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世界史漫才再構築版67:サラザール編

苦:今回はポルトガルの謎の独裁者サラザール(1889~1970年)です。
 微:21世紀の高校生が知る訳ねえし、60代のじいさんでも知ってる人少ないよ。
 苦:まあ、半世紀近く前に死んだ人ですから。
 微:高校生や大学生に訊いたら、「パイレーツ・オブ・カリビアン」か「ハリー・ポッター」の人でしょ、としか返ってこないよ。
 苦:あと、クリスティアーノ・ロナウドでしょうね。せいぜい「サウダージ」くらいです。
 微:さり気に「どれみふぁドーナッツ」のミドとファドを抹殺したな。
 苦:本当は『となりの山田君』のファド歌手ロカちゃんに引っ張りたいんですが、古いですね。
 微:まあ、「16世紀に燃え尽きた国」「1985年の阪神タイガース」みたいな扱いだな。
 苦:本題に入りますね。サラザールはスペイン内戦開始の1933年に首相として新憲法を制定して、「神、祖国、そして家族」をスローガンに「エスタド・ノヴォ(新国家体制)」を宣言しました。
 微:なんかナチスの「フォルクスラント」のカトリック風味焼き直し、っぽいな。
 苦:目立たなさと冷戦を利用して長期にわたるファシズム独裁体制を敷いた政治家です。
 微:まさに謎の男、ミスターXだな。プロレスは関係ないけど。
 苦:サラザールは1900年から1914年までずっと神学校で学び、還俗してコインブラ大学で法学を学びました。
 微:アントニオ猪木はコブラツイスト大学で体育を学んだそうです。
 苦:ネット上でもそんな大学ありません。まあ、ブラジルはポルトガルの植民地だったんで、猪木は少しは関係しますが。
 微:よっしゃーっ!! ダァーー!!
 苦:20世紀初頭のポルトガルを説明しておきますね。1910年に王政から第一共和政に移行しました。念のため言っておきますが、国王が処刑されたわけではないですよ、フランスじゃないので。
 微:まあ、国土のほとんどが山岳派だからいいよ、別に。
 苦:議場の席取りではありません。ですが16年間で8人が大統領となる混乱状態にあり、軍部のクーデタが国民の支持を得る状態にありました。
 微:まだまだローマの軍人皇帝時代には及ばないな。50年間に25人の皇帝だからな。
 苦:なんで上から目線でコメントするんだよ! サラザールは1918年コインブラ大学で政治経済学教授に就任しました。彼は人気教授で、彼の講義には多くの学生が集まったそうです。
 微:ハイデガーの講義も人気だったし、大学生に人気のあるやつはヤバいな。サクラを仕込むサンデル教授は別だけど。
 苦:発言者が決まっているやつね。サラザールはこの頃に、反カトリック的な政府に不満を抱き、カトリック擁護の意見を新聞に書いたり、教会の権利と利益を訴えています。
 微:映画的には『カトリックス』3部作だな。ネオは出てこなさそうだけど。
 苦:しょうもないダジャレはいいよ!! さて、コスタによる1926年のクーデタ後の混乱をカルモナ大統領が苦労しながら沈静化させました。
 微:ラテン系の国は、短気で頭に血が上るのは早いけど、「なんとかなる」と確信してるよな。
 苦:1928年にそのカルモナの要請に応じてサラザールは財務大臣に就任し、危機的財政の建て直しを行いました。ポルトガルにも世界恐慌の影響は及んでいたんです。
 微:人頭税と十分の一税、そして賦役と貢納を復活して財政再建に成功したそうです。
 苦:明の洪武帝かよ!! 公共事業などで失業者を減らし、この手腕が評価され、サラザールは世界恐慌下の1932年に首相になります。一番の武器は自身の鋭い政治センスでした。
 微:「政局の天才」小沢一郎かよ。
 苦:カトリックを味方につけ、保守的なんですが、公共事業を利用するなど社会改革者として左派の一部にも支持層を広げたんです。その一方で敵対勢力は秘密警察を利用して始末しています。
 微:いや、この辺りはソ連的というか、大阪維新の会というべきか。
 苦:サラザールは1933年に新憲法を制定します。新憲法は大統領を名目だけの存在と規定し、それが彼による長期にわたるファシズム独裁体制を可能にしました。
 微:天皇親政を掲げてファシズム体制を目指した北一輝に似てるな。あれほどの熱量はないけど。
 苦:まあ、北一輝は熱いですからね。昭和恐慌という追い風があったとしても。
 微:無能なサラザールが近衛文麿という感じか。新体制とかまんま近衛がパクった感。
 苦:エスタド・ノヴォという名のサラザール独裁体制は、右派の連合体で構成されていました。ですが、警戒すべき右派の過激派には検閲や抑圧政策で潰していきました。
 微:そこが政治家として見事だよ。日本なんで21世紀入っても「売国奴」「非国民」が通用する。過激なことを言った奴が無双状態。
 苦:右派のクーデタを未遂段階で次々と処理し、サラザールは地主層や商工業者の支持を集め、亡命中の王族を含む王党派の支持まで取り付けました。
 微:なんと東京渡辺銀行の支持も取り付けたそうです。
