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排気口をやめることについて

長い年月をかけて背負っていたリュックをおろすとき、すごく楽になるのと同時に、背中がとても寂しく感じてしまう。
もう一年以上、そのリュックをおろすことを決めて腰掛けているのに、なんだかやっぱり寂しい気持ちが拭えなくて、今も背中に当たるそよかぜを敏感に感じてしまっている自分がいる。

排気口を脱退することにしました。
排気口の活動から離れてから割と経つのに、なかなかはっきりと発表できず、排気口の方々にも応援してくださる方々にも申し訳ない気持ちでいっぱいです。
やっと自分の中で、気持ちの整理がついたのでお知らせすることにしました。

この文章を書くにあたって、何度もLIGHTERSの「Bad Dreams」を聴きました。この曲に出会えてよかったです。



排気口と私のこと

排気口は私が大学2年生のときに出会った劇団で、よく考えてみればもう10年ほど前になる。仲の良かった演劇研究会の友達の繋がりで映像研究のゼミの作品作りに携わらせていただくようになって、そこで排気口の人々とも仲良くなったのがきっかけ。
初めて排気口の作品を見たとき、わけがわからない難解なことをやっているのが明らかにわかって、全く理解はできないのだけど、作品の根底に漂う茶色や紫色や藍色の、哀愁とか絶望とかの感情がとても美しかったのをよく覚えています。

全く理解できないのにその感情が美しくて、もっと作品のことを理解したら描くものがもっとはっきりと、美しく見えるんじゃないかって思ってたところで、学校外でやる初めての単独公演に出演してほしいと言われて客演で参加したのが、吉祥寺gallery Re:tailで開催した「泳ぎだす前の短い歴史」。

そんな大学生活を一緒に過ごした人々と始まった排気口と私の日々。会場の席がなかなか埋められず辛かった時期もあったし、作・演出の穂波さんがやりたいスタイルが少しずつ変わっていくのに私はうまくついていけずに悩んだ時期も長かった。だからキャンセル待ちが出たり、SNSで公演のたびに感想をたくさん書いていただける排気口を、いま離れたところから客観的に見てみて、本当に良かったと安堵する自分がいたりする。



いろんな思い出がかけ巡る。

「泳ぎだす前の短い歴史」は、まだ私が大学に通っていた頃だったから、大学の教室を借りて毎日稽古をしていた。本番数日前からは、24時間出入りができる部室棟の部屋も借りて稽古を朝までやった。結局ずっと積み上げてきた台本が作り直しになって、開場20分前に完本した台本を死ぬ気で覚えて挑んだ初演。yogee new wavesをずっと聴いていた夏のあの日々。

私以外のメンバーはみんな喫煙者で、稽古の後の飲みに参加すると決まって全身がたばこ臭くなった。集まって会議があるときは必ず喫煙席を選んでいたんだけど、喫煙しながら7人で座れるリーズナブルな飲食店がどんどん減ってしまい、ミスドの喫煙席にぎゅうぎゅうになって座ったりした。
最後まで禁煙を貫いた私。喫煙所で演出の話をしてたって聞くと悔しさが込み上げてきて、何度もたばこを吸い始めるタイミングを探したけど、結局見つけられなかった。銘柄まで決めていたのに。

まだ私が排気口ではなく客演だった頃は、小屋入りしたのにタタキの計画が何もなくて、暗幕の大きさも出捌けの位置も誰も把握してなくて、適当に張ってやり直すみたいなことも起こったりして、作品を一度も通せないまま本番になってしまったりしたこともあった。
公演を重ねるごとに劇団全体がいろんなことを学んでいくのを実感し続けてきた気がする。いつだってハプニングだらけだった。

そういえばコロナ禍ではなかなかやれなくなってしまったが、毎公演の千秋楽後には打ち上げもあった。朝まで店を予約して、大勢いるときは大きな個室を借りて朝まで飲んだ。最初にいた席から気づいたら違う席にころころと替わっていき、始発が動く頃にみんなでわらわらと店を出て、それぞれの帰路につく。
稽古場ではなかなか話し足りなかったことがたくさんあって、本当はいつも一晩じゃ足りない。作品の話をするのも楽しかったし、全然関係ない話をするのも楽しかった。私はいつも通り、帰りの電車の記憶があんまりない。

