見出し画像

世界史漫才再構築版27:明朝と清朝の中国統治比較編

 苦:今回は飛びましたが、明朝と清朝の中国統治と経済政策の違いについてです。
 微:「明清帝国」と括られるし、清朝皇帝は中華世界の天子だろ? 何を今更?
 苦:はい、そこが落とし穴なんですね。
 微:旧石器時代のマンモス狩りかよ!!
 苦:清朝は明帝国を丸呑みしてますし、16世紀後半からの銀流入に対応するなど連続しています。
 微:違いはヘアスタイルというか辮髪くらいだろ。科挙もやってるし。
 苦:表面的にはそうなんですが、やはり王朝支配層の発想が根本的に違いますから。
 微:中華を過剰に演じた明と、密貿易集団上がりの清の違いだな。
 苦:はい。前回も説明した通り、明帝国はモンゴルを押し返して、万里長城以南を「奪回」た王朝です。ですから夷狄との違いを強調するために「中華」であることに拘りました。
 微:負い目がある人間ほど過剰反応するんだよな、「証拠はどこだ、証拠は!!」みたいに。
 苦:また、旧来の持「絹馬交易」をやせ細らせる必要がありました。内陸交易の人為的遮断です。
 微:優越的立場を利用して飲食店を締め上げようとしたんで「中国の西村大臣」と呼ばれます。
 苦:そして残っていた交鈔システム、紙幣と銀兌換システムを駆逐する必要がありました。
 微:マルコ=ポーロが伝えているやつね。でも破綻していたんじゃねえの?
 苦:14世紀の危機で瓦解し、その被害が最も大きかったのが黄河流域です。金の頃から紙幣の世界で、金銀は退蔵されて出回らず、華北は物々交換状態に陥ってました。
 微:それよりも交換するものがあったのか? 隋の頃から江南依存なのに。
 苦:江南ならストックがあったかもしれませんが、華北にはなかった。
 微:つまり草原世界と農耕世界の接触部分が「枯れた」ことが元の撤退の原因だと。
 苦:他方、明帝国の心臓部は長江デルタ地帯、商品経済も発達した農業先進地域の蘇湖です。
 微:「ここ」でもなく、「あそこ」でもなく、「そこ」。少しエロ風味が。
 苦:オマエが勝手に加えただけだろ!! 蘇湖の慣行として続く高度な信用・決済システムを前提にした税制を中国全土に、具体的には荒廃した華北に適用することは不可能でした。
 微:セブンイレブンやスタバのない鳥取県みたいなもんか。
 苦:スナバコーヒーはありますけどね。そこでよく「唐を手本に」と表現されていますが、現実は実物税体系を強制的にでも全土に導入しなければならなかった、それが明の出発点なのです。
 微:子安貝を持って行ったら高額で取引されそうだな。
 苦:殷かよ!! ただし、王朝発足時の悪条件は、安定と経済活性化により克復できますし、実際に明代に経済は江南地方に牽引されて回復します。しかし、現物主義財政は「国是」でした。
 微:文藝春秋と読売グループは「反朝日」が社是だな。タマホームは「ワクチン禁止」だけど。
 苦:草原世界と一体化していた華北を中華世界に留めるには江南との結びつけるしかなかった。
 微:誘惑できないから監禁するストーカーだな。
 苦:どんな喩えだよ!! そうなると、華北農業の「リハビリ」が不可欠になります。それが明帝国の「農業立国主義」的性格で、これは中央政府による土地と人民の直接掌握を不可避とします。
 微:主に江南地方だろ。華北でやっても意味ないし。そもそもしばらく「外国」だったし。
 苦:土地台帳の魚鱗図冊と戸籍の賦役黄冊の作成です。魚鱗図冊が厳密に作成されたのは長江デルタ地帯で、高い生産力が災いして他地域と比べて資産家というか富裕層に極端な重税が課されました。
 微:金持ちへの累進課税として適切だろ。だけどだ戸籍は要らないんじゃないのか?
