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米国でも大人気!「Shōgun (将軍)」を考察してみる ①

その1. INTRAODUCTION

意外に日本ではそうでもなくて、海外で見られてるの?

今年の3月ごろから、やたらと周りのアメリカ人から「ショーガン」みてる? と聞かれるようになり、ショーガンとはなんじゃろな? と思ってたら、子どもたちからもすすめられるようになり・・・。
それにしても、米国の皆の衆。せめて「ショーグン」って発音しようよ!

普段HULUの連続ドラマってほとんどみないけど、一話だけでもみるかと・・・で、結局二日間で一気に七話までみてしまい、その後は火曜日ごと、最終回までつっぱしってしまった。

最近のドラマの中ではダントツおもしろいよ。

登場人物が善悪関係なく誇りたかくて、真剣に生きて真剣に死んでいってしまうから、切なくて愛おしい。
それに、虎永が絶対的な善のヒーローじゃないのもいい。結構な陰謀家なくそジジイだが、強いようで傷つきやすくて、なぜか命をかけてついていきたくなるような魅力に説得力がある。

和楽器をアレンジした音楽も、わざとらしくシーンをもりあげたりしなくて邪魔にならない。作中に何度か「風」というキーワードがででくるように、無調の音楽が意図するのは「風」の音か。海を林を空を抜ける風、そして宿命の足音のリズムをきざんでいる。

このドラマをひとことでいうなら、虎永・鞠子・按針が魂を開放するというお話だと思う。
この三人の共通するのは、囚われながらも、風にのって自由に飛び立つことを希求していること。でも、決して自己中心ではなく、時には自己犠牲的な行動になる。
無意識にこの三人は同類だということを感じているからこそ、心の奥底で深くつながり助け合っている。

藪重が最後に問うていたけれど、「将軍」は虎永の野心の目的ではない。
子どものころからずっと人質として生きてきた虎永が自由になるための手段。それが「将軍」という地位だった。
按針と会い、外交を担当する上で、小国を食い物にしようとする外敵に囲まれている危険に真っ先に気づいたのは虎永だ。もはや国内で小競り合いしている場合ではなく、戦国の世を終わらせ日の本を統一するためには中央集権が必要だということを実感したにちがいない。
まず日の本を守ること。それが、虎永が自由を得ることの第一歩だった。


最終回には賛否両論があるらしいけど、関ヶ原の戦いの勝利というカタルシスでわかりやすく終わりにしなかったほうがいい。まるで囲碁の終局のように静かに幕をひいたのは、つくづくかっこいいエンディングだと感動した。
虎永がかわいがっていた鷹を放してやるシーン。風にのって大きく翼を羽ばたかせ解放された鷹が、虎永の願いがかなった象徴なんだろうな。

日本人にこそこのドラマを見てほしい。

ディズニーのアニメは、文化的バックグラウンドが違っても、等しく感動できるよう工夫がこらしてあって、それはそれでいい。
でも、このドラマに関しては、わからないならわからないでいいという突き放すだけの自信を感じた。それを支えているのが、日本の歴史と文化に尊敬を感じる細部へのこだわりだ。真田広之プロデュースのおかげで、時代考証がいきとどいているから、違和感が最小限になっている。

何種類かある掛け軸も、日本人の私さえなんと書いてあるのかわからない。蓮歌のくだりも、たぶん日本語以外の視聴者にはほとんど理解できないだろう。その「理解できない」という感情が、日本の文化への興味につながっていくといいなと思う。

私以外の家族は英語が第一言語だから、その理解不足を補うため、日本人の視点で「Shōgun」を考察してみることにするね。

「作中の連歌」につづく。



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