朝、自分の家の最寄駅に着くと、家までの道を歩きながらハンバートハンバートの
「みじかいお別れ」を聴く。
公演に向けて稽古をしていた日々の後に、数日間の小屋入り期間があって一度終わりを迎える演劇。毎日が目まぐるしく過ぎていき、作品と運営に集中してた期間がぷつりと切れることへの寂しさと絶望感には、この曲がぴったりだと思っていつも聴いていた。

普段メイクほとんどしないのに、ゾンビになりかけメイクだけどんどん上手になっていくみたいな時期もあったな。血糊衣装の担当も気づいたら私だった。お風呂場で黙々と血糊使った思い出。


穂波さん

穂波さんは本当に急に呼び出してきたり、真夜中に電話してきたりする人だったんだけど、それを憎めないしょうがなさが昔から常にあった気がする。稽古場では作演出とか主宰をやってるけども、それ以外では関係なしに、ただの酒飲みの仲良い先輩、友達だった。自然と周りに人が集まってくるので、穂波さんに呼び出されて向かってもだいたい面白い会合が開かれていた。
口が固い人だから、誰にも言ってない話もしたことがあった気がする。もうなんの話をしたのかも忘れたけど。

大学時代、週5ぐらいで寝泊まりをしていた頃の一時期に、ほぼ毎晩、穂波さんの部屋に行っていた。なんか響きからするといかがわしいことをしていたようだけども全くそんなことはなくて、ただ毎晩、適当に転がっている酒を飲んで爆音で音楽を流して話をしている人々に紛れていたっていうだけだ。
部屋に行くと、必ずいいちこかスピリタスが適当なマグカップの半分に注がれ、そこにアクエリアスを半分注いだ酒を誰かが作ってくれておもてなしをしてくれる。アクエリアスがなくなると、往復40分かかるコンビニまでみんなで歩いて買いに行った。

ここ数年は「(台本が)書けない」ということをいつも言っていた。ほんとうに、ずっと書けないと言っている。書けないと言いながら酒を飲んでいて、私も酒に付き合ってしまうダメな人だった。最近は「酒を飲むなとは言わないが書け」と叱咤する人が排気口の中に出てきたので書けないと言うことは減った気がするけど、書けないことには変わりない。でもちゃんと書いてくる人だった。とても素敵な作品を。

またきっと急に電話が来て「みーやんちゃん、今から西荻窪くるでしょ?」とか言われるんだろうなって思う。
ほとんど言ったことないけれど、「書いてください」とほんとうに言わないで酒が飲める仲になる。タイミングを見て行きます。


多分「怖くなるまで待っていて」のときの打ち上げ。
酔っ払っている私と、穂波さんとなかむらちゃん


排気口をやめるに至った経緯と理由

私は小学生の頃から割と友達の間では「いじられキャラ」みたいなのになることが多くて、それは私がそうなりたくてなっているわけじゃないけどもいつの間にかそうなっていることばかりだった。なぜかは全くわからないけど。
中学生のとき、仲の良かった吹奏楽部の同期の数名からいじられるようになって、だんだんそれが辛くなってある日泣いてしまったことがある。数名の前で泣くとみんな笑うけど、帰り道に二人きりになって辛いってことを話すと絶対に笑わずに、謝ってくれたり、次同じことが起こったらやめようって言うねって言ってくれた(実際にちゃんと言ってくれて集団でいじられたりすることはそこから減った)。

悲しいけども、排気口の中でも全く同じことが起こっていた。数年間も、私にだけ。

最初はみんな仲良く優しかった。だけど私が携わる期間が長くなるにつれて、慣れが出てくる。私ももともと要領がいい人間じゃないから、うまくできないところがみんなのネタになって、それをいじられる。私をいじることで場の楽しい空気を作り出したり、ウケをとったりする。私に対してだけ言葉がきつくて、それをやめてと言うとへらへら笑う。そんなことが割といつでも起こるようになっていた。