 苦:それは1926年の日本の金融恐慌の発端となった取り付け騒動だろ! サラザール独裁の基礎は社会の安定でした。社会の安定が財政の安定を、そして成長をもたらすと考えたのです。
 微:社会が低栄養で安定すると、北朝鮮になるからな。抵抗する気力も基礎体力もない。
 苦:イタリアのムッソリーニも同じ考えでしたから、ラテン的発想かもしれません。
 微:しばらくは新路線に乗って楽しむけど、最後はそれを潰すのを楽しむのもラテン的だな。大阪維新の会が最後どうなるか、ワクワクするな。
 苦:まあ、大阪市のデタラメぶりを第一共和政期の混乱に置き換えると、辟易した国民にとっては、サラザール政権期の安定というか維新の勇ましいかけ声は目覚しい進歩なんでしょうね。
 微:民主党の失敗を誇張して、安定のイメージとやってる感だけで持っている自民党もあるしな。
 苦:近年の日本の「安定してたらそれでええやん」は同じですね。30年間給料増えてませんが。でも独裁は弱者が声を出す機会を奪うことで維持されてますから、爆発したら怖いです。
 微:今はネトサポとかランサーズで処理できる日本は楽だな。中国の書き込み削除部隊は何万人態勢なんだろ?
 苦:それを訊くのも内政干渉でしょ。この1930年代後半の変革は「サラザールの教訓」という政府方針の下で行われ、彼の支持率は最高潮に達しました。
 微:電通が世論調査で支持率かさ増しに協力したそうです。
 苦:死んだワニかよ! 彼は教育を重視し、初等教育の機会はすべての国民に与えられました。教育インフラ整備は予算がついて、多くの学校がつくられました。半分は景気対策です。
 微:教員集めはN学園が一手に引き受けたそうです。
 苦:そりゃ日本だよ!! でも高等教育は重視されず、イタリア同様に大学は狭き門でした。
 微:国民は馬鹿でいいってか。バカでいいから無意味な主権者教育をやってさらに政治的無関心を増やす日本も狡猾だけどな。
 苦:共産主義勢力対策は秘密警察が用いられ、それは反体制派への弾圧にも用いられました。サラザールの政治哲学は、やはりカトリック基づいています。
 微:イデオロギーはないが共産主義アレルギーはあると。しかも保守的安定の異端審問付き。
 苦:そこだけ聞くと芳野連合会長みたいですがね。スペイン内戦ではフランコを支持し、義勇軍を送っています。フランコが勝った1939年にはスペインと友好不可侵条約を締結します。
 微:フェリペ2世で懲りたんだろうな。フランコに独裁者兼任されたらたまったもんじゃない。
 苦:モロッコも目の前ですしね。1940年にはローマ教皇庁と協定を結びました。第二次世界大戦ではサラザールは中立を宣言しますが、これはあくまで体制存続の方便でした。
 微:日本の検察や最高裁と同じで、名ばかり中立。
 苦:彼は1938年に日独伊防共協定への参加打診は断りましたが、ムッソリーニのイタリアをいろんな面で手本にしていました。
 微:まず、頭を丸めたそうです。
 苦:海老蔵かよ!! ファシズム思想の普及を図るために、イタリアの黒シャツ隊を模倣した市民軍と、ヒトラー・ユーゲントを模倣したポルトガル青年団などの組織を設立しています。
 微:『超人バロム1』くらいの魔改造しろよな、封印されるけど。しかし、まさに劣化コピー。
 苦:日本は無責任面での魔改造ですかね。まあ厳しい判断ですよ。枢軸側に立てばポルトガルの植民地はイギリスの攻撃を受け、連合国側に立てばポルトガル本土が危険になる。
 微:日本プロレスと新日本プロレスの間を泳いだ国際プロレスだな。いや、それは失礼か。植民地をたくさん持ってたもんな。
 苦:1945年の時点で、ポルトガルはアフリカにアンゴラ、ギニアビサウ、モザンビーク、カーボヴェルデ、サントメプリンシペを領有してました。
 微:オスマン・サンコンもかつてはポルトガル国籍なのか。
 苦:若い人はわかりませんよ。アジアにはポルトガル領インド、マカオ、東ティモールなどの植民地を領有していました。「植民地死守」がサラザールの方針でした。
 微:これはすごい隠し資産だな。だけど、管理しきれなくて耕作放棄地多そう。
 苦:山間部の限界集落かよ!! 冷戦が始まると、ポルトガルはNATO発足と同時に加盟しますが、原加盟国中唯一の非民主主義国でした。
 微:大戦後半で連合国への協力したのが評価されたんだな。まあ、大西洋に面しているし。
 苦:そこが中立国の強みです。サラザール独裁は戦後も継続しましたが、脱植民地化のうねりは消すことはできませんでした。アルジェリア独立戦争は他人事ではなかったはずです。
 微:傲慢な「コロン」みたいなのはいなかっただろ、人材を国内の秘密警察で使い切って。
 苦:予想通り、独裁の崩壊は1960年代の植民地暴動から始まりました。アンゴラ、モザンビーク、ギニアビサウの独立を東西両陣営がそれぞれの思惑で支援したためです。
 微:1960年は「アフリカの年」だったからな。ビッグウェイヴには勝てない。
 苦:1961年以降、植民地の独立戦争は激化し、ソ連やキューバの支援するゲリラに苦戦し、軍の損害は増すばかりでした。莫大な軍事費は経済を圧迫し、ヨーロッパ最貧国に転落しました。
 微:退職者の医療費で破綻寸前のアメリカ自動車会社みたいなもんか?