 苦:現物税には労働も含まれます。必要とする官庁に実物税を運ぶのも税でした。これを富裕層に押しつけ責任払いさせるしくみが里甲制の本質です。10年に1回甲長やったらぼろぼろです。
 微:それで21世紀日本の学校では誰も校長になりたがらないのか。
 苦:しかも明は強制移住政策を歯向かう者への死刑とセットでやります。逆らえない。
 微:唐ではなく、まさにモンゴル的ハーン権力だな。洪武帝の個性もあるだろうけど。
 苦:しかし、オール実物組み立ての財政が回り始めると、明初期に大量発行された少額貨幣である洪武通宝、永楽通宝は日本など海外に流出し、国内では流通しませんでした。
 微:経済振興のシンボルで、織田信長の旗標になってたな。
 苦:注目すべきは、少額貨幣の明銭が不足しても財政的には困らなかった、つまりオール実物財政はそこまで徹底していたということです。
 微:でも大明宝鈔という不換紙幣は国内では強制的に流通させたんだろ。
 苦:これも紙幣利用に慣れた華北を江南に結びつける施策の一つです。不換紙幣そして専売品の塩と交換できる塩引は北京でしか入手できず、江南物産と交換されてはじめて意味があります。
 微:ここに山西商人や徽州商人がメルカリを立ち上げたそうです。
 苦:そんな商売不可能だよ!! 話を戸籍に戻すと、賦役黄冊に中産以上で登録された人民は里甲正役という定期的で義務としての労働を負担させられました。刃向かったら死刑の明です。
 微:チョコパイが通貨として流通する黒電話の国を思い出すな。やはり経済は大事だな。
 苦:一方で、官庁の都合で不定期かつ不定量に徴発される労働が雑徭です。これを合わせて「徭役」と言いましたが、これが商売の邪魔でした。清の地丁銀制でようやく廃止されるまで続きます。
 微:一条鞭法との違いがここだな。
 苦:高額決済手段としての金銀を国内の財政から追放した明にとっては、金銀が貨幣として流通する芽が出ては困ります。よってそれらが必要とされる夷狄との民間人による交易は禁止です。
 微:死刑や強制移住でもって禁止だから、厳しいよな。
 苦:それで貿易は必然的に異国産の現物を受け取り、中国の先進文物を返す朝貢貿易しかなかったんです。しかも朝貢する異国が増えるほど中華世界の天子としての徳の高さも証明されます。
 微:でも朝貢が増えるほど明の持ち出しは大きくなるんだろ。痛し痒しだな。
 苦:朝貢貿易・現物主義を厳守するとなると、人間の移動も厳重に規制・管理する必要があります。それが朝貢貿易とセットの海禁政策です。
 微:「解禁」じゃなくて「海禁」ね、紛らわしい。
 苦:実物税というのは、単なる物納ではありません。例えば材木は産地が限られます。一方で大規模工事が行われる場所は、宮殿工事ならいいですが、水害からの復旧なら需要地は変わります。
 微:つまり、補正予算などないと。
 苦:そのため、供給地たる納税地から需要地へ必要なだけ現物を送ることが「財政」となります。それだけでなく、実物税を需要地に届ける運搬・漕運自体が税になります。
 微:復旧に必要な物資や財源はどう調達するんだ?
 苦:それは現地で現場の役人が付加税で調達するんです。ですから財政記録は変動がありません。
 微:ガースーに相談すれば、使い残しのコロナ対策費を回してくれるのに。でも審査に時間がかかるから無意味か。
 苦:いえ、中央財政というか国庫の必要性もその概念もないのが明の財政の特徴なんです。州から州への直送が明財政です。「コンクリートから人へ」の余地なんて存在しません。
 微:でも今の中国は「コンクリートから人が」出てくるぞ、大開発の現場では。
 苦:新幹線とか災害現場ね。しかし、中国全体の需要を中央政府が把握するなんて不可能です。
 微:ソ連でさえできなかった。それに「上に政策あれば、下に対策あり」の国だし。
 苦:首都が南京のままなら、必要な国内産の米、綿花、石炭なんか「買い付け」もできたはずです。
 微:寧波も近かったよな。
 苦:しかし永楽帝以降は都は北に偏った北京です。経済の中心と政治の中心は離れてしまいました。
 微:クーデタやったから居づらかったんだろ、察してやれよ。
 苦:本拠地が北京だったわけで。でもオイラト部のエセン=ハンに敗れてからは遠征よりも防衛重視になり、また大量の辺境防備兵士を北辺に張りつける必要が15世紀前半には生まれました。
 微:でも、民戸と軍戸を分けていたんだから大丈夫だろ。
 苦:いえ、工事です。当然、長城の強固化工事で大量の労働力と財物を動員します。その結果、既に15世紀の段階で北京の官僚から給与を銀で支払うことを求める声が大きくなりました。
 微:チョコパイがだぶついて値崩れしたのが原因だったそうです。
 苦:関係ないです。明政府も方便として認めますが、建前の現物税体系は手放さなかった。
 微:「コロナ感染者の全国拡大とオリンピックは関係ない」みたいに誰も信じないよ。
 苦:こうして建前と現実の乖離は大きくなる一方、蘇湖では経済が変動します。一つは土砂の堆積と長江支流の流路の変化から稲作が不可能となり、約9割の水田が畑になったことです。
 微:人口は減らなかったというか、勤勉革命は続いたと。
 苦:もう一つは、15世紀には米価が下落したことです。現物体系の明で米価が下がったということは食糧生産が最重要事項でなくなった、食糧生産に余裕が生まれたということです。
 微:江戸時代の「米価安の諸色高」みたいなもんだな。
 苦:それと、下がるということは貨幣尺度が存在し、他の商品の価格と比較できたということです。その物差しは華北と同じく銀でした。事実上、明は16世紀には銀本位制になっていたんです。
微:それは江戸時代の「西の銀遣い」と関係あるのか?
