。
タルマーリーさんもまさにそうですし。
自分もときどき、あちこち行かせていただくんですけれども茨城にも北海道にも面白い人がいるし、それこそ周防大島にも面白い人いっぱいいいるし。
そういう人たちが地域の豪族になって、地域のお金を動かしていくと。それがね、これからの時代になるんじゃないかなと。

 そういう人たちが面白い商品作ってますよね。寺田さんはもちろん、お菓子作ってる人もいるし農家さんもそうだし、一級品、そういうものを作っている人が増えてきているのも面白いですよね。

 寺田本家で面白いなと思ったのは、もともと自然なお酒を造ってなくて、菌を添加して機械でお酒造ってたんですよ。
そこから経営が傾いてきて、当主が倒れて、そっからぴゅって反転した瞬間があったんですよね。
原料を良くしていって菌を添加しなくなったり機械を外していったり、働いている人の精神性というか心を大事にしていくようになったり、じわじわっと会社としても発展していったんですけど、このぴゆっと反転した瞬間をどうやっていったか。これからみんなが反転して、いいものをちゃんと仕入れて造ってちゃんとした価格で売るっていう。
それが経済的な仕組みでちゃんとまわって、みんなが豊かに暮らせるっていうようになっていくのがひとつの成功例になるなって思うんですけど。どう変わっていったんでしょうか?

 なんだろう。急には全部変わらなかったと思うんですよね。
自分たちのできるところを見直して行こう、っていうところでやっていったと思うんですけど、原料見直しとか製法変えるとか。
そうすると銀行さんとかにはものすごい批判を浴びて、銀行さんのいう合理的に原価落として大量生産して売上を広げてやって行きなさい、っていうことと真逆のことをやっていったので。

な それもお金がきゅうきゅうなときに。

 そう。その頃すでに借金も相当あったんで、なんでそれができたかっていうと、そうだなあ。。。ほんと、うーん。。。
まずひとつは、そういうものが社会になかったんですよね、その頃。
いま社会に純米酒いっぱいありますけど、その頃は日本になかった。
だからこそ自分たちはそれやっていかなきゃいけないんじゃないかっていう時で。売れるか売れないかっていうのは置いといて、それが人の役に立つものになるんじゃないかって。
お酒ってもともと百薬の長って言われたので、呑めば元気になる幸せになるっていうお酒が造れたら自然と飲みたい人が現れるんじゃないかと。
売れる売れないよりもまずはどうやったら世の中のお役に立てるのかっていうのがスタートだったんじゃないかと思いますね。

 具体的には原料変えたり作り方変えたりして。

 そうすると売り方も変わって、それまでは営業員さんを派遣して酒屋さんに50本預けてそのうち3本サービスとかそういう売り方だったんですよ。
それをやめて、ほんとにこのお酒の価値をわかってくれる人が買ってくれればいいっていう、ある意味、殿様商売的なところに切り替えていったんですね。
さっきお話してくれましたけれどもブリュードッグっていう、あのスコットランドのビール屋さんの話を読んだらやっぱりマーケティングなんかこれからの時代どうでもいいって書いてあって、自分がいいもの作ってれば自然とそれは社会で見つけてくれる人がいる。ちゃんと作ってれば商品が語ってくれるっていう。

 商品自体がマーケティングなんですよね。

 そう商品そのものが。ちゃんと造ってればそれを商品が語ってくれるっていうところに注力しないといけないってことですよね。

な 例えば会社だったら、まだいまの会社のあり方って三角形でトップがいて下にスタッフがいて、メンバーがいて、トップがぽっと変わった瞬間って、トップは常にリスクを負ってるので、勉強もするし人にも合うから変わりやすいんですけど、こんどそのスタッフ、周りの社員の方がどうやってそれについていったか、どう変化したかっていうのは。