帰り道に二人きりになったり、共通の知り合いと一緒に会ったりするときは普通に優しく接してくれるのに、特定の人間と集まると私をいじりだす。
でも私もそれになかなか気づけなくて、もっと要領よく仕事をこなしたらみんなひどいこと言わないだろうとか、自分が改善してみんなの役に立てるように頑張れば普通に振る舞ってくれるだろうと考えてた。


みんなの言動がきつくて、集まって次の公演について話し合うタイミングなどで何度か話したこともある。私に悪い部分がたくさんあるのは承知の上で、こんな感じで言われるととても傷つくし、つらい、もっと普通の言葉を使ってほしいということを話した。
知り合いではない客演を交えて公演をやろうという話になったときも、私たちの関係を知らない人がみんなの私への態度を見て、怖がるんじゃないかという話を出したこともある。
文章でも残っている。小さな些細な暴言がほんとうに辛くて、そんなこと言わないでとか、やめてとか、そういう言葉で嫌だということを示していたこともあった。

だけど誰もそれを気に留めて改善してくれる人はいなかった。



自分が悪いんだと思い込む方向にどんどん進んでいくと、もしかしたらそもそも役者をやるのが向いてないんじゃないか、だからみんな冷たいんじゃないかって考えるようになって、だけど排気口の作品と離れるのは嫌で、自分のやれる仕事がこの劇団内のどこにあるのかなって探すようになっていた。



排気口が、全く関わったことのない客演を集めて演劇を作ってみようとなって、座組み内の割合が排気口よりも見ず知らず(や知り合い)の客演が上回るようになった。客演の人たちはめちゃくちゃ優しい。私が全然上手に演技ができなくても、仕事の効率が悪くて迷惑をかけていても、誰も文句言わないしありがとうって言ってくれる。みーやんはめちゃくちゃよくやってるよ、頑張ってくれてありがとうって。そこで、排気口の人たちの私に対する態度が異常なんじゃないかって少しずつ思い始めた。

制作をやってみたいと私が言って、それならと制作を初めてやらせていただいた、阿佐ヶ谷アートスペースプロットの「怖くなるまで待っていて」。
コロナが蔓延する前で、予約がすぐに埋まってしまって、排気口で誰もやったことがないキャンセル待ちの捌きを私が右も左もわからないままやることになったり、ずっと台本販売をやってみたいと言ってたのでそれを決行したり、なんか舞台美術もやることになっちゃったり、小道具作りを後回しにしすぎて結局セリフ覚えのラストスパートかけてる役者のみんなにお願いすることになってしまったり、ドタバタだった。
作品がものすごく良くて、どうして役者やらないって言っちゃったんだろうとちょっと後悔した。制作としては至らない点がたくさんあったけど、その時自分のやれること以上のことはやったと思っている。

お客様から差し入れをいただいた。公演と公演の合間の時間にバタバタ仕事しながらたまたまそれを見つけたから何かなって中身を覗いたら、そこで一服している排気口の人から
「みーやんは何もしてないんだから差し入れ後でもらいなよ」
ってヘラヘラ言われて、そこでその日までずっと張り詰めてたものがぷちん、と切れてしまった感じがする。
私がどんなに頑張っても、とにかくなんでも悪く言いたいだけなんだな、って。

その現場を見てた人はたくさんいた。客演の人たちはめちゃくちゃ心配してくれて、排気口の人たちはほら謝んなってヘラヘラしてて、ヘラヘラと謝られて、私はむちゃくちゃに泣いてしまった、てことしかあの辺はあんまり覚えてない。けどあの一言だけずっとずっと忘れられなくて、それを思い出すと今まで言われたりやられてきたこと全部が走馬灯みたいに頭の中を駆け巡る。反射的、みたいに涙も出てきてしまう。



私が最後に排気口に携わったのは、三十九祭参加作品の「午睡荘園」だった。この作品に役者で出演することになったとき、漠然と、これは排気口でやる最後の公演にしようと思っていた。もう稽古場に行くのも気持ちがしんどくて、客演の方々がいなかったら途中で諦めてたんじゃないかと思う。作演出の穂波さんに夜中泣きながら行きたくないと電話したこともあった。