 苦:そしてサラザール独裁は1968年に突然の終わりを迎えます。サラザールはハンモックでの昼寝中に誤って転落、頭部を強打して意識不明の重体となりました。
 微:本当は猪木がバックドロップをかけたそうです。
 苦:猪木やプロレスから離れなさい!!
 微:しかし、ド=ゴールも同じように寝たふりしておけば致命傷にならなかっただろうに。しかし、どんだけ寝相が悪いんだ、このジジイ。
 苦:2年後にサラザールは意識を回復しましたが、政権はカエターノの手に移っていました。
 微:日本語で考えると、見事なオチになっているが、終わりじゃないんだな。
 苦:カエターノはサラザールの執務室を同じ状態に保全し、当時のポルトガルの動乱のことなどは一切記載されない偽の新聞を読ませ、落胆しないようにしたそうです。
 微:映画『グッバイ レーニン』の元ネタなのか、北朝鮮なのか、どっちだろ。
 苦:サラザールは執務室で、偽の命令書を書き、偽新聞を読んで晩年を過ごしました。その甲斐あってサラザールはポルトガルの混乱を知らないまま、間もなく幸福に世を去ります。
 微:「ドラえもん」読者創作の”のび太植物人間最終回”みたいだな。
 苦:後継者のカエターノはリスボン大学の元法学教授で、超保守主義者として知られていました。カエターノにはサラザール体制の維持しか方針がありませんでした。
 微:メンテナンスの方の「保守」かよ!!
 苦:1974年に泥沼の植民地戦争に危機感を抱いた青年将校たちは国軍運動(MFA)を結成し、スピノラ将軍を担いで体制変革をめざすクーデタを決行しました。
 微:気の長い国軍だな、ミャンマーなら即日だろ。
 苦:1974年4月25日早朝、リスボンの国軍は決起し、市内の要所を占拠しました。包囲されたカエターノ首相はあっさり投降し、スピノラ将軍に権力をさっさと委譲しました。
 微:「新装開店! ポルトガル祭り! 出ます 出します 勝たせます」の幟まで立ったそうです。
 苦:パチンコ屋じゃねえよ!! 革命の成功を知ったリスボンの街角は花束で飾られ、市民たちは革命軍兵士たちの銃口にカーネーションの花を挿しました。
 微:池坊家が手ほどきしたそうです。
 苦:関係ねえよ!! この「カーネーション革命」を記念してポルトガルでは4月25日は「自由の日」として国民の祝日となっています。5月15日、スピノラが臨時大統領に就任しました。
 微:沖縄の日本返還にあやかったそうです。
 苦:無関係です。革命を主導したMFAとの溝が深まり、スピノラは一旦は辞任します。ですが、復権を目指してクーデタを起こすなど、1975年いっぱい混乱が続きました。
 微:ああ、日本もロッキード事件発覚で大揺れだったよな。
 苦:ようやく1976年に総選挙と大統領直接選挙が実施され、MFA出身のエアネス大将が大統領に就任して革命は終結しました。これが現在まで続くポルトガル第三共和政です。
 微:なんか、国を挙げての「革命するする詐欺」に感じてしまうんだが。
 苦:新憲法で検閲も廃止され、政治犯も釈放され、サラザール時代の秘密警察も解散です。
 微:いや、まだ存続していたんかよ!! で、どれくらい失業率が上がったのか気になるな。
 苦:シュタージかよ!! ようやく1986年にスペインと同時にEC加盟も果たしました。
 微:どうして、20世紀初めのイベリア半島両国にフランコとサラザールという独裁者が出たのか?
 苦:イタリアは目立ちすぎたので大戦中に危険なものを処理できただけでしょ。それでベルルスコーニみたいな汚い金持ちが首相までなれたわけで。
 微:まあ、一番するいのは知らない顔をしてても突っ込まれないヴァチカンか。

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