道程

 過激なタトゥーを入れて、さも自分は残忍な人だと演出したいのならばその過程も過激で残忍である必要があるのだそうだ。

その場次第の装いなのか、人としてのキャラクター、スタイルなのかがそういった場面で明らかになるのだと思う、ちゃんとした窮地に立たされた時に。判断を迫られたときに。

それとはまた別だけれど、上手にこなしたくて、でもなかなかうまくいかないと。「どうしようか」とひとつ考えたとき、なぜうまくやる必要があるのか、自分の為か、はたまたどなたかの為なのか。まあどちらか片一方による必要もないのだけど


一旦頭を冷やしたとき、前と同じように自分が格好つけること全振りじゃなくてヨカッタあ、少し変わったな変わったなと安心、ちょっと透き通った

考えって一度決めたら固定されるモンじゃあないし、明日になったら明後日はまた気持ち変わって、そんな時もまああるさ

ただ考えたことその記録をとっておくこと、忘れたころに後で見返せるものを残しておくことがいつかの自分の為になる、これは絶対に。暇つぶしにもなるしね

結果はモチロン重要で、大体の知らない人はそこしか見てくれないが、そういう人をメインとして捉える捉えないは人それぞれなので わたしは捉えないけれど

過程も同じように大切なんじゃあなかろうかと、そこを見てくれる人もいるだろうし、いなくても自分は見てあげよう


ぷは

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?