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なぜ立憲民主党の支持率は万年一桁なのか?


有田芳生氏の発言から立憲民主党の問題点を読み解く

4月17日朝、立憲民主党の公式Twitterが更新された。
《#山口4区補選 有田芳生候補「この下関って統一教会の聖地なんです。聖なる土地なんです。今度の選挙戦においても、統一教会と深い関わりを持った国会議員、地方議員がこの山口を含めて何もなかったかのように活動している。こんな現実を皆さん変えていかなければなりません」》

この直後からツイートは大炎上、数時間後には削除された。このツイートに対しては、下関市民への侮辱である、という怒りのコメントや、統一教会が下関を教団が聖地としているのは事実である、という苦しい擁護などが観察される。聖地といっても、単に統一教会開祖の文鮮明が初めて釜山から来日した際に降り立った港が下関だったというだけの話である。それは教団の内部の人には重要かもしれないがその他大多数の人にとっては知ったこっちゃないことである。さらに文鮮明が反共団体のリーダーとして冷戦期に岸信介と親しかったとは言っても、それは下関とはなんの関係もない話である(そもそも岸信介は下関ではなく現山口市あたりの出身である)。にもかかわらず下関と統一教会を雑に関連づけるようなデタラメ演説をしたら下関の人が怒るのは当然である。
というかなぜ票が欲しいはずの選挙活動で下関の悪口を言うのであろうか?悪口だと思っていなかったのか?それとも選挙での勝利には興味がなくて統一教会に詳しいジャーナリストとして売り出すための単なるセルフプロモーションなのか?いずれにしても大問題である。
そしてふと思う。
この騒ぎを紐解いていけば立憲民主党の支持率が万年一桁である原因が見えてくるのではないか?
後述するが本来野党第一党は支持率一桁であってはいけない。それは民主主義の危機である。立憲民主党には日本の民主主義を守るため、最低限の支持率を確保しなければならない責任がある。本稿は立憲民主党の執行部と、支持者の皆さんにこそ読んでもらいたい論考である。

野党第一党、立憲民主党の現状

立憲民主党は言うまでもなく野党第一党であり、その政党の支持率が万年一桁であることは民主主義の在り方として不健全である。

社会実情データ図録より

他の泡沫野党と合わせても自公政権に対してトリプルスコア越えの敗北状態がもう10年も続いている。これは事実上政権交代の可能性がないことを意味する。もちろん立民や国民民主には労組という統一教会なんか比較にもならない大変大きな固定票があるので選挙結果はこの支持率と同じ結果にはならないが、無党派層にここまで見向きもされない状態では政権交代は難しいだろう。なぜこのような状態を打開出来ないのか。前述の有田芳生氏の炎上発言について、
・下関市民に対する悪口だとは思わずに発言した場合
・下関市民に対する悪口だと分かっていて発言した場合
の2つについてどこが問題なのか、を検討していく。

下関市民を傷つけると思わず発言した場合の問題点

<その1>コミュニケーション力がない

立憲民主党は他の所属議員の発言(小西洋之氏とか)でも気になるのであるが、正論で人を説得できる、と思っている節があるのではないか。正論など人の数だけあるし、それにこれは民間でプロモーションの仕事をしたことがある人なら誰でも理解していただけると思うが、正論など基本、身内受けにしかならないのである。「統一教会内で下関が聖地とされているのは事実だ!」なんてそんなこといくら強弁しても有権者には何も響かない。
例えば鉄道利用者数を増やしたい鉄道会社がCMで「鉄道は自動車と比べて安くてエコです!さあ皆さん、今こそ鉄道を利用しましょう!」と訴えたとする。断言できるが広告効果はゼロである。むしろ広告ターゲットに不快感を与えてマイナスプロモーションになるかもしれない。人々はもちろん安さにもエコにも関心があるけれど、様々な人生の事情があって交通手段を選ぶわけである。そんな人生の様々な事情を抱えて暮らしている人々に頭ごなしに「鉄道はエコだから鉄道を使え」と上から目線で呼びかけたってイラッとされるだけに決まっている。
だから鉄道利用者数を増やしたい鉄道会社は人々に「そうだ、京都行こう」というような言葉で語りかけているのである。ご存知JR東海の名キャッチコピーであるが、人を動かす言葉というのは語りかける相手の脳で考えて言葉を紡いだものなのである。メッセージを伝えたい相手の立場で考えた言葉でなければ、何を一生懸命叫んでも空念仏に過ぎないのである。コミュニケーション力とは、人様に対する敬意が大前提である。

