自分で選んだ道を歩みたいー就活に際して思うことー

多くの可能性の中から自分で選んだ道を歩みたい。

就活が解禁してそろそろ2週間が経つ。たくさんの人に会って自己分析を繰り返す中で私の望むものの一つが「多くの可能性を持ち、その中から自分で選んだ道を歩む」ことであり、作りたい世界でもあると分かってきた。いわゆる就活の軸と呼ばれるものとは少しずれるのだが、今後生きるうえで大切にしたい思いの一つだ。そう思うようになった経緯を記して、流されないんだぞと自分への戒めにしたい。

私は幼い頃から「あなたはどうしたいの」と母に言われて育った。一番幼い頃の記憶は4歳半下の弟が生まれるのに立ち会ったもので、その次がお風呂場で小学校の受験をするかの選択を迫られたものだ。

当時は鹿児島の幼稚園に通っていたが、小学校からは福岡に行くことが決まっていた。お風呂の湯けむりが白くもくもくする中、「小学校お受験したい?」と聞かれた。まず初めに受験とはなんだと思った。そして受験のシステムや受ける学校について、そのために必要な準備などを聞いて私は公立小に行くことを決めた。なぜその選択をしたのかは覚えていないが、5歳なりに考えて決めた記憶はある。

5歳児に受験のメリットデメリットを説明して選ばせる母親はすごいなと思うのだが、それが当然だと思って育った。しかし1度だけ自分の意思で選択せず、後悔したことがある。中学校受験だ。(受験の話ばかりだな)

中学校を受験した私は合格をもらいすっかりその学校に行く気になっていた。しかしその私立中に行くにはそのとき住んでいた場所から車で2時間ほどかかる祖父母の家から通うことになる。そこで反対したのが父である。2人で車に乗っているときに「中学校で離れるのは、早いんじゃないかなあ。家族でいた方がいいと思うし、あなたもそう思うよね。」と言われた。家族と離れるのは確かに寂しいと思うと同時に父がそういうならと思い、私は地元の公立中に進むことを決めた。当時に戻れるなら説得したい。他の選択肢を持ちながら流されていった場所で辛い日々を過ごす虚しさったらないぞと。

進学した地元の中学校は荒れていて仲のいい子もおらず、ひたすらに勉強して内申点のために部活をやり遂げた。中3で学級崩壊してからは毎日卒業式までのカウントダウンをしてカレンダーを塗りつぶすのが楽しみだった。卒業式の日、正門を跨ぎながら二度と来るかと強く思ったのを覚えている。

恐らく地元の中学校に行くことを当然だと思っていればあそこまで強く嫌だと思うこともなかった。しかし他の中学校に行ける可能性がありつつも、流されていった先での日々が辛かったからこそ自分の道は自分で選ぶことを意識するようになったのだろう。そこから人の意見に流されるのをやめた。

高校では私に医者になってほしそうな父に許可を取ることもなく自分で印鑑を押して文系に行く進路希望調査票を出した。(文系に決めたと言ったときの悲しそうな顔は覚えてるよ。お父さんごめん。)

大学受験は浪人してでも国立大に行ってほしそうな担任の意向に反して早稲田と慶應しか受けなかった。高3の秋の三者面談で母と一緒に私立しか受けないと啖呵を切ったため、母に「これで落ちたらあいつの思うつぼだ」と発破をかけられて泣きながら勉強した。早稲田に受かり「あんなとこ行くと後悔するぞ。行かないほうがましだ」というコメントを担任に頂いたが、いまのところ後悔はない。

大学に入ってからも未経験なのにベビーシッターをはじめてみたり1個下に混ざってサークルに入ってみたりとやりたいことをやった。成功も失敗もあるけれど、後悔はない。失敗してもどうにかなると幼い頃から体験させてくれた母親と、何か言いたそうにしながらもそれを無視して突き進む娘にお金を出してくれた父のおかげだ。

いま就職先を選ぶという岐路に立ち、ここからはますます自分で選択した道を進むことになるのだなと感じている。選ぶ側であり選ばれる側であるが、自分のいいと思った道を選び、その選択でよかったと思えるようにしたい。




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