優 やっぱりね、辞めていった人いっぱいいましたし、杜氏さんもそのころはじゃあ越後杜氏っていって新潟から来てたんですけどその杜氏さんも来なくなったりして。やっぱり人はなかなか変わらない。
こちらから働きかけて変われよっていうのは難しいですけれども、働いてくれてる人も自分のなかで気づきを得ながら自分から気づいていくっていうのがすごい大事なのかなと。
そこをいくら上からあーだこーだといっても伝わるものではないですし。
うちのお酒造りのなかでも途中から歌を歌っていこうっていって、機械作りから手作りにしたときに皆で歌を歌い始めたんですよね。
そのときは先代がいたんですけど、先代がこうしよう!って決して言ったわけではなくて、つくっている現場皆でこうすればいいんじゃないかっていうふうに、だんだん切り替えていった。
そういうそれぞれの気づきの中で変わっていくっていうのが大事なのかなと思いますね。まあ、なかじがいて、すごい歌うまいんですよ。なので、なかじがいたっていうタイミングもすごい大きかったですし。

 ちょうどなんか変化して、ぐーって変わっていく瞬間がありましたね。
僕はそういう変化していく現場にいたんですけど、発酵するのに大事な要素って環境って言いますけど、その環境として大事だったのは遊びの隙間があったっていうのは大きいなと思うんですよ。余白。
そのときの代表だった寺田啓佐もそうなんですけど、会社で皆が働いてるときに時間的とか人間の心とか社員同士の心の間に余白が結構あるんですよね。
なんかやろうと思ったらふっとできる雰囲気。
新しいことやろうかなと、ふっとやっちゃえる雰囲気がありましたね。
それって人が作り出す雰囲気なので、会社の三角の組織だったらトップが作り出す雰囲気ですよね。
この空間ではぽこっと実験しても許されるんだなっていう雰囲気が下からふわふわっと湧いてくるものがあるんですよね。
これやってみようと。その代表の人が思ってもみなかった要素が突然湧いてくる、そんな要素が大事ですね。

さっき格さんの、酒母が発酵しないっていう話を聞いたときに思ったんですけど、お酒造りは酵母菌が糖を食べてお酒にするんですけど、そのとき余白ってすごい大事なんですよね。
菌が動くスペースがいるんですよ。
餌だけあっても動く場所がなかったら発酵はしなくて、生酛造りとか酒母造りでも、糖化させて甘酒作って、糖は酵母菌の餌なんですよね。
でも糖だけぽんと置いても余白がないと酵母菌は動かないんですよね。
寄ってこれない入っても動けないから。
生酛の世界では甘くなった糖の中にさし湯をするんですよね。
真ん中にちゃぽんとお湯のプールを作ってあげるとそれが余白になって、そこに空気中の酵母菌がふわあーっと寄ってきて十分に泳げて、周りの糖が浸み出してきて酵母菌が元気になるみたい。
人間社会でいうと社会のなかでホウレンソウとかいってガチガチになっちゃってると余白がないので、社員が何十人もいてこれやったらもっと会社良くなるんじゃないかと思ってもルールでガチガチになってたら動けない。
これやったら上司に怒られそうってなると湧いてきたアイデアがポシャるんですよね。
余白をつくってあげるのは大事ですね。
格さんはタルマーリ―でいいもの仕入れていいもの造って適切な価格で広げて経済的にまわっていくなかで、意識していることありますか?

 私の場合、2008年のリーマンショックに立ち上げてますからね。
物価がものすごい上昇したときに立ち上げたから、パンがすごく高い状態でした。高い値段で売るからその後ビールで原材料が下がっていったところにラッキーなことにどんどんいいもの使っていけたんですよ。
原材料に余白できたからどんどん使っちゃえって一年の間に全部安いものから高いものに変えてきてますよ。
そうするとだんだんものも売れてくるんで、いい原材料があれば差し替えると。お米の値段も今3倍ぐらいになってますよね。

 そうですよね。このあいだ鳥取の店行ったんですけど、千葉時代のパンはもっと酸っぱくてもっととんがった、これは好みを分けるなっていうパン造られてたんですけど、今はもうちょっと皆さんがおいしいと思ってもらえるものになってますよね。(笑)

