見出し画像

日記未満 #8

ウィンストン万歳。

くだらない課題を徹夜で仕上げた早朝、駅前の広いロータリーの横にある、パチスロの立体駐車場。その1階部分の一角が喫煙所と化しているのだが、静かで冷たいその場所で、不機嫌に耐えた後に喫む一本はめっちゃめちゃに美味い。自動ドア1枚挟んだところで余裕でクソうるさい昼間の人っけは全く無く、そのコントラストにちょっと終末味を感じて、その上喫煙所なのだから、とても嬉しい。まず早朝の喫煙所な時点でもう嬉しい。嬉しい場所は絶対にいっぱいあった方がいい。キャスターホワイトも頷いている。

朝の駅前には、たくさんの人生がある。全く面識のないあの人たちは、ただその瞬間の事柄ではなく、長い人生を進んできた先にいる。そしてその人生は、自分とは全く違うものだろう。親が違い、学校が違い、習い事も違い、そしてもちろん元の性格も違う。当たり前のことだけど、私はよくそれを忘れる。その違いから生まれる、言葉にするほどでもない些細な価値観の違いを、皆空気を読まされ心に留めるから、性別や性格などで大別でき、また理解できると勘違いをする。

些細な価値観のズレというのは至る所にあるだろうし、むしろ似ていることはあっても、それを育んだ人生が違うのだから、他人と完璧に一致することなどない。私は一度、その他人の価値観で今と全く同じ世界を感じてみたい。それはきっと全く知らない世界で、そしてきっとその中で知らないバリエーションの感情を抱くだろう。そしてそこには個性という言葉はなく、ただの普通があるんだと思う。

昨今声高に叫ばれ続けている「個性の尊重・多様性」という言葉に、ずっと違和感を感じている。社会が他者尊重のためにそれらをキャッチコピーとしてキャンペーンを進めているのは大変ご立派だが、本当に個性が尊重されている社会では、皆それを当たり前と思うはずだろう。同じ人生を歩んでるはずがなく、同じ価値観な訳もなく、そちらが感じているものと私の感情が、どうして同じだと思うのか。違うに決まっているだろう。言語を持ち、個性の認識が互いに可能である以上、「人間」は1種の動物ではない。異なる種の生物が共生するためには、互いへの愛と、自分と異なることを理解しようとする努力が必要だ。それがわからないのなら、板垣巴留さんのBEASTARSを読み直せ。

2023/2/20

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?