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気づけばそこにあった音

最近はもっぱら在宅での作業が日常で意識して窓の向こう側を気にしないと今日が晴れなのか雨なのか、、カーテンを開けるだけでは感じれなくなるほど目の前に映る景色はPCやスマホの画面ばかりに。
基本的に電子機器に依存体質では無くむしろ苦手な方。
ただ、集中して作業をしているとどうしても周りの音や環境状況?が入って来なくなってしまいます。私みたいな体質の方は案外少なくないのでは?
そんな中、私の作業を効率よく進ませてくれる必須アイテムが音楽。
音楽と言ってもジャンルは様々だけど、特に無害な音色があって。(この場合の“無害”とは音楽による私の精神的な高揚感の増減が激しくないという意味)
それがギターの音色。ギターが弾ける訳でも無いのに何故だろう?と考えてみたんです。
......あー、思い出して来た。なるほど、なるほど、そう言う事ですか。

育って来た環境は細胞レベルで記憶されているとはこの事なんですね。私が育ってきた環境の中に唯一の楽器音がありました。それがまさにギターの音。
実家は二世帯住宅で一階は祖父母、二階は私を含む父、母、弟の4人核家族が生活していました。
思い返せば一階からも二階からもギターの音が鳴っていたのです。祖父も父も趣味がギターで祖父が好むのは演歌や歌謡曲、父はジャズやボサノバ。祖父は譜面通りに奏でてくれるので聴きやすいのですが、父の演奏は途中からオリジナルのアレンジを効かせてくるもので…。
聴こえてくる箇所がイントロなのかAメロなのかサビなのか、、もはや不明のメロディー。もう、ずっとギターソロ状態。
聴いてるこっちとしては聴き馴染みのあるメロディーから徐々にかけ離れ、そして随分違うものになっていくので末路はノイズ化してくるんですね。や、そうは言ってもなかなかのギターテクニックはあるんです。バンドを組んでライブもしていたそうですし、演奏は上手いんです。上手い!んですけどねぇー、ってやつでして。。。
リビングで母親と私が楽しみにしていたドラマを一緒に見ている時にそんなBGMが横から入ってきた日には私も母も我慢できず「うるさーい!」とやじを飛ばし演奏中止令を出した事もありました。(その命令を出された父はギター片手に別の部屋へ行き心置きなくワンマンライブ。観客はしぶしぶ付き合わされている愛犬のボーダーコリー)

そんな幼少期を祖父、父のギター音と過ごして来た事で大人になった私の耳はやはりどこかでギターの音色を求めるようになっているんですね。 
この文章を綴っている今も好きなギターリストの曲を流しながら打っていますし。(因みに今聴いているのは大好きなセッキーこと関口シンゴ氏)
ギターに挑戦してみた事もありますが、聴いてるほうが楽しいですね。指も痛くならないし笑 

弾けたらそれはそれで新たな楽しさもあるんでしょうけどね、今はまだいいかな。最近気づいた私の“気づけばそこにあった音”。

みなさんにもそんな音ってありますか?

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