 裾野を広げましたね。
智頭町行ったら移住者にやさしい街で、いろんなことしてくれるんですよね。
移住してきた瞬間に飲み代出してやるから飲めみたいなかんじでね、街からね。
言っちゃっていいのかな、これ。
いいと思いますけど3万円ぐらい補助が出て、そこのおばあちゃんたちと飲み会やるんですよ。
そうすると次の日から仲良くなるし。移住するっていったら町長が補助金なんかも出してくれたり、うちのパン屋って保育園の跡地なんですけど7,8年ほったらかしにしてたから園庭の木がわさわさしてたんだけすけど街の有力者たちが、議長とかそんな人たちが来て木を伐ってくれたりとか、せっかく伐ったし板にしたらどう?なんて言って2時間後には板になって帰ってきたりね(笑)わーすげー!こんなことあるんだーって。

 いい街だなあ。

 すごい街で。プレゼンテーションのときはうちのパン酸っぱくて食べられないと思うからよそに出荷してお金とってきますから、それで循環させましょうみたいなことを言っちゃってたんですけど、やっぱりパンを食べてもらいたいなと思うようになって、全部レシピを変えちゃいました、今回。
素材は基本的にはちゃんとしたものでやってますけれども、レシピを変えて柔らかくしてますね。水分量をより入れるようなパン作りに変えちゃいました。だから時々パン好きの人がくるとちょっと怒ってますね。「こういうんじゃないんだよねー私食べたいの」「知ってる知ってる。でももうやらないので・・・」みたいな(笑)

 でもはたから聞くと、俺が俺がみたいな世界から、周りにとけこんでいったみたいな。

 そうですね。やっぱり失敗しましたからね。
もう俺が俺がってタイプだったんで人間中心世界観。
千葉でもものすごく嫌われてましたしね・・・。そのことは優さんに教えてもらったんだけど・・・。

 嘘つけ(笑)そんなことない。

 いやいや、とんがってたと思います。
何をやるのも全部自分でやってやれみたいな。
それがどうにもならないなというのがよくわかったので、この智頭町という素晴らしい街できちんと溶け込んで自分の立ち位置を持っていきたいなと思ってますね、今は。

 僕が格さんとか優さんの話きいてイメージなんですけど、農業と経済に分断があるとかね、会社の組織とかっていわゆる三角形じゃないですか、トップがあって下があって上が下をコントロールするみたいな。
だから分断が起こるんですよね。
庶民が上に来られたら困るから。だから分断するんですよ。
絶対的に分断しないと三角形にならないですから。
それがピラミッドから始まった今の物質文明だと思うんですけど、でもこれからの発酵的な経済って円なんですよね。
しかも平面の円じゃなくて球体なんですよ。
立体的な球の経済になっていくなと思って、それが地域それぞれの中心があって確たる柱になるわけじゃなくて、球の中心みたいな、空みたいなかんじで、あるけどないみたいな。
そういう球体の経済が地方に広がっていってそれが日本という大きな円を経済をつくっていけたらと思うんですけど。
これ具体例はまだ僕のなかでは見つかってないんですけど、形として三角形の経済から円の経済になっていくと思うんですよ。イメージなんですけど。

 しかしワーカーズコレクティブもそういう形で始まったけれどもうまくいってないんですよね。

 これどう思いますか?今の経済を円にしようと思ったら。

 うーん、すごい難しいと思うんですけど、やっぱり小商いというのはキーワードになるのかと思ってますね。
ひとつの会社が大きく束ねてしまわないようにというさっきの寺田さんの話じゃないけれども、小さな会社が地域にいっぱい繋がっていくというほうが球にはなっていくんじゃないかと思いますよね。

な 微生物的な観点でいうといままで組織に入ってる人も上から雇われているっていう感覚だったと思うんですけど、それも一人ひとりが個人事業主になっていくというそんな感じになっていくと思うですけどね。