<その2>上から目線

これも立憲民主党の他の所属議員の特徴でもあるが、目線が有権者と同じでない、という特徴がある。上から目線でなければ、有権者の間にいて話を聞いて課題を整理し国会の場で実現していく小選挙区の代議士を選ぶ場に、地元と縁もゆかりもないカルトに詳しいとされる人物をいきなり送り込んで、下関について誰よりも詳しい下関市民を相手に「皆さん、下関は統一教会の聖地なんですよ」なんていう講釈を垂れようなどという発想になるわけがないのである。立憲民主党議員にはどうも、大衆よりも優れた知見を持つ我々知識人が、無知蒙昧なる愚民たちに歩むべき正しい道のりへと導いてあげなければならない、という海を割ってヘブライ人を助けたモーゼのような意識で議員をやっている人が多いように思う。その壮大な勘違いが、下関に誰よりも詳しい下関市民を相手に下関に関する正しい教えを説くという、生臭坊主がお釈迦様に教えを説くような真似をさせてしまうのではないか。
世の中の普通の大人は、例え自分が正しいと思っていても自分が正しいという思いは置いといて、相手の立場に寄り添って対話を重ねながら自分が正しいと思う方向へ落とし込んでいくというコミュニケーションの取り方をする。そこが出来ない議員が多いので、立憲民主党の支持率は万年一桁なのではないか。

<その3>数字に弱すぎる


そもそも小選挙区である下関4区で統一教会を争点にしている時点で選挙戦術として意味不明なのである。下関4区の有権者のほとんどの人は統一教会とは関係がない。統一教会が選挙結果に影響しないばかりか、統一教会関係者の知り合いがいるという有権者ですらごく稀であろう。公称800万人の創価学会でも自民党の補完勢力ぐらいの議席数なのに恐らく盛り盛りに盛りまくってる公称ベースですら56万人の統一教会が全国で300ある小選挙区の1つで影響力があるわけないことぐらいなぜ瞬時に分からないのか。例えば統一教会の会員数が56万人というのは絶対ウソだろうけど仮に真実だとする。それを小選挙区数の300で仮に頭割りすると1867人、下関は統一教会の聖地だって統一教会が言うなら、よく分かんないけど大盤振る舞いで平均の10倍の信者がいると仮定しとけば少なすぎる見積もりにはならないだろう。さらにもう計算がめんどくさいからキリのいいところまで盛って2万人いることにする。有権者数ベースではない、人口ベースである。だから2万人という数字はあり得ないけどもうどうでもいいから2万人全員安倍さんに投票したという過大な見積もりをしたとして。ここで過去の山口4区の各候補者の得票数を確認してみる。

wikipediaより

一目瞭然、選挙の結果には全然影響ないのである。以上を踏まえると統一教会を争点にしている時点でナンセンスであると言える。
こんな選挙の戦い方をしていたら支持率が高かろうが低かろうが勝つなんて不可能であろう。そして勝てないから、有権者に実力不足を評価されてしまうという悪循環に陥っているのではないか。

下関市民を傷つけると分かっていた場合の問題点


そもそも有田芳生氏という人選の時点で勝つ気がない選挙だという疑いが濃厚である。立憲民主党にだって安倍氏が得意だった外交や安全保障に強い人はいるはず(今のところ名前は思い浮かばないが)でありせめてその人を立てれば国政初挑戦の後継の吉田氏に対して経験の差をアピールできるし、この物価高の最中なんだから日頃から賃上げのために頑張っている人を立てれば、安倍氏の後継としてのイメージが強い対抗馬に対して地盤がなくても有権者に選択肢を示すことが出来たであろう。それに対してキーメッセージが「反統一教会」でははじめから勝負になるわけがない。この時点で他の泡沫候補と同じように、供託金300万ぽっちでセルフプロモーションが出来るなら安いと考えて出馬した可能性が非常に高い。つまり有権者ではなくテレビカメラに向けて語りかけているから、下関は統一教会の聖地などという無神経な言葉を選べるのではないか?
もし出馬の理由がそれならば有権者の1票を冒涜する行為である。そうやって1票を軽く見ていると思われてしまう態度が、支持率の万年一桁化の原因なのではないか。

終わりに

立憲民主党の支持率が万年一桁である理由について僕が一番感じているのは、安全保障について語らないことである。二大政党制が機能しているアメリカでもイギリスでも、民主党や労働党の議員が安全保障について語らないなんてことはあり得ない。そこが欠けているからそもそも日本の有権者に政権の選択肢として見なされていないのではないか。ちなみに憲法9条を変えるか否かという話は安全保障についての議論ではない。安全保障についての議論とは国民の生命身体財産を守るために具体的にどのような形で抑止力を形成するか、を議論することである。
平時から安全保障について議論しない政党が政権を取ることがいかに危険か。それを日本人は2009年の民主党への政権交代で目の当たりにしているのである。日本の安全保障の生命線である日米同盟を恐るべき短期間で危機に陥れただけでなく、日中関係まで大幅に悪化させレアアース禁輸という当時の常識としてはかなり重い経済制裁まで中国から課されたのである。憲法9条を掲げ、対話による外交で万事うまくやります、と宣言して誕生した政権は結果として全方位的に関係を悪化させてしまった。
立憲民主党はあの時の民主党とは違う別の政党である、などという言葉遊びのような責任逃れは国民には通用しない。当時の失敗を反省し次に政権与党になった時には具体的にこのような安全保障方針で外交を進めます、と示すというプロセスがない限り、本文で書いた問題点をどれだけ改善出来たとしても、結局政党支持率は大して変わらないであろうと思う。


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