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黄泉の国の光文事件

現世情報

新聞社が便乗して次々と報道した結果、大正の次の元号は「光文」というデマが広まった事件です
その後、宮内省から直々に「昭和」と発表が入り、訂正が入りました
当然、黄泉の国にも影響が少しありました

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