 そうなると面白いんですけどね。
やってみたいと思ったことはありますよ。
全員雇わないで個人事業主にしちゃうみたいなね、それをうまく利用している事例がありますよね。
マッサージ屋さん。マッサージ屋さんて店番雇うの大変だから個人事業主にしてるんですよね。
ボンボンできてるじゃないですか、30分いくらっていうの。
あれは一日中ずっといて彼らがお客とれなかったら報告書とかね千円以下をいただくというシステムになってるんですよね。
だからそういうふうに資本の論理が入っちゃうとつまらなくなっちゃうんですよね。

 コンビニだってそうですよね。フランチャイズ。

 そうですよね。じゃあ実際にもっと理想的なものづくりができるかなと思ったときそこにしがみつくといいものができないような気がしてて、むしろ徒弟制に戻すぐらいのね。
きちっと親方がいて、この仕事できなかったらおまえら給料払わねえぞ、みたいな感じで。いや私はやってないですけどね。
ただそれくらい激しく振れ幅を持って昔の働き方を復活させてもいいのかななんて思ったりしますよ。
やっぱり物を作るとどうしてもお互いがものすごいぶつかるんです。
そのなかでいいものを作っていく仕組みっていうのは昔は多かったんじゃないかと。

 格さんオーナーシェフだからパンが自分の作品じゃないですか。
優さんは蔵元オーナーだから酒が作品ていうより寺田本家っていう活動が作品じゃないですか。
その意識の違いもあるんじゃないですか。格さんパンがまずかったら許せない、みたいな。

 まあまずいですけどね、うちのパンうまくないけど(笑)

 優さんはお酒だけど酒の味変わったからどうだって、激怒するわけじゃないですよね。

 そうですね。毎年違って当たり前ですからね。

 全体性がありますよね、蔵全体がどうなっていくかっていう蔵元の目線がありますよね。

優 美味しいまずいっていうのはその嗜好品ですから、そこに価値観を置きすぎるとスペックがどうっていう世界になってくるんですよね。
それはつまんないなと思うので。

 私も味のことや結果のことでぶつかることはないですよ。
むしろモノ作りにおいてどこを見ているかを大事にしてるんです。
酵母の動きだったりとか、この仕事のタイミングでこれちゃんと見てないなってことが気になるんですよ。
例えばスタッフを見て感じるんですけど・・・。
ただただ職場で時間をつぶしてるだけという子が出てくる。
それがすごく嫌なんですね。
逆に大事なことを見える子は必ず掃除もするし、技術も何もかも良くなっていくんですけど、そこが見えないとその子はただいるだけになっていく。
労働生産性をあげろというとかもっと働けという意味ではないんです。
問題は見る力が細ると、技術が停滞してモノ作りの本当の楽しみが見えなくなるんです。
結局その観察力みたいなものを付けて欲しいていう要求ですね。
出来上がったパンがまずくても、全然俺は怒らないです。
あれ美味しくないね、これは出せないねとか、これなら出そうかっていうだけで、全くそこに関して怒ったっていうことはないですね。

 じゃあそのひとの在り方に対して。

 そう、ちゃんと真摯に向き合えるかどうか。それができないとたぶんうちのパンはできないです。

優 独立したいってくる人多いですか。

 多いですね。

優 独立してった人も。

格 いないですね。いまんとこいないんですよ。
あれ、こんなこと言っちゃ・・(笑)俺が厳しすぎるんですよね。
1年続く子がいないんですよ。あんまりでも怒んないしそういうことでは。
ちょっと舌打ちとかするのが怖いのかも(笑)嘘ですよ。嘘嘘。それはしないけど。見えてないな、ふーん。変わるまで放って置こうってなっちゃう。
ここまで上がって来いっていう風にね。結局苦しくなって辞めてっちゃう。
そうすると発酵がめちゃめちゃ悪くなる、そういうくりかえしをしてますね。

な あとなんかこう二人とも発酵に携わってますけど美味しいお酒をつくる、美味しいパンをつくる、美味しいものを発酵させる法則ってあるじゃないですか。
生酛なら生酛の法則、パンならパンの法則。
それを今の経済とか自分たちの会社とかに応用した場合にどういう応用ができると思いますか?