でもこの作品をやり終えたとき、自分は役者がやりたくなくて辞めたいわけではないんだなってはっきりとわかった。多分作品の内容が自分のそのときの心境とリンクしていたのもあるだろう。だから今までで一番自分の中でしっくりくる演技ができたと思っている。

かつて自分が思っていた通り、茶色や紫色や藍色の絶望がずっと渦巻いていたのだけど、作品のことが理解できるようになったら、その中にほんの少しだけ、隙間から小さく光が射し込んでいるのが見えた。


この一年ちょいの時間をかけて、自分がどうして排気口に居たくないのか、何がどう辛かったのか、どうしてあのとき作品のことが鮮明に理解できたのか、そういうのが具体的に言葉にできるようになったので、このような話をするのが今になっちゃった。




ここまで書いたけども、私は今の排気口の人たちとはそれぞれ仲が悪いとは思っていない(仲が悪かったのだったらとても悲しい)。大学の頃からずっと一緒にいるので、共通の知り合いや友達も多く、そんな人たちとの集まりにそれぞれと会うこともときどきあるだろう。だからこの後、それぞれの共通のコミュニティの人たちを通じて偶然再会したときにはまた仲良く話ができたら嬉しいなと思っている。

仲が良くて遠慮がなくなるぐらいなら全然構わないけど、礼儀とリスペクトを欠けたら一緒に作品作りは出来ない。

ただ、そんな仲悪くないと思っている人たちも、特定の人たちと一緒になると誰かを標的にすることがある。で、それは排気口に限らなくて、気心知れた付き合いのコミュニティでは起こるリスクが一定の割合であるんじゃないかなと思っている。


皆さんの周りにもあるのではないでしょうか。このコミュニティと集うとこんなノリ、っていうやつ。そしてその"いつもの"の内容の中に、この人はボケることが多くて、この人はツッコむことが多くて、この人は幹事をやることが多くて、とかの役割が自然と出来上がっていたりする。
その延長にそれはある気がします。この人に対してなら強く言ってもいつも大丈夫だから。みんな言ってるしこのくらいなら大丈夫、とか。
その大丈夫はどこまでが大丈夫なのでしょうか。やめてという言葉を、冗談だと流していないでしょうか。



最後に


2020年1月公演「怖くなるまで待っていて」の舞台美術。文化祭の出し物「お化け屋敷」の裏側という設定でアイディアを出し、それを座組み全員の協力で具現化しました。個人的に好きな創作物のひとつ。


なかむらちゃん

「みーやんさんだけはまだ私のこと"なかむらちゃん"って呼んでくれるんですよ」
そう嬉しそうに笑いながらバーカウンターの中で煙草をぷかぷか吸う中村ボリと夜と朝を何度も繰り返した。下北沢のバーで小窓越しに一緒の曜日で働いていた職場
仲間でもある。

私はバーのときは餃子を手作りしてたのだけど、具や皮が余った日になかむらちゃんにお裾分けをしていたら、そのうちなかむらちゃんも遠慮なく
「みーやんさん〜今日は餃子の具か皮余ってませんか〜!」
と聞いてくるようになった。その遠慮のない関係がとても良かった。
始発まで過ごす時間を今日はどうしようか、何を食べようかとぐだぐだ話しながらオレンジジュースで酔いを覚ました。ときどきベイリーズミルクと迷ったりしながら。

稽古の後にバーで働き、始発までの時間を二人で過ごす、みたいな日もちょいちょいあって、ほどほどな酔いと疲労を背負いながらいろんなことを話した。稽古のことも愚痴も、体調の話ももっとずっとパーソナルなこと。ほんとうにいろんなことを話した。

排気口の中で女子が私たちしかいないから、客演の女性陣の人々とわいわい仲良く女子会するのも楽しかった。ラブホ女子会をしたこともあったな。懐かしい。

今でもときどきバーのカウンターに立つことがあるけど、後ろにある小窓からまたなかむらちゃんがひょっこり顔を出してくれる日があるんじゃないかって考えてしまう。また一緒に立てるといいな。