 苦:同一経済圏を成したかも。宋代の「蘇湖熟すれば天下足る」は、明代には「湖広熟すれば天下足る」に変わりますが、これは穀倉地帯の移動だけを示したものではありません。
 微:その頃から気候温暖化が進んでいたんだな。
 苦:17世紀に下がります。蘇湖は商品作物と手工業に特化します。主要輸出品は茶・絹・陶磁器そして教科書には出てこない砂糖です。東南アジアから米、インドから綿花を輸入していました。
 微:タイのアユタヤ朝やインド西岸も絡むのか。
 苦:当然、未公認の民間交易を東南アジア側で担ったのは南洋華僑たちです。
 微:広州の中華街は南洋華僑の観光で空前の好景気を迎えたそうです。
 苦:外国にしかないよ!! そこに日本銀とメキシコ銀の流入が起きたんです。物々交換できる商品のない南欧・西欧と日本が持ち込んだのは中国側が最も欲しがっていた銀です。
 微:「目と目が合ったその日から」「恋の花咲くこともある」というフレーズ思い出したわ。
 苦:このように国内分業だけでなく国際分業まで成立したことを示すのが「湖広熟すれば天下足る」なのです。地球規模の経済変動に明帝国が対応できるわけがありません。
 微:今の中国政府は対応しているどころか再編しようとしているがな。
 苦:陸上ではモンゴルと女真族が、東シナ海では華僑と日本人が勝手に貿易量を増やします。明からすれば、秩序破壊行為なので「北虜南倭」ですが、交易熱の現れというのが実態です。
 微:人流を減らせない日本政府も言いだしそうだな、北海道と沖縄を「北老南若」とか。
 苦:明ができたのは税体系を実態として銀納させることくらい、つまり一条鞭法ですが、これも蘇湖で始まった慣行を追認しただけです。その頃にポルトガルがマカオ居留権を得ます。
 微:日本への絹織物と白糸転売で稼ぎまくった元祖転売ヤーだな。
 苦:その明が自壊する時に密貿易集団上がりの大清国が北京を制圧したんです。台湾の鄭成功一族が屈服し、復明運動を鎮圧するまでは海禁政策を続けますが、その理由も1683年に消えます。
 微:それで貿易への統制を無くしていったと。
 苦:明と日本は「礼」を巡って国交回復できませんでしたが、清は「関与しない」で放置という名の奨励です。清朝自体が朝貢する遊牧国家に望むだけの茶や絹を提供しなければならないですし。
 微:やはり「朝貢」は求めたんだ。
 苦:相手によりけりです。ロシアとはネルチンスク条約を結びましたが、理藩院が管轄しました。現実主義というか、無為自然というか、見えざる手が清の外交と中国統治政策です。
 微:サッチャー首相が絶賛したそうです。
 苦:その頃から生きていても不思議じゃないですが。漢民族社会に絶対的少数者でしかなかった満洲人は関与しませんでした。明の国内行政機構に監視役の総督と巡撫を省に追加したくらいです。
 微:戸籍も有名無実だっただろうな。
 苦:蔣介石が重慶に撤退した時、四川省で徴税しようとしたら戸籍も土地台帳もなくて課税を諦めたエピソードを思い出してください。それくらい触らなかったというか放置してたんです。
 微:明の物流抑制の「関」が商税徴収のための「料金所」に役割が変わったくらいか。
 苦:さらに清朝の時代には、未開墾だった長江流域、特に湖南・湖北・江西省の人口増加、水田増加、山間部への人の移住も引き起こす人口爆発も起きます。
 微:1711年以降生まれの人間には人頭税を課さないという大盤振る舞いもしてるしな。
 苦:その代わり、チベットやモンゴルなど天子の管轄外の事には漢人は関与させません。満漢同数官制は、あくまで中国プロパーの領域だけです。清朝全体ではない。
 微:なるほど。チベットやウイグルは中国プロパーではないから勝手にやります論理の原点だな。
 苦:しかし、18世紀以降、漢人の人口が満洲人では統制できない規模に拡大します。
 微:漢人同士でも統制できなくて、三合会や青幣なんかの秘密組織できてるしな。
 苦:特にアヘン戦争以後は沿海、特に広州や上海の貿易や人の移動の管理で精一杯。それも管理しきれません。そこが曽国藩や李鴻章などの漢人地方官が台頭する背景です。
 微:北京は見て見ぬふりというか、丸川レベルの記者会見すらできない状況か。
 苦:満洲はもはや、一地方に格下げされます。当然、清朝発祥の地だから漢人立ち入り禁止ですが。
 微:でも流入や開墾も阻止できなかったんだろ。
 苦:そして開港場は、漢口がドイツ経済と結びつくなど、経済の一体性は解体に向かうわけです。
 微:「買弁商人が悪い」と責任押しつけたりな。
 苦:中国経済の担い手は外国資本と提携し、国内分業は国際分業に変質します。これが19世紀末から進行した「瓜分」の危機の原動力で、満洲経済は日本と深く結びついていました。
 微:けれども満洲人アイデンティティと中国人アイデンティティは矛盾しなかった。
 苦:そこを見誤ったのが満鉄関係者と関東軍というか石原莞爾ですね。
 微:これこそが中華思想というか中華民族というマジック・ワードの怖さだな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?