優 うーん、そうですね。たとえばお酒造りだといろんな菌が入れ替わり立ち代わり現れては消え現れては消えっていうふうにやってくるんですよね。
いろんな菌がいつも関わってきながらお酒を作り上げてる。
自分たちの会社もそうかなって思って、若い世代入れ替わりがあるんですけれども、それなりにやっぱりすごく仕事がなかじみたいによくできる人もいれば、そうじゃない人ももちろんいるんですよ。
それもやっぱりバランスなのかなと思って。
いつもいい菌ばかりでできるわけじゃねーぞっていう。それも含めて経営かなって。

 どうやってバランスとるんですか?

 俺がなんかやってるわけじゃないです。バランスができてくる。

 具体的には?眺めるとか。

優 話はちゃんとします。新しく入った人とも色々話して微生物っていうのはな、っていう話も。
そうやってコミュニケーションはしっかり孤立しないように、なんかこうどこでうまくいかないのかなっていうのはちゃんと見てあげて、でもこうしなさいよっていうのはあんまり指示しない。そうするとバランス取れてくる。

 格さん、さっきのパンを美味しくさせる発酵っていうのは会社の経営とか経済にどう生かしてますか?

格 そうですね、うちは急激にいろんな変化をしてるので一口に言いづらいことはありますね。肥料をあげると腐敗するっていうのは気をつけてましたね。
補助金とかそういうものは気をつけてました。
ところが今回ビールをやるので町や県から、補助していただきました。これから腐敗していくのかなとドキドキしてますけど(笑)

 補助金は化成肥料なんですか。

 そうですね。急激に栄養が入ってきますから。
うちは今までできる範囲でやってきたんで、ずっとできなかったらやらないということでね。
大工さんが200万掛かるっていったら借金しないで自分が持っている20万でやるっていうふうに岡山までの経営はやってきましたからね。
いまはちょっと規模が大きくなってきたのでなんともいえないですね。
でも優さんのおっしゃったとおりいろんなものを受け入れていかなきゃいけない。それが発酵のキーワードかなと思ってます。
俺がパンに関してほんとマニアックというか厳しすぎるので、ここに皆入りたがらないですしね。
だからそういう場所を作らないようにしなきゃいけないのかなと思うんですけど。ただね、ひとつ言いたいのが、今ものすごいいいスタッフが入ったんですよ。
半年で新しいこともっと教えたいぐらいの。
そのスタッフが来て、商品を悪化させてまで皆いてくださいっていう感じでやらなくて良かったなっていう感じはちょっとありますね。
ただ、もうちょっと丸くなれよ俺、っていう感じですね。
いろんな人がいて、それでものを作っていきたいなと思いますね。

以上


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なかじ|Nakaji Minami Tomoyuki
「麹の学校」代表|麹文化研究者 |元蔵人
1979年大分産まれ。京都芸術短期大学陶芸科卒。京都造形大学中退。
海外をバックパッカーで旅する。佐渡ヶ島鼓童文化財団研修所で伝統芸能を学ぶ。料理研究家中島デコに師事、自給的暮らしを体験。
千葉県の自然酒造り酒屋寺田本家に8年間勤め、蔵人頭としてお酒作りに携わる。発酵醸造と哲学を寺田啓介に師事。その後独立。
2016年から「麹の学校」を運営。2018年ヨーロッパ8カ国10都市麹WSツアー。2019年北米6都市麹WSツアー。2020年日本初・日英併記の暮らしの麹作りの本「麹本〜koji for life~」出版(農文協)。世界中に麹作りを通して自然の仕組みと日本の発酵文化を伝えている。
著書:「麹本-Koji for life」「酒粕のおいしいレシピ」(農文協)
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