やまとさん

やまとさんは大学生活の初日に出会った。当時はもっとシュッとしているサッカー好きなイケメンだったんだけど、喋り方と貫禄は初めからあって不思議な人だなと思ったのが第一印象だった。

酒を飲むのが異常に早くて強いので、みんなで割り勘するときは多く出してくれるんだけど、それでも足りないくらいのレベルの早さと量なので、やまとさんと飲むときは飲み放題をつけないとと学習するのに少し時間がかかった。もっと早く学習すればよかったと後悔している。

帰りの電車で一緒になることが多くて、私が困ったこととか悲しかったことを話すと、ふにゃふにゃと相槌した後にちゃんとフォローが返ってきて、心が軽くなったことが何度もあった。
稽古場でもどこでもなんとなくふにゃふにゃと力が抜けていて、この力の抜けた感じでなんでも楽しんでやっていけたらいいのになって思う。

一部の音楽仲間と接点があって作品も未公開作り途中のものがあるので、またきっと一緒に作品作りができる気がしている。



あきら

大学入学の頃からいつの間にか週5で顔を合わせるようになっていた佐藤あきら。ジャズ研究会の同期で、授業をサボって練習したりグダグダしゃべったりする者同士。ジャズ研が家族のようにほぼ毎日一緒にいるような練習日程になっているので、その大勢の中の一人同士だった。
私もあきらもそれぞれ仲良くしていた人が演劇や映像をやってて、その流れで排気口に辿り着いた感じなので、こんなに長く、しかも音楽ではなく演劇の作品を一緒に作り続けることになると思ってなかったなって気持ち。

私が変わりゆく排気口の作風がうまく掴めずにいる中で、どんどん自分のやれる演技の幅を広げていくあきらを見て悔しい気持ちになったり、頑張れって気持ちになったりを繰り返していた気がする。演劇を始めた時期が私とあきらはほぼ同じだったからかもしれない。

台本を印刷し忘れたとか、小さな困ったことがあるとこっそり私に連絡してきて私がフォローする、みたいなのが実はちょいちょいあった。周りに気づかれてないといいな。

たまに、私がうまくいかないときにごはん行こうって誘ってくれて、特別いろんな話をするわけでもなく悩みを聞かれるわけでもなく、会話をしたりしなかったりでラーメン啜ったりして帰る、みたいなことがちょいちょいあった。会話があんまりなくても気にならない数少ない友達の一人。

一番共通の知り合いが多いので、また多分どこかのコミュニティでしれっと会う機会があるんじゃないかなって思う。大勢の中の一人同士として。

この文を読み返したら唯一酒の話題がない人なんだけど、あきらは酒クズからめちゃくちゃ遠く離れた人間だって断言できるので書きません。



ここまで排気口の作品がいろんな方々に見てもらえるようになったのは、排気口の作品を素敵だと思い、その気持ちをみんなが見えるところで言葉にしてくださった方々のおかげだと思っています。ありがとうございました。
これからの排気口の活躍は私も楽しみだし、それについていくことができない状況がほんとうに悔しいです。またそのうち、排気口の作品を見に行けたらいいなと思っています。そのときは作品についての感想をみんなで言い合いたいです。お客さんとして。

それから排気口で客演として出演をしてくださった方々、ほんとうにありがとうございました。
客演の方々がいなかったら多分もっと最悪な形でいなくなっていたと思います。些細な言葉や心遣いに何度も救われました。他の劇団の人間と比べたら劣る部分がたくさんありすぎてご迷惑をおかけしたこともたくさんあると思います。それでも、私は客演の皆さんと一緒に作品を作ってこれたのがとても嬉しかったし楽しかったです。



うまくまとめられないし、白黒はっきりさせられない感情がたくさんあるけど、気にかけてくださったかたがたくさんいたから、正直にお伝えしたくて文字を打ちました。

ここまでお読みいただきありがとうございました。



2023.03.08  排気口 水野谷みき


サポートしていただけると一人の部屋で声出して喜びます。主に音楽活動費として使います。もしかしたらカツカツだったら生活に使うかもですが頑張ります。